『追放』
なぜなら、わたしたちは滑稽な話(馬鹿話)の追放された一族なのだから。
熊座(大熊座/北極星の周りを回るもの)は明らかに存在する。
氏族の不快の念は押しのけるべきであるが、そうはいかないで固く結びついている。しかしながら、見よ、それはただ単にそう見えるだけなのである。(北極星を死(異世界)への入口と任意に考えている)
『追放』
なぜなら、わたしたちは滑稽な話(馬鹿話)の追放された一族なのだから。
熊座(大熊座/北極星の周りを回るもの)は明らかに存在する。
氏族の不快の念は押しのけるべきであるが、そうはいかないで固く結びついている。しかしながら、見よ、それはただ単にそう見えるだけなのである。(北極星を死(異世界)への入口と任意に考えている)
『インディアンになりたい願』(異訳)
もし終わり(死)になったらすぐに覚悟して、小さな門まで走り、斜めに空を切って震える大地の上で小さく震え始める、奮い立つことはやめた。終わり(死)に奮い立つことなんで要らないのだから。侮蔑的な小舟の拘束も地位階級もなく進路は滑らかな落ち着いた小さな森で、すでに門の支えも門の頭部もなかった。
「あそこには、眠らないひとたちが住んでいるんだって!」
「どうして眠らないんだろう?」
「それはかれらが疲れないからさ。」
「それじゃ、どうして疲れないんだろう?」
「それはかれらがばかだからさ。」
「ばかは疲れないの?」
「ばかが疲れるはずはないじゃないか!」
☆「眠らないって?」
「どういう訳で眠らない?」
「それは彼らに悲しみがないからさ」
「どうして悲しみがないの?」
「それはみんな昔話(作り話)だからさ」
「作り話(伝説)は悲しくないの?」
「作り話(伝説)に心労があるはずないじゃないか!」
ぼくはみんなから見えなくなった最初の十字路を曲り、野道をまた森へと駆けて行った。ぼくは南の都会を目指していたのだった、その都会についてぼくたちの村ではこんなことを言っていた。
☆全く見ることができなかった最初の十字路を曲がり、そして星座の運行で、再び厚い壁を抜け、(めざす)場へと走った。わたしは絶え間なく南へと向かった。そこは、わたしたちにとっての来世という意味である。
もう時間だった。ぼくは傍らに立っている子にキスをし、近くにいた三人と気のない握手をして、道を引き返して走り始めた、誰もぼくを呼ばなかった。
☆すでに時間だった。わたしは傍に立っているこのにキスをし、すぐ近くにいた三人とはただ無造作に、そして後方へ走り始めた、小舟を呼ぶことはなかった。
ぼくたちは汽車が動いて行くよりもはるかに速く歌い、声だけではたりなくて腕を振り回した、その声は騒々しく縺れ合い、ぼくたちはいい気持ちだった。自分の声が大勢の声に混ると、ひとは釣針にかかったように捉えられてしまうのだった。
こうしてぼくたちは、森を背に、遠くの旅行者たちの耳に歌を送った。村では大人たちがまだ起きていて、母親たちは夜のためにベッドをととのえていた。
☆他の声も混ざり、先祖を圧迫する難点を捉えようと壁を背に、遠くの旅行者の耳に歌を送った。来世では大人たちがまだ起きていて母親たちは死のための床をととのえていた。
遠くの茂みの蔭から汽車が現れた、どの車室にも灯が点り、ガラス窓はきっちりと下ろされていた。ぼくたちのひとりが流行歌を歌いはじめた、みんなが歌いたくなっていたところだった。
☆遠くの林の蔭から鎖で束縛された集団の移動があらわれた。すべての企ては精査され、ガラスの食(死の入口)は確かに低く下げられていた。わたしたちのひとりが殴られはじめた、全員が唱で賛美していた。
『9つの雄の鋳型』
「9は全てであり、0であり、無である」という。要するに不思議な数字を置いたのだと思うが、鋳型のなかを雄と限定するのも見えないので限りなく疑惑が残る。しかも作品は鋳型の外観であるのも関わらず、それなりの何かを想像できるような設えである。鋳型であれば、中の構造が重要であり、外観は問題外である。
論点が見えない、見えないように巧みに構成された作品『9つの雄の鋳型』は外観、つまり有っても無くてもどうでもいい物のそれらしい意味を問うことで意味を隠蔽している。
一つ一つ、既知のものに結び付け考える、まるでゲームのように。閉じられた中身に主眼があるように見せて、閉じられた中身は当然見えず、外観が手だてである。
これはこうだから…と当てはめていくが決定的な答えは当然でない。
《あたかも》…人の考えは固定されている、意識するとしないに関わらず、過去のデータや常識という一般論に束縛されている。
雄であることは普通にまかり通っているが、では厳密にという調査が入れば鑑定は心理的領域を含めて極めて困難である。
つまり見えない、内包されている広域への挑戦、果てしないほどの未知をこの鋳型に閉じ込めたのである。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
ヴィルトバハ橋のところでぼくたちは立ち止った、もっと先まで駆けて行った子供が戻って来た。下では波が、もうすっかり夜になったとは思えないほど、石や木の根を打っていた。そうしていけない理由はなかったのに、なぜ誰も橋の欄干に飛び上らなかったのだろう。
☆急流な橋のところでわたしたちは立ち止った。もっと先まで走っていたが、後方へ回転した。流れは星や激怒を打ち、下に流れて行った。確かに終末(死)に遅れたのではないが、何故、誰も破損(失敗)を訴えなかったのだろう。
どんなものもぼくたちを停めることはできなかったろう、ぼくたちは追い越すときたがいに腕を胸の前に組んで悠々と振り返ることができたほど、勢いにのって駆けた。
☆わたしたちを停めることは誰にもできなかったろう。哀れな人の追い越すのを傍観し、静かに振り返って見ることができたほどに走った。