続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

吉川宏志(私的解釈)海の場面。

2022-03-31 06:54:06 | 吉川宏志

 海の場面に変わる映画のひかりにて腕の時計の針を読みおり

 海の場面はカイ・ジョウ・メンと読んで、解、状、綿。
 変わる映画はヘン・エイ・カクと読んで、変、営、書く。
 ひかりにて腕の時計(光腕時計)はコウ・ワン・ジ・ケイと読んで、講、腕、恃、継。
 針を読みおり(針読居)はシン・ドク・キョと読んで、新、独、挙
☆解(バラバラにする)状(有様)は綿(つらなり)変(移り変わるように)営(作り)書く(書いている)。
 講(話)は腕(能力)に恃み、継(受けつぐ)。
 新しい独(ただ一つ)の挙(企て)である。

 海の場面はカイ・ジョウ・メンと読んで、海、暁、面。
 変わる映画はヘン・エイ・カクと読んで、変、映、覚。
 ひかりにて腕の時計(光腕時計)はコウ・ワン・ジ・ケイと読んで、港、湾、地、境。
 針を読みおり(針読居)はシン・トウ・キョと読んで、芯、当、距。
☆海の暁(夜明け)の面(うわべ)、変(移り変わる)影(すがた)を覚(感知する)。
 港の湾は地との境の芯(中心)に当たる距(へだたり)である。

 海の場面はカイ・ジョウ・メンと読んで、廻、常、面。
 変わる映画はヘン・エイ・ガと読んで、遍、詠、我。
 ひかりにて腕の時計(光腕時計)はコウ・ワン・ジ・ケイと読んで、工、one、字、警。 
 針を読みおり(針読居)はシン・トウ・キョと読んで、審、問う、拠。
☆廻(元に戻ること)に、常に面(向きあうこと)は 遍(もれなく行き渡る)。  詠(詩歌を作る)我(わたくし)の工(作業)には、one(一つ)の字を警(注意し)審(正しいかどうかを明らかにし)問うことの拠(よりどころ)がある。


三井英央医師。

2022-03-30 16:33:46 | 日常

 両膝人工関節置換手術、無事終えての帰還です。
 執刀の三井英央先生は聞けば30歳の若さ、新進気鋭の御手にかかりましたことは真に光栄なことでもありました。

「神輿は一人では担げない」の名言どうり、スタッフはみな素晴らしい方たちばかりで今日の帰宅と相成りました。また心配をおかけした友人各位、息子たちや孫や夫にも深謝です。

 無事である事、普通であることに感謝して残りの人生を明るく過ごす所存、嬉しく有難い今回の事件(?)でありました。

 皆様、本当にありがとうございました!

 


松村正直「私的解釈」この先は。

2022-03-30 16:00:56 | 松村正直

 この先は小さな舟に乗りかえてわたしひとりでゆく秋の川

 この先は小さな舟に乗りかえて・・・川には船着き場があるが、小さな舟に乗り換えるような場はない。大きな船から小さな舟に乗りかえるのは《港》である。
 川は必ず港(海)に向かい、辿り着く。

 そこ(港)で小さな舟に乗りかえて《わたしひとりでゆく》としたら、川の流れをさかのぼるという意味を隠している。逆行であり、川の源、山に向かうという決意である。

 困難を極める、普通では考えられない行為、むしろ、不可に限りなく近い。

 秋の川・・・淋しいか、否、絢爛とした紅葉の景色の中、わたしはわたしの生き方を問う試練を乗り越えて新しい発見、自分自身に臨む覚悟である。
 わたしひとりでゆく秋の川・・・猛烈なエネルギーを孕んだ自己表明の歌に違いない。


M『媚薬』

2022-03-15 07:07:46 | 美術ノート

   『媚薬』

 岩石で設えた着衣が記念碑のように台座に鎮座している、これをもって『媚薬』と名付けたマグリットの想い。

 遥か遠い昔、人間なる生き物がいたという。その人たちは恋とか愛に心を熱くし、その身体を求め、果てに長い歴史を紡いでいたらしい。
 肉体への欲求、着衣の中の人間という生き物の習い・・・。

 恋慕、欲情、その類がこの着衣の中にあったという。昔々、人間という生き物が現存していたころのお話が、この着衣に遺っている。
 宇宙の中の奇跡ともいうべき風変りな生き物たちがいたことを語る遺跡である。
《媚薬という怪しいものが、精神という不可解なものに宿っていたらしい》いつか遠い未来での語り草である。


『飯島晴子』(私的解釈)紅梅を。

2022-03-15 06:47:22 | 飯島晴子

   紅梅を横着に見て山に入る

 紅梅を横着はコウ・バイ・オウ・ジャクと読んで、香、梅、旺、惹。
 見て山に入るはケン・セン・ニュウと読んで、軒、潜、入。
☆香る梅は旺(さかんに)惹きつける。
 (香りは)軒の潜(もぐり)入ってくる。

 紅梅を横着はコウ・バイ・オウ・チャクと読んで、更、倍、応、著。
 見て山に入るはケン・サン・ニュウと読んで、検、三、入。
☆更(入れ替えると)倍(増える)、応じて著(明らかになる)。
 検(調べると)三つが入っている。

 紅梅を横着はコウ・バイ・オウ・チャクと読んで、酵、黴、応、着。
 見て山に入るはケン・サン・ジュと読んで、顕、酸、需。
☆酵(酒の元)は黴(かび)に応(反応し)着(おちつく)。
 顕(あらわれる)酸(炭酸ガス)が需(必要)である。


吉川宏志(私的解釈)みずうみの。

2022-03-15 06:16:19 | 吉川宏志

 みずうみの岸にボートが置かれあり匙のごとくに雪を掬いて

 ボートは常に受け身であるが、まるで雪を掬ったように見える形である事への感慨。物が活動しているかの静かな錯雑の景。

 みずうみの岸(湖岸)はコ・ガンと読んで、固、岩。
 置かれあり(置有)はチ・ユウと読んで、地、湧。
 匙のごとく(匙如)はシ・ジョと読んで、弛、徐。
 雪を掬いてはセツ・キクと読んで、洩、危懼。
☆固い岩の地から湧(水が湧き出ている)。
 弛(ゆるんで)徐(ゆるやかに)洩(漏れ出していることを)危懼(あやぶみ怖れている)。

 みずうみの岸(湖岸)はコ・ガンと読んで、古、顔。
 置かれあり(置有)はチ・ユウと読んで、知、友。
 匙のごとく(匙如)はシ・ジョと読んで、死、如。
 雪を掬いてはセツ・キクと読んで、説、聞く。
☆古顔の知友の死(命がけ)の如き説(話)を聞く。

 みずうみの岸(湖岸)はコ・ガンと読んで、己、願。
 置かれあり(置有)はチ・ユウと読んで、治、憂。
 匙のごとく(匙如)はシ・ジョと読んで、姿、除。
 雪を掬いてはセツ・キクと読んで、切、聞く。
☆己(わたくし)の願いは、治(世の中がうまく収まり)憂(心配や苦しみ)の姿を除き、切(ひたすら)聞く(道を問うこと)である。


M『青春の泉』

2022-03-14 07:35:47 | 美術ノート

   『青春の泉』

 燃える朱の空を背景にROSEAUという文字を刻んだ石碑、鳩(鷲)の頭部、羽を広げた形である。左右には馬の鈴(伝説、口伝、噂etc)と一枚の木の葉(葉脈は木の根であり、枝葉の広がりは薄い平面と化している)

 巨きな人間の軌跡のようでもある石碑は過去の遺物と化している。かつての物語を刻んだ巨石の意味は、すでに風化している時空かもしれない。

 人類の成した功績、考えるという術を有した世界は幻影だったろうか、海の砂の数、空の星の数をはるかに超えた未来に、なお残存するかもしれない人類の軌跡。
 茜の空、沈んで行ったであろう現在と思しき思考の欠片…懐かしさを秘めた人類の墓場でもある。

 写真は『マグリット』展・図録より


『飯島晴子』(私的解釈)紅梅を。

2022-03-14 06:47:56 | 飯島晴子

   紅梅をじつくりくぐる同行者

 紅梅をじつくりくぐる(紅梅潜)はコウ・バイ・センと読んで、梗、倍、遷。
 同行者はドウ・コウ・シャと読んで、道、講、卸。
☆梗(あらすじ)を倍(ふやし)、遷(移り変わる)道(物事のすじみち)がある。
 講(話)を卸す(新しいものや仕舞ってあったものを使う)。

 紅梅をじつくりくぐる(紅梅潜)はコウ・バイ・センと読んで、興、賠、千。
 同行者はドウ・コウ・シャと読んで、道、工、社。
☆興(盛んに)賠(欠損を補い)千(たくさん)の道を工(造る)社(会社)がある。

 紅梅をじつくりくぐる(紅梅潜)はコウ・バイ・センと読んで、洪、狽、船。
 同行者はドウ・コウ・シャと読んで、動、港、視野。
☆洪(大水、津波)に狽(慌てて)船を動かす港の視野(詩力の及ぶ範囲)がある。


吉川宏志(私的解釈)雨のあと。②

2022-03-14 06:04:07 | 吉川宏志

 雨のあと光の沈む路をゆくムラサキシキブの枝は斜めに

 雨のあと光の(雨後光)はウ・コウ・コウと読んで、芋、紅、黄。
 沈む路をゆく(沈路行)はチン・ロ・コウと読んで、朕、炉、巧。
 ムラサキシキブ(紫式部)はシ・シキ・ブと読んで、使、志気、無。
 枝は斜めにはシ・シャと読んで、私、炙。
☆芋には紅と黄がある。
 朕(わたくし)は炉(いろり)を巧(上手)に使う志気(やろうとする気持ち)が無く、私は炙る。

 雨のあと光の(雨後光)はウ・コウ・コウと読んで、迂、構、講。
 沈む路をゆく(沈路行)はチン・ロ・アンと読んで、陳、路、闇。
 ムラサキシキブ(紫式部)はシ・シキ・ブと読んで、試、式、舞。
 枝は斜めにはシ・シャと読んで、私、洒。
☆迂(遠回り)の構(仕掛け)がある講(はなし)である。
 陳(言葉を並べ)路(筋道)を闇(秘かに)試す式(きまり)を舞(励ます、奮い起こす)私は洒(さっぱりしていて拘らない)。

 雨のあと光の(雨後光)はウ・ゴ・コウと読んで、有、語、更。
 沈む路をゆく(沈路行)はチン・ロ・コウと読んで、珍、漏、講。
 ムラサキシキブ(紫式部)はシ・シキ・ブと読んで、視、式、部。
 枝は斜めにはシ・シャと読んで、詞、視野。
☆有(さらに)語を更(新しく入れ替える)のは珍しい。
 漏れる講(はなし)を視(気をつけてみる)式(やり方)は部(区分けした)詞(言葉)の視野にある。

 


A君。

2022-03-13 06:59:12 | 日常

 にぎやかに遊んでいた近所の子供たちはわが子も含めて皆社会人であり、働き盛りである。
 と同時に、親が高齢になっているという事実がある。

 A君は疾患のある親に苦慮し、施設をお願いしているけれど頑として舞い戻ってきてしまう母親を遠方の居住地から度々足を運んできている。
「お母さんはよくあなたの野球を見にいったものね、県内どこまでも」と言ったら、
『「お前の母さん、また来てるぞ」って冷やかされたもんです』と笑った。
「だってね、僕、ずっとベンチ入りで試合には出てなかったのにです。」
・・・ええっ!三十年以上も立って知らされた内実。
 親の愛情の深さ・・・。知的障害のある母親にそそぐ息子の信念ある真情、表情は複雑である。