中に犬、犬とも思えないが中にいるのは犬と言っているのだから犬らしい。そしてその飛び方を表示しているという作品。
犬に飛ぶという印象はない。飛び跳ねる、あるいは飛ぶように速く走るという光景は目にすることがあるけれど・・・。
しかし、犬の足四本が地面についていない、つまり飛んでいるという現象は瞬間的だが、確かにある。
重力に逆らって飛ぶ how to fry、異なる鉄の棒三本が犬を吊っているように見える。各三本は同一ではなくそれぞれの形態を持っている。確実性を得るためには、均衡という意味からしても四本が必要なのではと思わせる三本である。しかも形態が異なるということは力に差異があるということで、本来なら犬の身体はバラバラな力を受けるので悲鳴状態である。
上部にある泡の集積は、犬が発するエネルギー量に等しいのかもしれない。しかし、ひどい重圧として設えてある。故に自己(犬)のエネルギーは、むしろ喘ぎのようにさえ感じられるのである。
空中であれば浮力という支えはない。
犬の飛ぼうとするエネルギー量が重力を越えた時、『飛ぶ』という現象は成立する。
犬が飛ぶときのエネルギーの発散量、空気を押しのける振動の固定化。飛ぶためにはこれだけの抵抗と重圧に勝るエネルギーを必要としている、というあくまで憶測である。
若林奮は、見えない空気振動のエネルギー量を推しはかりながら対象物の存在を測っている。見えない存在とのせめぎあいの質量を測っている。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮』展・図録より)
犬に飛ぶという印象はない。飛び跳ねる、あるいは飛ぶように速く走るという光景は目にすることがあるけれど・・・。
しかし、犬の足四本が地面についていない、つまり飛んでいるという現象は瞬間的だが、確かにある。
重力に逆らって飛ぶ how to fry、異なる鉄の棒三本が犬を吊っているように見える。各三本は同一ではなくそれぞれの形態を持っている。確実性を得るためには、均衡という意味からしても四本が必要なのではと思わせる三本である。しかも形態が異なるということは力に差異があるということで、本来なら犬の身体はバラバラな力を受けるので悲鳴状態である。
上部にある泡の集積は、犬が発するエネルギー量に等しいのかもしれない。しかし、ひどい重圧として設えてある。故に自己(犬)のエネルギーは、むしろ喘ぎのようにさえ感じられるのである。
空中であれば浮力という支えはない。
犬の飛ぼうとするエネルギー量が重力を越えた時、『飛ぶ』という現象は成立する。
犬が飛ぶときのエネルギーの発散量、空気を押しのける振動の固定化。飛ぶためにはこれだけの抵抗と重圧に勝るエネルギーを必要としている、というあくまで憶測である。
若林奮は、見えない空気振動のエネルギー量を推しはかりながら対象物の存在を測っている。見えない存在とのせめぎあいの質量を測っている。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮』展・図録より)