続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)濫伐の。

2021-06-30 07:08:57 | 飯島晴子

   濫伐の谷りんだうを焚く知人

 濫伐はラン・バツと読んで、覧、末。
 谷りんだう(谷林道)はコク・リン・トウと読んで、酷、淪、蕩。
 焚く知人はエン・チ・ジンと読んで、縁、痴、人。
☆覧(見渡すと)末(最後)には、酷(はなはだしく)淪(落ちぶれて)蕩(すっかり無くし)縁(つながり)を置(始末した)人がいる。

 濫伐はラン・バツと読んで、濫、伐。
 谷りんだう(谷林道)はコク・リン・ドウと読んで、哭、霖、道。
 焚く知人はエン・チ・ジンと読んで、縁、地、尽。
☆濫伐を哭(大声で嘆き悲しむ)。
 霖(雨が何日も降り続くと)道の縁(ヘリ)の地(土地)が尽(すべて無くなってしまう)。

 濫伐はラン・バツと読んで、乱、罰。
 谷りんだう(谷林道)はコク・リン・ドウと読んで、酷、倫、導。
 焚く知人はエン・チ・ジンと読んで、援、知、人。
☆覧(秩序が立たない)のを罰(こらしめるのは)酷(むごい)。
 倫(仲間)を導き援(たすける/ひきいれる)知人(知り合い)である。


D『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』

2021-06-30 06:28:38 | 美術ノート

   『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
 レディ・メイド:鳥かごに入れられた152個の角砂糖型大理石、温度計、イカの甲。

 鳥かごはまさしく拘束であり、社会制度、規律である。その中の152個の角砂糖型大理石は、同じ思考、観念・常識を持つ人たちかもしれない。
 温度計はその異常な暑さ、熱気を測るものとしての皮肉。
 イカの甲は《死》、人は常に死と隣り合わせであり、死には抗えない恐怖と威圧が潜んでいる。イカの甲(死)だけが鳥かご(拘束・社会制度・規律・約束etc)から半分実を突き出している。

 イカの甲(死)は、鳥かごに収まらない。つまり自由である。イカの甲(死)は固定観念に窮する人に手を差し伸べている、誘ってさえいる。鳥かごの外は自由が溢れているが、生きる(生活)保障を期待できない。
 しかし、鳥かごは決して閉塞ではない。しかし、多くはこの中に安息を求め、知らず知らずに同じ傾向の型に馴染んでいく。

『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
 なぜ、世界は気づかないのだろう。本当の自由に!


 写真は『DUCHAMP」www.taschen.comより


『飯島晴子』(私的解釈)山中に。

2021-06-29 07:01:47 | 飯島晴子

   山中に紅茸のこり眠気見え

 山中はセン・チュウと読んで、専、知友。
 紅茸のこり(紅茸残)はコウ・ジョウ・ザンと読んで、恒、杖、暫。
 眠気見えはミン・ケ・ゲンと読んで、眠、気持、厳。
☆専(一つのことに集中して行う)知友は、恒に杖(鞭うつ)。
 暫(わずかな時間)に眠り、気(きもち、気配)は厳しい。

 山中はサン・チュウと読んで、三、註。
 紅茸のこり(紅茸残)はコウ・ジョウ・ザンと読んで、講、常、竄。
 眠気見えはミン・キ・ゲンと読んで、憫、記、現。
☆三つの註(意味を書き記す)講(話)の常、竄(文字・文章を入れ替えると)、憫(下心)の記が現れる。

 山中はサン・チュウと読んで、惨、衷。
 紅茸のこり(紅茸残)はコウ・ジョウ・ザンと読んで、荒、状、竄。
 眠気見えはミン・キ・ゲンと読んで、民、危、現。
☆惨(いたましく思う)衷(心の中)、荒(でたらめな)状(ありさま)に竄(逃げ隠れする)民(みんしゅう)の危(安定しない)現(現今)がある。

 山中はセン・チュウと読んで、戦、中。
 紅茸のこり(紅茸残)はコウ・ジョウ・ザンと読んで、講、常、残。
 眠気見えはミン・キ・ゲンと読んで、民、飢、厳。
☆戦中の講(話)は常に残(むごい)。
 民(民衆)は飢え、厳(容赦なく厳しい状況)だった。


『国道の子供たち』12。

2021-06-29 06:26:07 | カフカ覚書

誰かが窓の外からぼくになにかを訊ねると、ぼくは山脈を、あるいはたんに空気を見るように、その人をみつめた、彼にとっても答えはそれほど重要ではないのだった。


☆誰かが食(霊界の入り口)の外から何かを問うと、遺骨あるいはそのままの空気を見るようにそれを見つめた。多くは死ではなく、計画(もくろみ)だった。

 


『飯島晴子』(私的解釈)早朝の。

2021-06-28 07:08:50 | 飯島晴子

   早朝の声おとろふる榠樝かな

 早朝はソウ・チョウと読んで、総、調。
 声おとろふる(声衰)はショウ・スイと読んで、衝、出。
 榠樝はメイ・サと読んで、明、査。
☆総てを調べると、衝(重要なところ)が出(現れる)。
 明(疑いなく)査(あきらかにする。

 早朝はソウ・チョウと読んで、層、帳。
 声おとろふる(声衰)はショウ・スイと読んで、章、遂。
 榠樝はメイ・サと読んで、迷、作。
☆層(幾重にも重なる)帳(ノート)で、章を遂(やりとげる)。
 迷(判断がつきかねるもの)を作る。

 早朝はソウ・チョウと読んで、霜、蔦。
 声おとろふる(声衰)はセイ・スイと読んで、勢、衰。
 榠樝はメイ・サと読んで、命、嗟。
☆霜で蔦の勢いが衰えてしまい、命(運命)を嗟(嘆いている)。

※カリンポリフェノールには抗酸化作用があり細菌やウィルスによるのどの炎症を鎮めてくれる。(花梨の実を焼酎につけ薬用とする)


若林奮『Valleys(2nd stage)』2。

2021-06-28 06:25:52 | 美術ノート

 遥かに続くはずの道の両壁は勾配がきつく、常人が気軽に上ることは不可能である。地層ではないが何かの突起や接合部分があり、フラットではない両壁である。
 つまりは人は谷底を進むしかなく、両壁は閉ざされ、空の解放があるのみである。わたしたちは世界は広く開放されていると思いこんでいるが、すでに通過してきた道を背にして目の前に用意された(運命)の道を行くしかないのである。換言すれば、それが私的な世界であり、客観的な世界は確かに存在するが全体を把握実感するわけではない。

 作品は、もう一方にも酷似した道が用意されている。二本の道は相互に同じ関係で成り立っているものであるが、行き来は出来ず、存在しているという事実があるだけである。
 決して《円環》ではない《二本の通路》なのであり、この切断に接合は望めない。酷似した世界があるという想定である。

 過去・現在・未来は一本の道である。それに等しく《The other world》があるという想定は、生死を別けているかもしれないし、まったくの異世界の設置かもしれない。
 見えている道は見えていない道の何らかの振動によって時空を醸し出しており、存在は空無(非存在)との共犯関係によって成立している時空である。
 この二本には決して連鎖はない。


 写真は若林奮『VALLEYS』展より 横須賀美術館


『飯島晴子』(私的解釈)石庭や。

2021-06-27 08:32:18 | 飯島晴子

   石庭や十一月の赤子抱く

※石、岩、砂の美を究めた簡素な、しかし寒々しい庭。これから寒い冬に向かう十一月。赤ん坊よ、(無事に育て)と祈りを込めて抱いている。

 石庭はシャク・テイと読んで、釈、態。
 十一月はジュウ・イツ・ガツと読んで、自由、溢、合。
 赤子抱くはセキ、シ、ホウと読んで、晰、詞、逢。
☆釈(意味を解き明かす)態(ありさま)は自由が溢れている。
 合わせると、晰(明らかになる)詞(言葉)に出会う。

 石庭はセキ・テイと読んで、戚、程。
 十一月はジュウ・イツ・ガツと読んで、従、逸、合。
 赤子抱くはセキ・シ・ホウと読んで、籍、使、胞。
☆戚(身内)の程(きまり)に従うことが逸(隠れている)。
 合(一緒)の籍(戸籍)を使う胞(同胞)である。

 石庭はシャク・テイと読んで、綽、邸。
 十一月はジュウ・イツ・ガツと読んで、住、逸、合。
 赤子抱くはシャク・シ・ホウと読んで、借、師、放。
☆綽(ゆったりと落ち着いている)邸(やしき)に、住まいと逸(気楽/俗から抜け出している)を合わせて借りている。
 師(先生)は放(思いのままにしている)。


鈴木しづ子(私的解釈)親のこと。

2021-06-27 08:19:03 | 鈴木しづ子

   親のことかつておもはず夾竹桃

 一人で育ったような顔をして、親は親、わたしはわたし。傲慢にも思いのままに過ごした娘時代。耳を傾けることもなかった苦言、当たり前のように受け入れていた養育保護の任・・・親の袖にぶら下がっていたという自覚の欠如。

 情けないねぇ、不徳の致すところ…今頃気づくなんて。ごめんなさい、まったく夾竹桃だよ。平凡な樹の平凡な花、なのに毒がある。猛毒を孕んだ夾竹桃、コンチキショウなわたし。