続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『高級の霧』(『春と修羅』/『グランド電柱』より)

2018-06-29 07:10:48 | 宮沢賢治

  こいつはもう
  あんまり明るい高級の霧です
  白樺も芽をふき
  からすむぎも
  農舎の屋根も
  馬もなにもかも
  光すぎてまぶしくて
   (よくおわかりのことでせうが
    日射しのなかの青と金
    落葉松は
    たしかにとどまつに似て居ります)
  まぶし過ぎて
  空気さへすこし痛いくらゐです


☆冥(死後の世界)の講(話)である。
 究める謀(はかりごと)を吐く。
 過(あやまち)に我(わたくし)は悩む。
 赦(罪や過ちを許す)を憶(思う)魂(精神)の場の講(話)である。
 科(とが)の赦(罪や過ちを許す)償(つぐない)の魂に烙(焼き金を当てる)のは陽(日の光)の照(あまねく光が当たる=平等)である。
 字に拠り和(争いを治める)空(根拠がない)記は二つある。


🈞マグリット『恋人たち』

2018-06-29 06:31:13 | 美術ノート

   『恋人たち』

 頬を寄せ合う男女…恋人でなく恋人たちとタイトルしている。恋人たちはおよそこのようなものだということだろうか。
 二人の顔は白い布で被われている。お互いの表情は見えない、知らない状況を暗示している。
 顔(頭部)には多くの情報が潜んでいるが、知らぬ同士であり秘密を抱えた二人が、何らかのきっかけで体を寄せる関係になっている、即ち恋人と称する状態である。

 デュシャンの《花嫁》もそうであったが、この《恋人たち》というものも、仮の状態であって、確信めく実体というものは無いのである。
《関係性》
 背景の山は緑色ではあるが勾配のある斜面、微妙に普通ではない急降下(不穏)を暗示している。
 その向こうの海に至っては、二人の顔によって遮られているが、水平ではなく左へ傾いている。
 高い山に立ち、静かに愛を育む恋人。しかしどこかに破調の空気がないともいえない。

《愛》に対する不信である。
 超えて行くほどの覚悟はあるか。
 世界で一番というほどの高揚は、狭い室内の領域くらいの世界かもしれない。
『恋人たち』はマグリットの洞察である。

 

写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『城』2975。

2018-06-29 06:12:14 | カフカ覚書

ぼくは、あの一家にたいするきみの嫌悪がよくわかるし、自分でもおなじ思いがしている。ぼくがあそこへ行くのは、用事のためにすぎないんだ。利用するばかりで、かえって迷惑をかけているのじゃないかという気がときどきするくらいだよ。


☆わたしは、あの一族にたいする嫌悪が理解できるし、その思いを共有している。わたしが、あそこへ行くのは事件のためで、利用し尽すのは間違っているかもしれないと、時々感じている。


余禄の人生に感謝。

2018-06-28 07:20:42 | 日常

 七十過ぎまで生きているとは思わなかった。
 眠る間もなく忙しかった日々、ぐしゃぐしゃの紙屑状態…これから先の展望なんてありはしない…そう悲観し諦めていた。
 まさかの余禄。
 ブログで自分の感想を発信できる日が来るなんて想像だにしていなかった。

 足腰弱り、目も定かでない。記憶も瞬時忘却の彼方。
 それでも何とか生きている。
 暇そうに見えるお婆さん・・・これでもね、結構忙しいんだよ。


『印象』

2018-06-28 07:04:22 | 宮沢賢治

    印象

  ラリツクスの青いのは
  木の新鮮と神経の性質と両方からくる
  そのとき展望車の藍いろの紳士は
  X型のかけがねのついた帯革をしめ
  すきとほつてまつすぐにたち
  病気のやうな顔をして
  ひかりの山を見てゐたのだ


☆章(文章)は黙っているが、真(まこと)を詮(明らかにする)芯(中心)の計(はかりごと)がある。
 照(あまねく光が当たる=平等)は死地の霊(死者の魂)の法(神仏の教え)である。
 転(ひっくり返る)謀(はかりごと)は、赦(罪や過ちを許すこと)であり、乱れを審(正しいかどうかを明らかにする)詞(言葉)を計(はかる)他意を書く。
 平(平等)が基(物事のもと)であり、眼(要)は太陽が源(物事の生ずる元)である。


🈞マグリット『出現』④

2018-06-28 06:43:18 | 美術ノート

 定着を描いていない。浮遊状態、流動の認識である。
 在る、が固定(不変)であるか否かは断定できず、流れの一端《現象》にすぎない。

 わたし達が永遠と信じて(あるいはそう信じたい)いる世界をずっと引いてみる。宇宙的視野を基点としたらこの現世(人間世界=地球)は、どう映るのだろうか。

 記号のようなうごめき、確かに存在は認められる。
 あの辺りには水というものがあって、どうやら生命体が出現しているらしい。輝きを持った連鎖は、確信と分裂に揺れている。平和と不穏(戦争)…絶滅・最後の日はあるだろうか。
 今はただ、『出現』の祭りに騒がしいが、遠隔の宇宙から見れば、単なる現象にすぎない。
 しかし『出現』は奇跡であり、わたし達はその最中に生きている。


写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『小岩井農場』㊼

2018-06-28 06:21:47 | 宮沢賢治

  遠くの縮れた雲にかかるのでは
  みづみづした鶯いろの弱いのもある……
  あんまりひばりが啼きすぎる
    (育馬部と本部とのあひだでさへ
     ひばりやなんか一ダースできかない)


☆掩(おおわれた)宿(前世)からの運(巡り合わせ)がある。
 奥(おく深いところ)の二役の他意は、幾(いくつか)の眼(良し悪しを見分ける)で部(区分けする)。
 翻(形を変えて移し)捕らえる。


『城』2974。

2018-06-28 06:10:14 | カフカ覚書

きみがあの一家のことを口にするのをいやがるのとほとんどおなじくらいに、ぼくは、助手どものことを口に出すのがいまいましいんだがね。まあ、きみと助手どもとの関係をぼくとあの一家との関係とくらべてみたまえ。


☆きみがあの一族のことを警告するのと同じくらい助手どものことを警告するのが不快なんだ。きみとあの一族との関係はどういう事情なんだ。


『高原』

2018-06-27 07:15:29 | 宮沢賢治

    高原

  海だべがど おら おもたれば
  やつぱり光る山だぢやい
  ホウ
  髪毛 風吹けば
  鹿踊りだぢやい


☆ 講(話)が現れる

 皆(すべて)の講(話)は、太陽を初(最初/基)としている。
 孟(最初)は、普く推しはかることである。
 化(形、性質を変えて別のものになること)が、要(かなめ)である。