『親和力』
均整の取れた静かな作品に見える。しかし、ひどく危機的状況を孕んだ作図なのである。
中央に描かれた卵は、外敵に襲われることもなく、どこから見ても安全を保障されているように見える。
しかし、台座を支える卵の下の心棒は黒い陰影で描かれ、曖昧の体である。
卵は上部のアーチから吊り下げられているからという安堵、しかし、そのアーチは全体卵の下の台座を支える一本の心棒にのみ重心がかかっている。しかも横木は左右から圧されているだけであれば更に危険である。
一見、安定しているように見える作図の中の大いなる危機。
それが、ここに選択された一つの反応の欺瞞である。平穏に見える、あるいは平穏を装った危機的状況は、静かに鑑賞者の目を欺いている。
第一卵が孵化したのちの状況を考えるだけでも狭小の籠、あるいは超肥大の卵は非現実的な状況を生むことは必至である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子をかぶったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立ってゐて言ひました。
☆接(つなぐもの)は普く肺(心の中)に現れる散(バラバラにした)図りごとである。
析(わける)奥(奥深いところ)の釈(意味を解き明かす)のは某(なにがし)の詞(ことば)である。
交じる赦(罪や過ちを赦す)章(文章)を留めるように運(めぐらせている)。
オルガはだまっていた。Kはさらにつづけた。「弟さんの言うことを過信しないようにあんたに言いふくめるのは、容易なことではありません。あんたが彼をどんなに愛し、また、彼にどれだけの期待をかけているか知っていますからね。
☆オルガ(機関/仲介者)は黙っていた。Kは言った。「君の同郷人が惑わされるとき君を信用するのは容易なことではありません。彼を愛し、彼に期待していることを知っていますから。
『彼は語らない』
デスマスクのような面、しかし唇が赤い。(死んでいるが、生きている)
その背後には目を見開いた女と思える顔がある。
二つの顔の周囲の面は何を示唆しているのだろう。左には正確な間隔で打たれた点描があるが、これは概念(時間の認識)かもしれない。ただ、デスマスクの上の接線と顎から下の接線は垂直には結べない、差異がある。そしてこの点描の面は、デスマスクのすぐ背後なのか、ずっと奥まった空間なのかが判らない。
デスマスクと女の顔の間には円型の板条のものがある。パイプが突き刺さり、デスマスクの下で下へ垂直に折れている。これは点描の面より後ろにあるように見えるが、円型と見えるものがカットされている可能性も否定できない。
女の背後に見える木目状の面、青みがかった白い面は、必ずしも女の背後ではなく、女の形にカットされた面から、女がのぞき見えているとも考えられる。
二つの顔の周囲の面は見方によって前後する奇妙な位置関係にある。デスマスクの顔面が最も手前にあることだけは確実であって、背後の空間は不確定である。
描くということは確定を条件とするものであるにもかかわらず、動く面(空間)を内包している作品である。
デスマスク(彼)は霊界の存在かもしれないが、影があり、唇が赤い。存在していないが、存在しているらしい。そして背後から延びてきたパイプは、彼の所で下に曲っている。
パイプ=メッセージであれば、彼は語らないが、彼の存在は何かのメッセージを発し、背後の女(人々の集約)は眼を見開き凝視の体である。デスマスクには耳は有り得ないが、耳をつけ、女(人々の集約)の耳を覆い隠して描いているのはマグリットの皮肉のように思う。
彼(デスマスク≒神)は語らないが、点描に暗示する概念(時空)を征し、女(大衆)の眼を見開かせる啓示を有している。彼は人であり、人でないかもしれない。語ることなく点描の時空(概念)に亀裂を入れたやもしれない。(語らない以上真実は永遠の謎である)
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「あれは、水の速さをはかる器械です。水も・・・・・。」鳥捕りが云ひかけたとき、
☆推しはかる側(かたわら)の記は、回(めぐる/元に戻る)。
推しはかり、調(ととのえる)運(めぐりあわせ)である。
これほど間違ったことはない。もちろん、そういうぼくだって、あんたとおなじで、これまでつい彼にまどわされて、彼に希望をかけたり、彼のために幻滅を味わわされたりしました。が、希望も幻滅も、彼の言葉にだけ基づいていたのだから、要するにほとんど根も葉もなかったわけです。
☆過ちを犯すはずがない。もちろん、わたしもまた彼にまどわされないようにし、分別のある希望を持ち、それを果たすことで迷いを覚ましました。しかしながら、それら両方とも、彼の言葉によるもので、ほとんど根拠がなかったのです。
玄関の設え、長いこと同じ・・・ずうっとこの先も?
ちょっと、変化が欲しい。下駄箱の上にレース状の敷物、細かな雑貨を排除してみた。
小さな仏さまは三十年も前に雑誌を見て粘土で拵えたもの・・・棄てるに忍びなかったので、やっぱり元の位置に置いて見た。
狭くて質素な玄関・・・でも、運気が向上するように、いつも掃除を心がけている大切な場所です。
『ことばの用法』
ベタで不定型な形の中に各、canon(大砲)・Corps de femme(女の身体)・arbre(木)という文字が書かれている。
背景は上半分は深緑(自然)、下半分は煉瓦(人為)を暗示している。
The Use of Speech/ことばの用法・・・。
言葉とは意思・感情・思考などを伝達するための手段であり、自然発生的に、必要に迫られて共通の記号である音声を表記すべく文字が形作られていったものである。
流通範囲、交易エリア内での使用に限定されたものが、その範囲を広げ国単位に統一され国際的に通用する言葉にまで論議されるようになったという経緯がある。
つまり言葉とは任意の領域においての認識であって、外のエリアでは通用しないものである。
しかし、言葉は日常生活において必要欠くべからざるものであり、言葉なしには生活に支障が出ることは必至。それほどに言葉とイメージは密接な関係にあり、言葉=イメージ=現実(物)であることは確信的である。
この合致は、生活を脅かすものではない。むしろ安心を得るための手段でもある。
けれど、マグリットは考える、言葉そのものの不確定性を。
言葉と認識における隙間…。たとえば、わたしなどは個人的にこの並べられた文字の意味を一つも知らない。何が書いてあるのかさっぱり・・・不定型な形に等しい感想である。
《意味の分からない文字=不定形の意味をなさない形》なのである。(用法に至るまでもなく使えない)
自然と人為の狭間、情報認識のための手段の集積、渾沌は限りなく続いていく。
明らかに分かっているものが、誰にでもわかるとは限らない。
『ことばの用法』は、《言葉→イメージ》への認識と認識不可の二重性を密告しているような気がする。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
銀河の、かたちもなく音もない水に囲まれて、ほんたうにその黒い測候所が、睡ってゐるやうに、しづかによこたはったのです。
☆吟ずる講(はなし)が隠れている。
根(中心・根本)を遂(やりとげる)と、告ぐ。
側(傍ら)の講(はなし)は、諸(もろもろ)推しはかること。
ただ、こういう場合、村の界隈から出たこともないバルナバスのような未熟な若者をいきなり城へ送りこんで、真実ありのままの報告を求め、彼の語る言葉のひとつひとつを神の啓示のようにいろいろと詮索したり、その解釈によって自分の生涯の幸、不幸を決めたりするようなことはしてはならない。
☆バルナバス(生死の転換点)のような、来世(死界)の周辺を出たこともない新しいものが、突然終結(死)へと送り込まれて、真実を忠実に報告するように要求されたり、先祖の表明を調べたり説明することで、生涯の幸、不幸を決めてはならない。