続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

三文安いお祖母さんは今。

2013-04-30 07:00:10 | 日常
 昨日と今日の区別もつかない後退したような生活を送っている老女のわたしと違って、幼子の成長は著しい。

 明日4才の誕生日を迎える孫は先日のお祝いの席で、かな文字を披露。わたしには「よこすか」と書き、あちらには「きくかわ」と書いた。「ケンタにも書いてあげて」と言うと、ちょっと考えてから「けんたおじさん」と。

 父親である息子は三才のときに時計を読めたので、(ああ、この子は数字に強い子だ)と思ったことがあるけれど、孫は案外文学的な方面になどと妄想を働かせてしまった三文安いお祖母さんのわたし。


 幼稚園にも行かず、突然小学生になったわたしは、字を読むのさえ苦労し、何がなんだか分からないまま大きくなった気がする。
 そのせいかもしれない、情報過多の時代の子供の成長の早さに驚いてしまう。

 凡庸というか少し遅れた娘のわたしに「大器晩成ってこともあるんだよ」と、母は慰めた。けれど、それすらも無駄な妄想だったと悟った時には、さぞがっかりしたと思う。
 四十才も近くなった頃「勉強しようかな」と、母に言ったら
「何を今さら」と、鼻で笑われた。期待外れの娘のくせに(まったく口は重宝だよ)と、嗤ったのかもしれない。


 思いがけず母より長く生きているわたし、(今から、今から頑張ろうと思っているんだよ)と天国の母に報告しようものなら、きっと、大笑いをするに違いない。

*ちなみに母は子どもには「先んじて教えない」をモットーにしていたらしい。けれど、わが子の実験でその失敗を確認したようだった。

『セロ弾きのゴーシュ』73。

2013-04-30 06:48:06 | 宮沢賢治
 おしまひまでひいてしまふと狸の子はしばらく首をまげて考へました。
 それからやっと考へついたといふやうに云ひました。
「ゴーシュさんはこの二番目の糸をひくときはきたいに遅れるねえ。なんだかぼくがつまづくやうになるよ。」

☆理(宇宙の根本原理)である死の主(中心的なもの)は劫(極めて長い時間)の光(月日)の運(めぐりあわせ)である。
 字を判(区別し)黙って旨(考え)を知(おさめている)。

『城』1257。

2013-04-30 06:32:55 | カフカ覚書
「しかし、わたしとしては、礼儀作法などよりももっとべつなことを考えなくてはならなかった、と言うほうが正しいかとおもいます。自分の存在にかかわる問題だったのですからね。わたしの存在はあのけしからん役所の官僚主義のためにおびやかされているのです。

 べつな/anders→Ende/終わり(死)
 けしからん/schmashvolle・・・恥辱、侮辱。
 役所/amtliche→endlich/決定的な。

☆しかし、わたしとして微細な反対者よりも、終わり(死)のことを考えなくてはならない、という方が正しいと思います。自分の存在にかかわる問題ですからね。わたしの存在はあの決定的な侮辱のためにおびやかされているのです。

乗り継いで・・・。

2013-04-29 06:59:23 | 日常
 孫の初節句のお祝いのために、小田急相模大野駅まで出かけた。
「二時間もあれば着くだろう」という夫の言葉に従って出かけたけど、通常電車に乗らない夫は切符一つ買うにも戸惑いを見せ、乗り継ぎの意外な困難にも、うろうろと・・・。

 横須賀から相模大野までは意外に遠い。その理由はいくつかの乗り換えが必要であり、駅は何かどんどん大きく果てしなく分かりづらくなっているからである。そういうと何か滑稽な感じがするけれど、たとえば横浜駅でも京急から相鉄まではかなりの距離があり、その経由も昔は一つ(中央)しかなかったのに、今は・・・(むしろ分かりやすい一本道?)

 大和で小田急に乗り換え・・・AM9時前に家を出たのに、着いたのは11時を大幅に廻ってしまった。


 ところが静岡は菊川から出てらしたお嫁さんのご両親は8時に出て10時には到着していたらしい。距離的にはこちらのほうが近いのに・・・。

 帰りは長男に付いて、相模大野~湘南台(小田急)→上大岡(地下鉄)→北久里浜(京急)バスで帰宅となったけれど、わたしのいつもの行程は、バスでJR衣笠駅~大船(横須賀線)→藤沢(東海道線)→相模大野(小田急)、息子の家まではバスという具合なので、乗り継いで息子の家にまでは行った事がないというありさま。


 遠すぎるよ・・・。

 息子たちが選んだ居住地・・・。

 相模大野は横須賀よりはるかに大きく都会という感じがし、賑やかである。ただ、息子たちはあの街の人間になってしまったんだと思うと、少し寂しい。

『セロ引きのゴーシュ』72。

2013-04-29 06:51:43 | 宮沢賢治
 すると狸の子は棒をもってセロの駒の下のところを拍子をとってぽんぽん叩きはじめました。それがなかなかうまいので弾いてゐるうちにゴーシュはこれは面白いぞと思ひました。

☆裏(反対側)の詞(言葉)の謀(はかりごと)を区(べつべつにする)。
 化(形、性質を変えて別のものにする)の表(おもて)の詞(言葉)が交(いりまじる)談(はなし)であり、綿/細く長く続いて吐く(言う)旨(考え)である。

『城』1256。

2013-04-29 06:05:53 | カフカ覚書
「あなたは、村長さんに無礼な真似をされましたね。あれで功績のある、経験をつんだ、尊敬すべき老人なんですがね」
「わたしの態度が礼を失していたとはおもいませんが」とKは顔をふきなから、

 功績のある/verdienten→verdecken/覆い隠す。
 経験をつんだ/vielerfahrenen・・・多くを運んだ。fahrenen/死ぬ。
 尊敬すべき/ehrwudigen・・・畏敬すべき。
 顔をふきながら/abtrocknete→abtritt/引退、死。

☆「あなたは村長さん(死への第一の入門)に不作法な真似をされましたね。あれで(姿を見せず)覆い隠して(死へと)多くを運んだ畏敬すべき人なんですがね」
「わたしに失礼があったとは思えませんが」と、(死に)向かいながら、

親の責任。

2013-04-28 06:54:23 | 日常
 Sさんは、娘さんの体調が思わしくないので孫の面倒や家事の手伝いに泊りがけで出かけている。
「ヘルニアなの、まあ、わたしが生んだ娘だからわたしにも責任がある」と話し、ため息をついた。

 親の責任・・・どこまで・・・。

「うちの娘の所にお姑さんが泊りがけで手伝いに来てくれたんだけど、ある日プイと何も言わないで帰ってしまったらしいの。だからね、『あんた、お姑さんにこまごまとお礼の言葉をかけたの』って聞いたら・・・やっぱりかくかく然々。その後、そのお姑さんに会ったとき『まったく今の若い者は気が利かなくて』って話になって、わたしは娘に、あちらのお母さんは息子に、両方の(子供に)お説教したわ」と話していた友人がいる。


 確かに・・・子供たちは家庭を持ち、子育てにも追われる列記とした大人。でも親から見ると(あんなふうで、上手くきちんとした日常を過ごしているのかしら)と不安になることもしばしば。


 連鎖していく系譜・・・些細な行き違いがないとはいえない。落ち度があれば育て方の問題と、親である自分自身を問うこともある。
 そうして、わたしはわたしの親に対してさえも、配慮が足りなかったのではないかと思い巡らせてはため息をつく。


 日常の些細な気の緩み・・・。
 緊張感があってこそ、日々の暮らしに光が差す。忘れがちな毎日、(もういいの・・・否、否)

 わたしに対する他者の不満は見えない、だからこそ・・・。(呑気で気が利かない性格)これでは済まないこともある。

『セロ弾きのゴーシュ』71。

2013-04-28 06:41:54 | 宮沢賢治
「ふう、変な曲だなあ。よし、さあ弾くぞ。おまへは小太鼓を叩くのか。」ゴーシュは狸の子がどうするのかと思ってちらちらそっちを見ながら弾きはじめました。

 変はヘンと読んで、片。
 曲はキョクと読んで、極。
 弾くハダンと読んで、談。
 小太鼓はコ・タイ・コと読んで、ショウ・タイ・コと読んで、照、対、己。
 叩くはコウと読んで、講。
 狸はリと読んで、理。
 子はシと読んで、試。
 思ってはシと読んで、旨。
 見ながらはゲンと読んで、現。
 弾きはじめましたはダンと読んで、談。

☆片(二つの分けたものの一つ)の極みの談(話)は照(照らし合わせる)と、対(二つで一組になるもの)になる。
 己(わたくし)の講(話)は理(物事の筋道)の試みであり、旨(考え)が現われる談(話)である。

『城』1255。

2013-04-28 06:29:07 | カフカ覚書
Kは、こうして顔を洗ったり、ばたばた忙しくしているのは急を要する訪問の予定があるためだ、と侘びをのべた。教師は、それにとりあわないで、

 顔を洗う/Waschen→Wasser/涙。
 教師/Lehrer→Leere/空虚。

☆Kは、涙を流し不穏にしているのは、急を要する意図があるためだと謝罪した。教師(空虚)はそれにとりあわないで、

見え難いけど・・・。

2013-04-27 06:39:49 | 日常
 お隣りと言っても、間にマンションが建ち、多少遠くになった感のあるお隣。それでも回覧板は廻ってくるので少なくとも月イチでは顔を合わせるお付き合い。

 スーパーに買い物に行く途中、向こうからカートを引いた人がやって来る(誰かしら・・・)と、信号を待ちながらそれとなく見ていたけど分からない。(向こうもこちらを見ているけど・・・)
 信号が変わり渡ろうとしたら
「こんにちわ」と声が・・・(えっ、知合いだったの?)
 思わず、「やだ、済ましているから誰だか分かんなかったわ」と言ったら
「見えないのよ」と、お隣りさん。
(「わたしも見えないの」と言いかけて、信号に押されるように距離が離れ、言葉にならなかった。


 本当に・・・。お互い、人が歩いているのは分かる。婦人だということも分かる、同じような年頃だと言うこともわかる・・・でも(もしや間違えては)の恐れから手を振ったりの行動には戸惑いがある。

 視力低下は、老眼で文字が見えなくなっただけではなく、遠方のものさえ判別が難しくなってしまった。(がっかり)


 でも、わたしは思う。糖尿病から網膜剥離、当時最新のレーザー手術をしたにも関わらず、盲目になってしまった母のことを思えば今の状態をありがたいとさえ思う。
 見えない母に代わって、わたしがインシュリン注射を打つ朝の恐怖(プレッシャー)を思えば、見え難いなんてことは、何でもないこと。
 65才で亡くなった母を思えば、66才を生きるわたしは、もうおまけの人生だと達観している(向きもある)。