わたしの66年間を思い返してみると、驚き呆れるほど短い。でも、一夜の夢であると同時に長く重い連鎖の糸を引いてもいるらしいのである。つくづく時間というものは奇妙である。
過ぎ去った時間は内的感覚によって収縮自在であり、すでに幻と化している不可逆の時空である。何をやっても間に合わないという絶望感が過ぎると、それだけで戦意喪失し全てが無に帰していく。
これからなのだという希望的(楽観的)な展望を捨ててはならないと自分に言い聞かせ奮い立たせることもある。しかし、体力減退は否応なくわが身に降りかかる事実であれば失笑を免れない戯言にすぎないかもしれない。
現世という時空に生きている。与えられた時間と空間は一見自由である。けれどそれを束縛に変える諸条件が、見えない網のように張り巡らされていることに気づくことがある。
生老病死・・・有機である肉体は必ず終息し、霧消して行く。
時間は時間のまま沈黙を守り、世界の変遷に身を委ねているかに見える。
しかし、その悠長にみえる時間を超えることは不可能である。
時間との競合・・・ただ時間には正体がない、ゆえに自己主張もないし勝敗を仕掛けてくることもない。なのに残念ながら人は時間の前で手もなくうち負けてしまうのである。
時間の不思議に身を委ねて、自然に生きる。人の取るべき道の選択肢は、人という条件下に限定されるしかなく、命ある限り生きるしかないというのが、時間の中における唯一の命題である。
過ぎ去った時間は内的感覚によって収縮自在であり、すでに幻と化している不可逆の時空である。何をやっても間に合わないという絶望感が過ぎると、それだけで戦意喪失し全てが無に帰していく。
これからなのだという希望的(楽観的)な展望を捨ててはならないと自分に言い聞かせ奮い立たせることもある。しかし、体力減退は否応なくわが身に降りかかる事実であれば失笑を免れない戯言にすぎないかもしれない。
現世という時空に生きている。与えられた時間と空間は一見自由である。けれどそれを束縛に変える諸条件が、見えない網のように張り巡らされていることに気づくことがある。
生老病死・・・有機である肉体は必ず終息し、霧消して行く。
時間は時間のまま沈黙を守り、世界の変遷に身を委ねているかに見える。
しかし、その悠長にみえる時間を超えることは不可能である。
時間との競合・・・ただ時間には正体がない、ゆえに自己主張もないし勝敗を仕掛けてくることもない。なのに残念ながら人は時間の前で手もなくうち負けてしまうのである。
時間の不思議に身を委ねて、自然に生きる。人の取るべき道の選択肢は、人という条件下に限定されるしかなく、命ある限り生きるしかないというのが、時間の中における唯一の命題である。