『女盗賊』
女だろうか、幅広の肩は男のようでもある。上半身に比して下半身は脆弱というか短い。上半身が大きいのは箱の蓋を全身の力を込めて抑えていることを強調したものかもしれない。
(この黒魔人は「オサガメ」のキメラを感じさせる)
不穏な怪しい空気が漂う背景、床面・木の箱・二つの白い箱・レンガ模様も見える…一応ここは現世らしいが、あの世への通過点にも見える。とすれば木の箱は棺であり、二つの箱は副葬品かもしれない。
黒魔人はあの世からの使いであり、現世の人を盗んでいく盗人である。
絶対開けてはならない箱は、不可逆の時空である。
宮沢賢治にも『ぬすびと』という詞がある。
青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聞く
『水仙月の四日』も、「今日は水仙月の四日だもの」といって赤い毛布の子供をあの世に連れていこうとする話がある。(水仙の咲くころは四日の月が、地上から垂直に舟の形になることから三観音が迎合すると考えられ、冥府の祭りなのだという私的解釈の元)
『女盗賊』とは、現世の人をあの世に連れていく盗人だと思う。
マグリットは、亡母を運び去ったのが男であってはならないという思いが女と名付けたのではないかと察する。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
橋の上は人でいっぱいで河が見えませんでした。白い服を着た巡査も出てゐました。
☆『教(神仏のおしえ)は、照(あまねく光が当たる=平等)である』という図りごとの講(はなし)が現れると吐く。
複(二つ)の記が準(用意してあるから)差(違い)を推しはかる。
「解説はよしてください。いったい、あんたは、どうしてそんなにアマーリアの言いなりになるようになってしまったのですか。あの大きな災難が起こるまえからそうだったのですか。あの大きな災難が起こる前からそうだったのですか。それとも、あの事件があってからですか。アマーリアの言いなりにはなるまいという気を起こすことはないのですか。
☆「説明はやめてください。なぜ彼女に依存しているのですか。大きな災難が起こる前からそうだったのですか。拘留の小舟からですか。汚点に縛られないという気持ちはないのですか。
『嵐の装い』
ここはどういう処なのだろう、左右には壁らしき遮蔽がある。
相当に高い天井なのか天井などないのかは分からない空間であり、床面は赤茶色でフラットある。
室内とも屋外とも不明なこの空間は海に続いているように見えるが、よく見ると、直線で区切られている。あたかも続いているように見える海は嵐の様相を呈し、至近には難破船が漂流している。
切り込みを入れられた薄い人型状のものは、床面に対し起立している。影が海側にあるということはこちら(手前)に光源があるということであるが、嵐の海に比し風を感じない。
つまりは、時空が二つあるということであり、こちら(冥府)とあちら(現世)の相違であると解釈できる。
幾つかの人型は嵐の海を危惧しているように見えるが、あちら(現世)の海(難破船)からこちら(冥府)にやってきた死者の霊かもしれない。
人型のものは、人らしく想像できる形をした《精神》であり《人魂》である。
『嵐の装い』とは、現世の嵐を潜り抜けてきた着衣という意味であり、質素(素朴)と思えるこの形を、装いと称しているのは《死者に対する敬意》ではないか。華美なまでに美しいと、その精神を崇めているのだと思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
ちなみに『喜劇の精神』でも同様の人型であるが、この場合は死者ではなく《わが身を殺して笑いを取る》その精神ということだと思う。それほどに凄まじいものが喜劇の精神であると・・・。
ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。
☆謀(はかりごと)を注(書き記す)。
教(神仏のおしえ)、法(仏の教え)が総てである。
あの子の言うことを正確に理解するのは、容易ではありませんわ。本気で言っているのか、皮肉なのか、わからないことがよくあるんですもの。たいていは本気なんですが、皮肉に聞こえるんです」
☆それを正確に理解するのは容易ではありません。深刻に言っているのか、反語的に言っているのか、しばしば見えてこないんです。たいていは深刻なんですが、反語的に聞こえるんです。
『喜劇の精神』
人を笑わせながら、人生の真実を表すという精神。
人の形をした薄い紙状のものには、折り畳んでで刻みを入れた孔が各所無数にあり、本来、起立は困難である形状にもかかわらず立ちポーズである。
物体を通して向こう側が見える、透明ともいえる存在である。
刻まれた形状は、明らかに人為的な工作の跡であり、この物が人為的な傷(艱難辛苦)を受けても尚立ち向かう姿勢を表している。生きることで自ずとできた苦渋の傷跡かもしれず、また生きた証であり、誇りを含む喜怒哀楽の複合的な形跡かもしれない。
経験値である。
そのものが傾斜のある坂を下ろうとしているのか、上がろうとしているのかは不明であるが、そのものの影を見ると床面で途切れている。つまりバックは安全な壁ではなく、故知らぬ虚空である。したがってこの者の立っている場所が非常に危険な断崖絶壁である可能性も否定できない。
まるで安穏に見える立ち位置も一瞬先の危機を孕んでいるということである。
喜劇の精神は確かに潜んでいるが、実態は見えない。
淡い希望(バックの彩色)、土着の存在基盤(床面の彩色)の中の吹けば飛ぶような量感の薄い存在、仮の時空の幻影のような存在が『喜劇の精神』のあり様だと言っている。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
「こどもが水に落ちたんですよ。」一人が云ひますとその人たちは一斉にジョバンニの方を見ました。
☆推しはかると、絡(つながり)があり、逸(かくれた)図りごとが運(めぐらせてある)。
腎(かなめ)は逸(隠れているが)、済(救う・助ける)法(仏の教え)が現れる。
「アマーリアが話していた若い男というのは、だれのことですか」と、Kはたずねた。
「知りませんわ」と、オルガは答えた。「ブルーンスヴィックのことかしら。でも、全部はブルーンスヴィックにあてはまらないようですけど、もしかしたら、べつの人のことかもしれません。
☆彼女が話していたのは、この若い男(新しい人)のことですか。ブルーンスヴィックでしょうか、でも完全には一致しないようです。もしかしたら、先祖の結末(死)かもしれません。