続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

清司来訪。

2012-12-31 13:20:49 | 日常
 出産のためお嫁さんは一足先に静岡の実家に帰っているので、《息子も直行》と思いきや、雨の中やって来た。

「ただいま」と帰ってくることがなんだか嬉しい。自分の愛すべき家庭を持った息子にとって、実家は二の次と若干気落ちしていたけど、来てくれたことで元気回復。

 昨晩は旧知の友人が来て遅くまで呑んでいたらしい。(帰郷の目的はそれ?)


 まあ、それでもいいわ・・・。

「向こうへ行くと、朝からご馳走なんだ。『何食べたい?』とか聞かれるけど、べつに質素っていうか普通でいいんだけどさぁ。残すと捨てるみたいだから、一生懸命食べてるんだ」と、我家の質素に満足な様子。(気を使ってくれて感謝しなくちゃ)

《愚息ではありますが、なにとぞよろしくお願いします。》


 昔、友人が言っていた言葉を思い出す。
「息子が優秀すぎると、嫁さんが気に入らないけど、○○だと、『よくぞ!』って感謝するらしいわ」

 今になってその言葉、感じ入っております。

『洞熊学校を卒業した三人』50。

2012-12-31 13:13:52 | 宮沢賢治
「「さあ、すまうふをとりませう。ハッハハ。」となめくじぢがもう立ちあがりました。かたつむりも仕方なく、
「私はどうも弱いのですから強く投げないで下さい。」と云ひながら立ちあがりました。

☆律(物事の基準となる決まり)の詞(言葉)の法(方法)である二役は、経(常に変わらない)。

『城』1140。

2012-12-31 12:53:42 | カフカ覚書
もちろん、自分でそうこころがけなくてはだめです。クラムは、自分からは何もくれはしません。しかし、なんでみも適当なものを見つけたら、頼んでもらってくることはできるんです。

 dort・・・来世で。
 liegen→ringen/格闘する。
 適当な/passend→passion/情熱、苦難。
 できる/kann→kahn/小舟。

☆もちろんひとはそのために心を痛めなくてはなりません。クラム(氏族)自身は何もしてくれません。
 人が来世へ行くとき、何か苦難を見つけたら小舟を頼むのです。

年の瀬の片付け。

2012-12-30 07:16:12 | 日常
 何かいろいろ思い出せないうちに月日だけは否応なく過ぎて行く。

(あれはどこへ行ってしまったのか・・・)
 探しても探しても見つからない。

 この次ね、そのうちきっと・・・早く諦めることがストレスを生じさせないコツとばかり、目的を断念。


 そうして家中が諦めの遺物となっていく中を全く決まりきった行程で一日という時間をつぶして行く。(何をしようとしているのか)わたし自身の何かさえも見つからなくなって呆然と立ちすくむことがある。

 精神的、抽象的な迷いは捨てて、ここは物理的な現実だけを直視すべきと、年末に為すべき片付けを嫌々ながらも始めると、

(あった!! こんなところに・・・)

 しばし、その紙切れを百年目に遭遇した敵のような思いで食い入るように見つめるけれど、あんなに探していたこのものはさほどの重要性もなく、二つ、また二つにと破られてクズ箱へと投入。


 
 わたしの探し物はそんなものなのだろうか。探求、追及と勢い込んで夢中になっているものは、無への誘いなのかもしれない。(すべては無に帰していく)そのために無為徒労の日々を送っているのだろうか。
 《まぁ、そんなに短絡的に考えなくても》と、慰めているもう一人のわたしが笑っている。

 年の瀬の整理整頓はなかなかはかどらない。

『洞熊学校を卒業した三人』49。

2012-12-30 06:56:47 | 宮沢賢治
「かたつむりさん。気分がよくなったら一つひさしぶりで相撲をとりませうか。ハッハハ。久しぶりです。」となめくぢが云ひました。
「おなかがすいて力がありません」とかたつむりが云ひました。
「そんならたべ物をあげませう。さあ、おあがりなさい。」となめくぢはあざみの芽やなんか出しました。
「ありがたうございます。それではいたゞきます。」といひながらかたつむりはそれを喰べました。

☆仮の部(区分け)が逸(隠れている)。
 挿(さしはさむ)僕(わたくし)の救いの運(めぐりあわせ)であり、利器((便利な道具)としての薀(奥義)である。
 仏の駕(のりもの)として推しはかる自記である。

『城』1139。

2012-12-30 06:16:09 | カフカ覚書
その理由はいまだにわかりません。それでも、わたしは、自分の幸福が長くつづかないことを予感したのか、この記念の品をもって帰ってきたのです。

 もって帰る/mitgebrcht→geblut/血筋、血統。
 記念の品/Andenken→enden/死ぬ。

☆なぜか分かりません。それでも、時代が短いことを予感したのは、この死は(同族の)血筋だったからです。

月江姉。

2012-12-29 07:08:29 | 日常
 月江お姉さんは敬虔なクリスチャンである。故に彼女から漏れでる言葉はすべて神の恩恵(ご加護)と言っても過言ではない。

 一年に一度クリスマスカードの交換があり、その後、必ず掛けて来てくれる電話・・・。
 カードには必ず成句が添えられ、神への厚い信頼が述べられている。
「神さまは生きているときも死んでいくときもわたしを守ってくださるから、死ぬことも少しも怖くない」と、きっぱり。

 話の途中には「聖書の○○の何章にはこういう言葉が述べられている」ということが繰り返され、会話というより教えを受けている感じになる。お姉さんは聖書を繰り返し読み、就寝前にも夫に読み聞かせているという。
 どんなことがあっても《必ず神さまがわたしを守ってくださる》という強い信念が、一人アメリカに渡った姉を支え、平安をもたらしたことは紛れもない事実であるらしい。

 ダンサーであり歌も吹き込んだという今でいうアイドルだった姉を、地道で強靭な精神力へと導いてくれた聖書・・・「わたしは神さま無しには、一時間も生きていられないわ」と、昨日の電話。

 キリスト教を身を以て享受している。お姉さんの中で、神さま・聖霊・イエスさまは何にも換えがたい全てなのだと思う。


 あるときわたしが、「ローマ教皇が人類の祖は猿だってことをお認めになったそうよ」と言ったら、
「人類の祖はアダムとイブであって、猿が人の祖先なんて話は信じられないわ」と一笑に付した姉。

「教会の偉い方がね、わたしに向かって”I love you”って言ってくれたの」と話してくれた姉。わたしもお姉さんを大好きです!

『洞熊学校を卒業した三人』48。

2012-12-29 06:59:18 | 宮沢賢治
 するとなめくぢが云ひました。
「あげますともあげますとも、さあ、おあがりなさい。」
「あゝありがとうございます。助かります。」と云ひながらかたつむりはふきのつゆをどくどくのみました。
おあがりなさい。「もっとああなたと私とは云はば兄弟。ハッハハ。さあ、も巣子sおあがりなさい。」となめくぢが云ひました。
「そんならも少しいたゞきます。あゝありがとうございます。」と云ひながらかたつむりはも少しのみました。

☆運(めぐりあわせ)を叙べる。
 運(めぐる)死の運(運命)。
 教えの題(テーマ)は、照(あまねく光があたる=平等)ことの薀(奥義)である。

『城』1138。

2012-12-29 06:24:26 | カフカ覚書
「あの子に文句を言ってやったんですが、あの子は、夢想的すぎて、おまけに満足すろということを知らないんですわ。ところが、わたしは、クラムのところへ呼ばれたのはたった三度なんですよ。その後、あの人は、ぱったりとわたしを呼んでくれなくなってしまいました。

 満足するということを知らない/ungenugsam→angenehm/嬉しい、快い。
 三度/dreimal→drang mal/圧迫、痕。
 呼ぶ/rufen→ruhen/休む。

☆あの子(平和)に問いかけたんですが、熱狂的かつ嬉しいというんです。氏族には圧迫の痕(傷痕)があります。その後、わたしに安穏はありません。

酷寒。

2012-12-28 06:57:42 | 日常
 寒い・・・けれど、北国の方たちの酷寒を思えば何のこともない。山形出身のOさん、
「学校へ行くのに、外は真っ白でしょう。だから目印の旗が立つの。でもそれが風に吹き飛ばされて倒れてしまって・・・大変だったわ。でももっと大変なのは雪解けのころの道の泥濘・・・」と、その苦労を語ってくれた。
「回覧板を持って来るのに、雪の中をずっと歩いてくるわけ、だから当然のように上がって長話が始まるでしょ。子供心に嫌だったわ。」

 雪下ろし、屋根に積もった雪の重さ・・・体力の著しく落ちた高齢者のため息がTVの画面から聞こえてくると胸をふさがれる思いがする。
 北海道では記録的な寒さに見舞われていると聞く。

 
 酷寒のイメージは温暖な地域の人間にとっては、強いインパクトがある。

「冬が好き」と言った『冬のソナタ』、『赤毛のアン』のモンゴメリーや『大草原の小さな家』のローラも冬を描いて秀逸な場面(シーン)を残している。厳しいからこそ生まれる強靭な精神、美は冬景色にあるのでなく、冬景色の酷寒に育てられ輝きだすものかもしれない。


「太っているから寒いのは平気なの」などと言っていたけど、肉は大丈夫でも《骨に沁みる》年頃になった昨今、気をつけなければと自重している。