続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ホッパー『青い夜』

2020-09-30 07:32:21 | 美術ノート

   『青い夜』

 この画の煩雑さ、一日の終わり休息のひと時はまだ時間を持て余している。横広の画面の並列は続く連鎖の空間を暗示し、安堵に伴うそれぞれの思惑が交差している。
 山の上の景である、背景は海のうねりではない。青い空は晩夏の月の夜ではないか。日本の提灯が頭上から照らしている異国情緒あふれる店のテラス。
 右端の男女、女はその片手を下ろせば胸が開ける、男を誘っている、しかし男はその誘いに肯きかね迷っている。男の頬が赤いのは酒のせいであり、理性の有無は曖昧である。
 白い服のピエロは、興行の収支を計算しているのかタバコを加えながらも厳しい表情ある。その前に見える肩章の着衣の男と芸術家風の男は何を語り合っているのだろう、予測は掴めないが全く異なる職種の相席である。
 肩章(軍人・警察官などの階級章)の男を上から窺う女はこの店の女将かもしれない。肩章の男は彼女を見ているかもしれない。(どのような目つきで?)少々の不安はあるが、どこからでも来い!という風情である。
 左端の男は寛いだ表情で誰かと話している、商談かも知れないし、単なる日常会話に過ぎないかもしれない。

 この画にはこの空間でしか描けない猥雑さがある。各人の心理の交錯、入り混じった空気の日常性は幾つもの物語を孕みつつ同時性の中に集合、あるいは拡散している。

『HOPPER』(岩波「 世界の巨匠」ホッパー)より




『飯島晴子』(私的解釈)ねんねこから。

2020-09-30 06:57:20 | 飯島晴子

   ねんねこから片手出てゐる冬霞

 ねんねこ…赤子を負ぶった上に羽織る綿入れ半纏であり、冬の寒い日、赤子をすっぽり包む防寒着である。
 ところが、その赤子の手が片方出ている。冬霞、霞が出るほどに暖かい冬の日の光景・写生である。

 片手はヘン・シュ・スイと読んで、変、趣。
 出てゐる(出居)はスイ・キョと読んで、推、挙。
 冬霞はトウ・カと読んで、統、果。
☆変(移りかわる)趣(ねらい)を推しはかる。
 挙(くわだて)を統(一筋にまとめる)果(結果)がある。

 片手はヘン・シュと読んで、偏、取。
 出てゐる(出居)はスイ・キョと読んで、遂、拠。
 冬霞はトウ・カと読んで、問う、歌。
☆遍(もれなく)取(手にとり)遂(やりとげる)。
 拠(より所)を問う歌である。

 

 
 


R.M『哲学者のランプ』

2020-09-30 06:30:12 | 美術ノート

   『哲学者のランプ』

 哲学…辞書を引くと、「⑴宇宙・人生の根本原理や究極の在り方を理性によって求めようとする学問、⑵自分自身の経験から作り上げた世界観、人生観、理念」とある。
 マグリットはまさに哲学者に相当する理念を元に作品を描いている。
 蛇のようにくねくね曲がりながら卓の上にたつロウソクの灯り、延びている原点は明かさない。日本には邪念という言葉があるが、聖書の蛇から来ているのかもしれない。要するに自分をも欺く否定、肯定、否定、大いなる肯定の回路である。その灯り(答え)から目を逸らしている。
 しかし、その灯りは額の皺を鮮明に見せるほどにマグリットを強く照らしている。なお考えるマグリット・・・大きく長い鼻がパイプに差し込まれている、つまり(逡巡)である。考えあぐね、さらに考えている。

 マグリットの目は鑑賞者の方に向けられている。「どうかね」可否を問う眼差しである。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3506。

2020-09-30 06:11:01 | カフカ覚書

この服、いまでもほんとうに美しくないでしょうか。もうくたびれて、すこし汚点もついています。わたしは、着替えの服なんかありませんもの、昼も夜もこれを着たきりなのです。それでも、どんなに美しい服か、いまでもよくわかりますわ。あのいまいましいバルナバスのところの娘でも、これよりすばらしい服は仕立てられないでしょう。


☆この氏族は現実には相当しなかったのでしょう。現在ではすでに押しつぶされ、わずかに残っているだけです。第二の氏族など全くおりません。昼も夜も(重荷を)を担わねばならず、しかもまだ常にそう見られているのです。いかに立派でも先祖の傷痕は呪われており、バルナバスはそれをより実現させているのです。


『飯島晴子』(私的解釈)火葬夫に。

2020-09-29 07:16:17 | 飯島晴子

   火葬夫に脱帽されて秋の骨

 荘厳な仕事である死者の焼却に携わる火葬夫が遺族に向かい一礼、脱帽する。この重い時空を厳粛に受け止める双方の関係。そこに現れた秋の骨・・・淋しい骨であった。

 火葬夫はカ・ソウ・フと読んで、和、葬、父。
 脱帽はダツ・ボウと読んで、奪、貌。
 秋の骨はシュウ・コツと読んで、終、骨。
☆和(争いを治めた)葬(とむらい)、父を奪った貌(顔かたち)も終には骨になってしまった。

 火葬夫はカ・ソウ・フと読んで、加、総て、普。
 脱帽はダツ・ボウと読んで、脱、謀。
 秋の骨はシュウ・コツと読んで、執、骨。
☆加えた総ては普く脱(自由になる)。
 謀(はかりごと)の執(こだわり)は骨(物事の芯になるもの)である。


R.M『ジョルジェット』

2020-09-29 06:45:41 | 美術ノート

   『ジョルジェット』

 風変わりな肖像画、室内の壁の彼女の横顔と少し斜めを向いた顔が描かれている。美しさの上に明晰かつ冷静な眼差しがあり、卑劣さを微塵も感じない純な風貌である。彼女の控えめで強靭な精神は、屋内の影に描くことで浮上する。

 彼女の上方に卵が一つ、落ちれば割れるが、落ちることも割れることもない静謐、緊張感ある静けさを感じる。枝葉に関しても同じことが言えるが、自然、ナチュラルな思考の持ち主であるとの付言。羽毛も見えるが、軽やかでしなやかな性格を言っていると思う。

 彼女の顔を照らす蝋燭…これはマグリット自身ではないか。外気の明るさに比べたら自分はこの程度なのだという自嘲である。下部にある鍵と手紙、これはとりもなおさず彼女へのラブレターであり、秘めた愛情、感謝に違いない。
 波風の立たない平和な日常、すべて彼女、ジョルジェットに因している。
 彼女がすべてである!!


 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』43.

2020-09-29 06:31:06 | 宮沢賢治

 それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、
   「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
 と書いてあつて、ちひさなクリームの壺がこゝにも置いてありました。


☆他意が求める飛(奥深くてはかり知れない)裡(物事の内側)は、即ち、図りごとの辞(文章)であり、途(目的を持っていく道筋)の諸(もろもろ)、個(一つ一つの質(内容)である。


『城』3505。

2020-09-29 06:01:15 | カフカ覚書

とりわけあなたは、なんと軽はずみな、罪なことをなさったのでしょう。あのときは、みんながこの服をどんなに大喜びしてくれたことでしょう。それは、成功の保証のようにおもえました。あとから小さなリボンをひとつつける場所が見つかったときには、もうあらゆる危惧の念が吹っとんでしまいました。


☆先祖の災難でした。どうして軽はずみで罪のあることをしたのでしょう。当時はみんながこの服を喜んでくれたのです。それは成功の証のように見えました。あとからさらに小さなリボン(束縛)を見たときには疑惑は消え失せていました。


『飯島晴子』(私的解釈)鍋の耳。

2020-09-28 07:06:02 | 飯島晴子

   鍋の耳ゆるみしのみが女の冬

 鍋の耳ゆるみしのみが・・・鍋の耳、ゆるむだろうか。確かにそういうこともあるかもしれないが、鍋の耳が緩むのは一大事である。相当な危険が予想されるから職人もここは絶対にゆるまないように念を入れているはず。
 要するに滅多にない!絶対に無いかもしれない女の冬(気が緩むような活気を放棄できるようなボォーっとした時間)である。女は季節を問わず忙しい、不満の吐露である。

 鍋の耳はカ・ジと読んで、華、爾。
 ゆるみしのみ(緩)はカンと読んで、観。
 女の冬はジヨ・トウと読んで、自余、蕩。
☆華のある爾(あなた)、観(よく見ると)自余(ことのほか)蕩(だらしない)。

 鍋の耳はカ・ジと読んで、何、字。
 ゆるみしのみ(緩)はカンと読んで、換。
 女の冬はニヨウ・トウと読んで、二様、統。
☆何(いずれか)の字(文字)に換(替える)。
 二様(二通り)をも統(収めている)。