続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

シンプルに、よりシンプルに。

2014-10-31 06:33:33 | 日常
 知らないうちに物が増える、物の山のなかに暮らしている。山を崩して不要なものを捨てようと覚悟して片づけを始めたつもりなのに、どうでもいいようなものに愛着を感じて眺め入り、そこで時間が止まってしまう。

 自分のこれからの時間にこの物は不要だと、きっぱり決別をしたいのに(ちょって待て)と、元に戻してしまう。その上、片付けを始めたときよりも全体の様相が崩れていることがある。
 考えることが面倒になり半ば捨て鉢に、これも要らない、あれも要らない・・・処分しているうちに肝心なものを捨ててしまったことに気づくのは、ずっと後になってからの事。(どうして?)混乱のさなか自分の中の判断が鈍化し、物を見る眼と精神の眼にズレが生じてくる、いわゆるパニック状態である。

 片付けの作業には思いがけないほど過去のデータが鬱積している。
 事物は自分自身の過去を物語っているから、現実と過去の時間が絡み合い冷静な判断を鈍らせてしまうのである。


 結局、読み返さないような本の類や着ることのない衣類の山にうんざりしながらも、再び同じように並び替えるだけになる。この作業に費やしてしまった自分自身の徒労を憐れみ、憔悴してしまう。
 この繰り返しが・・・ああ、やっぱり《捨てる、見ないで捨てる方式》が一番なのだと思いかえす。

 そうして不要物に必要な物を混入し、永遠に放棄するはめになってしまう、この悪循環・・・。
 わたしがこの世から永遠に消え去る日まで、何とか《シンプルに、よりシンプルに!》そう切に願っている。

『ポラーノの広場』495。

2014-10-31 06:21:40 | 宮沢賢治
そして昨日この友だちのないにぎやかなながら荒んだトキーオの市のはげしい輪転機の音のとなりの室でわたくしの受持ちになる五十行の欄になにかものめづらしい博物の出来事をうづめながら一通の郵便を受けとりました。


☆作(こしらえる)化(形、性質を変えて別のものになる)の幽(死者の世界)の講(はなし)は、詞(ことば)が輪(順番に回り)展(ひろがる)。
 隠れているのは悉く需(もとめる)弐(二つ)を悟(理解する)自由な考えである。
 覧(見渡して)魄(たましい)を推しはかる。
 雷(神なり)の事が溢れている。
 二つに融(通じる)弁(言葉遣い)を需(もとめている)。

『城』1782。

2014-10-31 06:13:38 | カフカ覚書
あなたが目をおさましになったら、なにもかも台なしになってしまうだろうと心配しながらも、つぎの瞬間には、あなたが目をさまして、わたしを守ってくださるように、ぱっととび起きて、いそいでろうそくをつけるのです。


☆あなたが現れたらすべてが終わりになると恐れながらも、再び早くもあなたが現れ、わたし(平和)を守ってくださるように、束縛を照らし出すのです。

浅き夢みし。

2014-10-30 06:50:13 | 日常
 ああ、そうか・・・もう六十七年という月日を生きてきたのだと愕然とする。

 忘れたいことが多くて気持ちを押さえつけている節もあるけれど、何かの拍子にズキリと胸を刺すものがある。打ち消しがたい思い出、忘れよう、忘れたい・・・あれは夢だったのだ、悪い夢を見ただけ。

 人生は平等に出来ているというのがわたしの持論であれば、悲観してはいけないと思う。暗さの充満が次の暗さを引きつけるから《なるようになる》という楽観こそが救いの指針であると信じている。
 悟りまではよほど遠い道のりであるし、辿り着く前に死が待っていることは確か。生きることは悟りではない、悟らないからこそ生きるのである。

 あるとき友人が「人生が平等だなんて少しも思わないわ」と言った。「そうね、平等ならわたし達もう少し楽しい人生でも良かったかもね」とわたしも肯いた。
 その友人の訃報を聞いた時、やっぱり平等ではなかったのかと・・・彼女は不平等だと言う気持ちを抱いて亡くなったんだろうか・・・「馬鹿な男に騙されてね」と淋しく笑った横顔を思い出す。
 心が震える、静かなる慟哭。
 突然の終止符・・・。

 常ならぬ世の中を踏み越えて行く。どんなに最悪の人生であっても、一縷の望みである光の存在を信じている。
 人生という浅い夢はいつか霧消する・・・わたしも例外ではない。

『ポラーノの広場』494。

2014-10-30 06:32:11 | 宮沢賢治
そして私はその三年目の仕事の都合でたいとうモーリオ市を去るやうになり、わたくしはそれから大学の副手にもなりましたし、農事試験場の技手もしました。


☆詞(言葉)の太陽の念(考え)は黙っている。
 詞(言葉)の字の図りごとの号(合図)は詞(言葉)に拠り題(テーマ)を学び、復(同じ道を行って帰る)趣(考え)である。
 脳(頭や精神の働き)のより弐(二つ)の詞(言葉)を兼ねる。
 つねに疑う種(たぐい)である。

『城』1781。

2014-10-30 06:22:48 | カフカ覚書
わたしをおどろかすのに、べつに猫があばれたりなんかする必要ないんです。ちょっとした物音がしただけで、どきっと縮みあがってしまうんです。


☆先祖の巨大な排他的社会なんかまったく必要ないんです。氏族のでっちあげた騒音が流布しただけです。

姿勢正しく。

2014-10-29 06:42:22 | 日常
 足は弱り、腰も痛いし、眼も悪い。だから、歩く姿勢もどこか頼り無げでバランスが崩れかけている。胸も折りたたむように前のめりになり思考能力もマイナーに陥りがち。

「大丈夫ですか?」背後から声を掛けられそうな老いの姿に近づきつつある。自然の成り行きと割り切ってしまえば何のことはないけれど、《まだまだ》の未練があって・・・いえ、見栄かもしれない。(してみると、見栄を張るって大事?)

 
 肉体の劣化に精神までも追従することはない。
 心だけは、惨敗・傷だらけの人生であっても折れることなく真直ぐに前を向いて歩く。当たり前のことを当たり前に受け止め、逆らわず、「正しいことだけを考えろ」というカフカの言葉を胸に刻んでいる。
 いつの時も姿勢正しく生きていきたい。すでに自分の条件は出揃っている、その中で生きるべきデザイン設計を思案する。

 著しい忘却力により、約束を忘れ、持物を忘れ、何をしようかまでを忘れかねない昨今、《それでも》の気概だけは失いたくない。人は劣化し、老いるもの・・・波のようにわたし自身の領域を侵食していく負の条件。

《だからこそ》
 姿勢正しく、残された空間を華ある設計にプランしたいと願う。

『ポラーノの広場』493。

2014-10-29 06:34:01 | 宮沢賢治
私はそれからも何べんも遊びに行ったり相談のあるたびに友だちにきいたりしてそれから三年の後にはたうとうファゼーロたちは立派な一つの産業組合をつくり、ハムと皮類と酢酸とオートミルはモリーオの市はもちろん広くどこへも出るやうになりました。


☆詞(言葉)の化(形、性質を変えて別のものになる)で幽(死者の世界)の考えを総(まとめる)談(話し)である。
 幽(死者の世界)の太陽への念(思い)は語(ことば)で留め把(つかんでいる)。
 逸(隠れた)太陽を仰ぎ、蘇(よみがえる)劫(極めて長い時間)には秘(奥深くてはかり知れない)が累(次々重なる)。
 朔(太陽と月が同一方向にある/黒い穴)の太陽で、詞(言葉)による死の講(話し)を推しはかる。

『城』1780。

2014-10-29 06:27:04 | カフカ覚書
それに、猫のことにしたって、猫がわたしをおどろかしたのではありません。ええ、猫ぐらい慣れっこのことだし、酒場で働いていたころは、落ち着かない気持でうとうと居眠りをして、たえず眠りを妨げられるような経験もしていますわ。そうよ、猫がわたしをおどろかすんじゃなくて、自分で自分をはっとおどろかしてしまうんです。


☆それに排他的社会のことだって、排他的社会がわたしを驚かせるのではありません。ええ、排他的社会くらい慣れっこのことで、たえず潜在している不安を経験もしています。排他的社会がわたしを驚かせるのではなく、自分自身に驚かされているのです。