続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『深淵の花』

2015-05-31 07:37:34 | 美術ノート
 暗い画面に奇妙に光る鉄の鈴・・・山あるいは岩というより精神の深み、暗黒の計り知れないほどの深淵。

 しかし、花と名付けている。葉はあり得ない形で花を囲んでいる。イキイキと広げられ、堅く伸びた厚みのある緑葉は造葉の態である。この植物の基本を外した花の有り様はいかさま以外の何物でもない。

 光る鉄の鈴、これは人の口に上る噂、戯言、浮言、浮説、流言、嘘、策略・・・そういう類を象徴している。この花々が密やかにも手の届かない察知不可能な深い闇の中で今を盛りと咲き誇っている。

 美醜も棘も定かではないが、確かに暗躍し賛同の士を集めて声を放っている。明らかに人為的な策謀を有し結託した鉄の花である。
 抗う術が見つからない。距離と正体が明確に測れず、崖上にあるのか、沼底にあるのかさえ不明である。

 鉄の鈴は口を開いている、大きく開いていないが噤んでもいない。小さな声が、集合して大きな波動を起こす。
 口さえ閉じれば、球体は真理の象徴であり、永遠をも示唆する。しかし、この球体は明らかに口を開いている、あたかも真理を装い、これが真実だと声を上げているかのようである。
 得体のしれない社会の闇、個人的にも社会的にもフラクタルに存在するであろう「深淵の花」である。


 そして、それを凝視しているマグリットの眼差しが作品の前に厳然と在る。

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『冬のスケッチ』124。

2015-05-31 07:20:30 | 宮沢賢治
四五   かなしむこゝろまたさびしむ。
     江釣子森とでんしんばしら。
          ※
     くらいやまとでんしんばしら
     ラリックス。
          ※
     そらの青びかりと酵母のくも
     まことにてなみだかわくことあり。
          ※
     やまそそのかれくさに
     うすびうづまき
     黒き楊の木 三本あり。
          ※
     げにもまことのみちはかゞやきはげしくして
     行きがたきかな。行きがたきゆゑにわれと
     どまるにはあらず。おゝつめたくして呼吸 
     もかたくかゞやける青びかりの天よ。かなし
     みに身はちぎれなやみにこゝろくだけつゝ
     なほわれ天を恋したへり。


☆講(はなし)を調(ととのえる)詞(ことば)を審(正しいかどうかを明らかにして)吟ず。
 照(あまねく光が当たる=平等)の考えを簿(ノート)に告ぐ。要は黙っている。
 惨(むごさ)を翻(ひるがえす)考えの講(はなし)は己(わたし)の究(つきつめた)章(文章)で転(ひっくりかえす)。
 実(なかみ)を展(ひろげ)、連(並べてつなげる)。

『城』1978。

2015-05-31 07:01:39 | カフカ覚書
どんなことでもそうだというのではありません。なにもわたしは、あなたがあらゆる点でお内儀さんの言い分の正しさを立証していらっしゃる、とまで主張するつもりはありません。


☆どんなことでもというのではありません。言葉のすべてを立証すると主張するつもりはありません。

マグリット『説明』

2015-05-30 06:50:55 | 美術ノート
 人参とガラス瓶。
 左の方は平面的な暗色のバック、石のブロックの上に置かれた人参とガラス瓶、双方一体化したものの三つの影は置かれた石の上に落ちているが、バックは壁とは考えにくく、空漠感がある。
 右の方はバックには連峰と暗色の空、ガラス瓶と双方一体化したものの影は置かれた台で切れているおり、連峰に並ぶ高さの台は絶壁を暗示している。

 ガラス瓶と双方一体化したものは、擬人化している図ではない。
 異なるものとの一体化、合体にはローレライの人魚(下半身は魚)やケンタウルスの下半身は馬というものがあるけれど、どちらも人間であることが優位であり、人魚には人間になりきれない悲哀、ケンタウルスには強力な馬力という戦闘的な意味がある。

 しかしこの作品から悲哀や戦意は感じられない。意図が不明である。
 有り得ない合体から前向きな意味を生じていない。『無為』なのである。

 ガラス瓶は人参と合体することでガラス瓶の機能を失い、人参も然り、食用の態を失っている。二つの物の特性を消滅させている作意はどこにあるのか。合体の意味や効果はなく、むしろ減退というより、存在価値を見い出せなくなっている。


『説明』と題している。『無為、徒労、愚、滑稽の説明』を丁寧に表示しているのではないか。空虚よりも劣る存在の無謀を描いたマグリットの皮肉である。(現実にある、無意味なものを平然と結びつけている不条理の横行、それらへの説明かもしれない)

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『冬のスケッチ』123。

2015-05-30 06:37:42 | 宮沢賢治
  灰いろはがねのいかりをいだき
  われひとひらの粘土地を過ぎ
  がけの下にて青くさの黄金を見
  がけをのぼりてかれくさをふめり
  雪きららかに落ち来れり。
      ※
  トウコイスのいた
  くもをはけば


☆解(部分部分に分ける)年(考え)を図る。字の化(形、性質を変えて別のものになる)で解(分かる)。
 照(遍く光はあたる=平等)の考えは金(尊い)。
 兼ねた説(意見/主張)の絡(筋道)を記している。

『城」1977。

2015-05-30 06:24:30 | カフカ覚書
あなたがわたしを信頼してくださらないんだから、わたしのこころに不信の念がきざしたって、どうしようもないじゃありませんか。わたしを信頼してくださらなければ、わたしをすっかりお内儀さんにまかせておしまいになったも同然じゃありませんか。あなたは、どうやらご自分の態度によってお内儀さんの正当さを立証していらっしゃっるようね。


☆あなたがわたしを少しも信用してくださらないならば、不信の念をきざしてもどうしようもないじゃありませんか。私を信用してくださらないならば、すっかりお内儀さん(言葉)にまかせてしまったのも同然です。あなたの抑圧によって言葉の正当性を承認しているのですから。

無駄な心配/杞憂。

2015-05-29 06:44:49 | 日常
 ついさっきの事が思い出せない。それどころか、今わたしは何をしようとしたのかさえ分からず戸惑うことがある。
(まずいな、これが認知症の始まりなのだろうか)不安が過る。

 粘土で作った仏様の顔をひっくり返すと、(平成3年)という記入。今が平成27年だから24年も前に作ったのかと唖然とする。

 月日が経つのは早い。何か寝ぼけているうちに自分は置いてきぼりにあっているような気がする。乗り遅れた電車を見送って次はいつ来るのかわからない電車を待っている。

 ずっと待っている…何か楽しいことはないかと。他力本願、他人思考の舟に乗せてもらう意志薄弱な行動。

≪本当の自分はどこにいるのだろう≫
 68年の月日を経て肉体は明らかに衰えを見せ、支えがないと歩けないほどである。その支えの欠落、どこをどう彷徨っているのか自分の位置を確認できない。
 歩いているというよりは流され漂流している感覚である。

 昨日は梅酒を漬けたけれど、瓶は昨年の梅酒が梅を出していないままだった。漬ける意味のない行為、にもかかわらず例年通りをあえて実行せずにはいられない。
 それから図書館へ行ったけれど、整理日のため休館・・・それからスーパーへ行き、・・・ひとつ思い出すと連鎖して記憶が戻る。(まだ大丈夫かもしれない)弱々しく肯いて昨日という日を追想。


 若いうちは日々の生活に追われて、自分を顧みる余裕がなかっただけかもしれない。年を取って自分自身を疑う余裕は削除してもいい無駄な時間であるけれど、それだけ間延びした時間を生きている。
 為すべきは山積しているのに、それを無視してただボオッとしている。

(もう少し、あとちょっと)と、苦笑いをしているけれど、案外長い時間になってしまったら(どうしようか)と、無駄な心配をしている。

『城』1976。

2015-05-29 06:16:42 | カフカ覚書
このいやな名前をあのときわたしにはわからない理由から口になさったとおなじようないとおしさをこめて、一度でもいいからわたしの名前も読んでほしかったわ。


☆どうしてあの時、このいやな名前(死の入り口)をわたしには不可解な理由から叫んだのか、同じように愛おしさをこめてわたし(平和)の名を呼んでほしかった。

三浦半島の歴史3。

2015-05-28 06:43:09 | 博物館講座
[稲村先生の授業]  

(縄文~弥生~古墳)

「つまり三浦半島というのは、西から東、あるいは東から西への文化の伝達における海路の≪中継地≫だったということです。千葉の市原や東京湾の奥である荒川や埼玉への中継地、ハブ港だったわけです。また、有力者が出現するような場所でもなく、周囲は海に囲まれていますから、当時の技術では稲作ということも考えられなかったわけです。
 弥生時代の中ごろの時期までは交流を示すものが出ておりません、いわゆる停滞期です。

 弥生の中期以降になりますと三浦の赤坂遺跡、小矢部の蛭田古墳などがあります。小田原などでは瀬戸内の土器が出ていますが西から集団でやってきた人たちが稲作(水田)を作り定着していったようです。佐原の泉遺跡では破片(二片)が出ています。
 新潟の人が遠路はるばる山を越えて伊勢原へやって来て土器を作っています、単発的ではありますが釜戸を作ってもいます。

◎方形周溝墓/周囲に溝を掘り、掘った土を中に入れる。(中期以降副葬品として鉄剣が出ている)
 ①一つの墓に幾つかを埋める/共同体→集団の中で選ばれた人→単独→発展≪王の墓≫
 ②土壙墓
 ③木棺墓/三崎/水戸浜
 山梨県の上の台、上の原台地には一辺が35メートルもある方形周溝墓があります。(通常は一辺10メートル前後)
 弥生後期になっても方形周溝墓を作っていますがその間墓を作らなくなったりもしています。
 九州などでは後期あたりから始めたようです。それまでは甕棺墓や墳丘。(奈良や大阪)
 壺棺墓/北関東や東北に見られます。(一つの穴に幾つもの遺体)

 集落全体を囲み溝を掘った例もあり(外部からの侵入や中の人の逃亡を防いだ)溝の淵に3メートルもの土手を築いたものもあります。また意味不明(目的の不明確)のものもあったようです。(単に模倣である可能性もあった)

 千葉全体では100年くらいの間に方形周溝墓が出ています。
 佐島(三浦半島)の方形周溝墓(一基)からはガラスの勾玉や鉄剣が出ています。八幡神社の方形周溝墓は4世紀後半のものです。
 平原弥生古墳の方形周溝墓からは鏡(鋳型で作られた鏡)が十何面も出ています。

◎前方後円墳
 高部(鏡が出土)神門(鉄/やじり)
 奈良・纏向/卑弥呼の館がある場所。(直径60メートル、高さ10メートル)

 大和(おおやまと)三輪神社(200~300メートルの大きな古墳)


◎S字溝縁台付甕/粒の粗い雲母がキラキラしている。砂(四日市の砂)をつけています。
 大陸~九州~畿内。東海の人が集団で移動。
 S字があるということは煮炊きをした形跡があるということで生活をしていたということが伺えます。


『土器』
 朝鮮半島の土器を渡来人が伝えましたが定着はしなかったようです。
〈製鉄〉鉄を作るのではなく製器生産(仁徳/国立機関で作らせた)→日本中に供給されている/量産体制

 陶器/釉をかける。(粘土)
 掛けないもの、自然/須恵器(自然釉)灰は珪質(ガラス質)なのでガラス化して釉のように付着したものです。

 磁器(ガラス質を含んだ石)有田・瀬戸周辺の二か所のみ。


☆三浦半島はこれら文化の中継地、面でなく線でつながるネットワークだったわけです。

 郡司~群寺/影向寺(ようこうじ)7~8世紀初め。
 地域ごとに作り、財政上、お堂が一つしかない箇所もあった(例/大津廃寺)

 黄金・白銀・銅・石(ヒスイ)
 青磁(磁器/ガラス質)を真似て陶器(粘土)に緑色を掛けたものがある。

 宗元寺→曹源寺(8~9世紀の窯跡)・岩戸/満願寺(瓦を焼く技術)
 小矢部では土器を焼いた窯跡が見つかっています。

 
 弥生時代では三浦半島は生活というより海路の中継地であったということ。遠い古の風景に思いを馳せての授業。

 知らないことを聴講できるって楽しい。
 稲村先生、ありがとうございました。


☆平成25年5月28日/日経新聞
「青銅鏡鋳造型 国内最古か」製作史、覆す可能性の記事。福岡県春日市須玖タカウタ遺跡で、国内最古となる紀元2世紀ごろ(弥生時代中期前半)の青銅器鋳型が見つかった。鋳型の破片は石製で長さ5.1㌢、幅2.5㌢、厚さ2.3㌢。ひもを通すつまみ「鈕(ちゅう)が鏡の裏面に複数ついた「多鈕鏡」を製作する、国内で初めて見つかったタイプ。(略)見つかった鋳型は線が粗く、朝鮮半島製を模倣したとみられる。剣や矛などの青銅器は、紀元前3世紀ごろ伝来してまもなく国内生産が始まった。
前1世紀ごろの出土が最古とされていたが遺跡の竪穴住居では鋳型と同時期の紀元前2世紀ごろの剣や矛など青銅器の鋳型が大量に出土。多鈕鏡は近くの墓から見つかったが石材が似ていることから同時期のものと判断したという。