西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ
☆済(救い)を募(広く求める)。
講(話)は等(平等)、即ち普く難(苦しみ)を止めることが腎(重要)である。
この考えを黙っている。
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ
☆済(救い)を募(広く求める)。
講(話)は等(平等)、即ち普く難(苦しみ)を止めることが腎(重要)である。
この考えを黙っている。
小サナ萱ブキノ
小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
☆章を換(入れ替えると)照(あまねく光が当たる=平等)也。
等(平等)を描く記でありであり、講(話)を換(入れ替えても)平(平等)である。
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヤウニ入レズ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
☆魅(もののけ)は蘇(よみがえり)也。
済(救い)を需(必要とする)也。
現れる章(文章)には倫(人の行うべき道)が隠れている。
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
一日はイツ・ジツと読んで、逸、実。
玄米はゲン・マイと読んで、現、邁。
四合はシ・ゴウと読んで、死、劫。
☆逸(隠れている)化(教え導くこと)が現れる。
邁(止まらずに遠くに進んでゆく)死の劫(きわめて長い時間)がある。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ瞋ラズ
☆有(存在、苦しみと迷いに満ちた生存状態)を、普く説(話)で化(教え導き)書いている。
常(いつも)訃(死去の通知)には抑(気持ちが沈んでしまう)。
訣(人との別れ)は、辛い。
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらにみじんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
☆測(予想して)迫る。
拝(敬い尊敬して)告げる。
薀(奥義)を化(教え導く)講((話)である。
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しずかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
☆総て二つの講(話)を混(一緒に)兼ねている。
納(受け入れる)二つが現れる。
兼ねた皆(すべて)の章(文章)は、照(あまねく光が当たる=平等)を帳(書きつけたもの)である。
照(あまねく光が当たる=平等)を説(主張する)衆等(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから)である。
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気圏いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ
☆字を自由にすることを普く計(もくろんでいる)。
総て真(まこと)を審(つまびらかにする)章である。
記は双(二つ)を展(広げる)律がある。
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
☆換(入れ替えて)転(ひっくり返す)。
腕(能力)をもって克(力を尽くす)。
黙って群(その集まり)を絡(つなげる)と、掩(隠した)詞(言葉)になる。
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥
日輪青くかげろへば
衆等は樹林に交響し
☆(美しい球/太陽の髄(中心)、薀(奥義)である諦(真理)葉は俊(優れている)。
弔(死者を弔い)化(教え導く)倫(人の行うべき道)は、照(あまねく光が当たる=平等)である。
衆等(みんな/みんなの中のわたし)は寿(命)を吝(惜しむ)考えを供(述べている)。