ちょうど半分、一年の半分が経過・・・ああ、という思い。否定も肯定もない、動かしがたい事実だから一存を持っての進退はあり得ない。
ありのままに甘受せざるを得ない現実の重み。時の経過を厳粛に受け止め、むしろ感謝の意を持ってこの変移を享受すべきなのだと思い直す。押し出されて今があるのではない、一歩一歩進んで来たからこその今日を、悲観の色に染めたりしては不敬である。
時の流れは誰も止められない。「ちょっと待って!」はありえず、「置いてきぼり」もない。ただ自分自身の感覚にズレが生じて、時空に対する錯誤に迷い込むことは往々にしてあるかもしれない。
少なくとも西暦においては、半分を終える六月尽である。
(淋しいなどと感傷的になっている暇はない、とにかく前へ進むのだ!)というほど威勢もないけれど、従順に暦に従って季節の情緒を楽しむような風流人になれたらと夢想する。
自分が生きる世界ではない、世界(時空)の恩恵により生かされて在る自分なのである。時空への慕情、六月尽・・・。
時間と空間という見えない大宙の中で、日々新しい自分と向き合う、覚悟を持って過ごしたい。
ありのままに甘受せざるを得ない現実の重み。時の経過を厳粛に受け止め、むしろ感謝の意を持ってこの変移を享受すべきなのだと思い直す。押し出されて今があるのではない、一歩一歩進んで来たからこその今日を、悲観の色に染めたりしては不敬である。
時の流れは誰も止められない。「ちょっと待って!」はありえず、「置いてきぼり」もない。ただ自分自身の感覚にズレが生じて、時空に対する錯誤に迷い込むことは往々にしてあるかもしれない。
少なくとも西暦においては、半分を終える六月尽である。
(淋しいなどと感傷的になっている暇はない、とにかく前へ進むのだ!)というほど威勢もないけれど、従順に暦に従って季節の情緒を楽しむような風流人になれたらと夢想する。
自分が生きる世界ではない、世界(時空)の恩恵により生かされて在る自分なのである。時空への慕情、六月尽・・・。
時間と空間という見えない大宙の中で、日々新しい自分と向き合う、覚悟を持って過ごしたい。