絵画、二次元において三次元を複写できる有効な手段。陰翳を付ければ立体になり、遠近法を守れば空間は無限に広がりを見せる。光景を切り取る疑似空間は鑑賞者を素直に納得させる。
美(醜)を醸し出すが、視覚的真実があるにすぎないのではないか。精神の軸、存在理由、時空への挑戦…表現者に求められる、あるいは自らが求める次元を絵画(二次元)は追究し得るだろうか。
絵画作品にはタイトルという言葉の結びつき、関係性を許されている。この二つの物の持つ力は多くは説明(合致)に尽きる。
仮に「花嫁」という突飛なタイトルを付けた場合、鑑賞者は作品に併せてその共通項を見出そうと努力するに違いない。(絵画とはそういうものであったからである)
左右前後どこにもつながることを予想させず、固定されたものであるかも不明である装置を創作。立地点、存在感を明確にすることは絵画の基本であり、構図という面から見ても息がつまりそうな茫漠とした奇体な構造である。
不条理というより散逸であり、作品は全体というより部分である。どこにつながりどこへ発展するのかさえも不明な部分であり、現象と換言した方がいいかもしれない。
これらは、絵画という範疇に対する抵抗であり、未来への究極の終末、訣別を模索しているように見える。
『花嫁』は、自らに課した実験であり、鑑賞者の賛意を問うものではないかもしれない。
タイトルと作品の間には無言の軋轢があり、マイナスの電気が走っている。
写真は(www.tauschen.com)より
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