パソコンが壊れ、新しいものを購入。
ところが昔(最初の購入時)のIDが不明、新・浜田節子の記録と題してブログを作り直したけど、うまくいかなかった・・・まぁ、書くことが出来さえすればと、消極的、意気消沈。
それを息子にこぼしたら相模大野から飛んできてくれ、続・浜田節子のブログを復活させてくれた。
《持つべきものは子供》ありがとう!馬鹿なお母さんで恥ずかしいよ。
パソコンが壊れ、新しいものを購入。
ところが昔(最初の購入時)のIDが不明、新・浜田節子の記録と題してブログを作り直したけど、うまくいかなかった・・・まぁ、書くことが出来さえすればと、消極的、意気消沈。
それを息子にこぼしたら相模大野から飛んできてくれ、続・浜田節子のブログを復活させてくれた。
《持つべきものは子供》ありがとう!馬鹿なお母さんで恥ずかしいよ。
両膝人工関節置換手術(3月16日)を経て、4週間目の今日の傷口であります。
8時間に及ぶ大手術、最後の工程の縫合、スゴイです、見事です!
感無量・・・私のこれから、感謝を胸に刻む余生、大事にいたします。
本当にありがとうございました。
両膝人工関節置換手術、無事終えての帰還です。
執刀の三井英央先生は聞けば30歳の若さ、新進気鋭の御手にかかりましたことは真に光栄なことでもありました。
「神輿は一人では担げない」の名言どうり、スタッフはみな素晴らしい方たちばかりで今日の帰宅と相成りました。また心配をおかけした友人各位、息子たちや孫や夫にも深謝です。
無事である事、普通であることに感謝して残りの人生を明るく過ごす所存、嬉しく有難い今回の事件(?)でありました。
皆様、本当にありがとうございました!
にぎやかに遊んでいた近所の子供たちはわが子も含めて皆社会人であり、働き盛りである。
と同時に、親が高齢になっているという事実がある。
A君は疾患のある親に苦慮し、施設をお願いしているけれど頑として舞い戻ってきてしまう母親を遠方の居住地から度々足を運んできている。
「お母さんはよくあなたの野球を見にいったものね、県内どこまでも」と言ったら、
『「お前の母さん、また来てるぞ」って冷やかされたもんです』と笑った。
「だってね、僕、ずっとベンチ入りで試合には出てなかったのにです。」
・・・ええっ!三十年以上も立って知らされた内実。
親の愛情の深さ・・・。知的障害のある母親にそそぐ息子の信念ある真情、表情は複雑である。
コロナの猛威、すでに二年、三年目である。
その初期に災禍に見舞われた従妹の家庭、昨日の電話で初めて知り愕然とした。
「新聞に名前・住所が載ったものだから、あっちこっちから電話がかかって来て大変だったわ」「・・・」
「その度に、『申し訳ありません、すみません』って」「・・・」
言葉が出なかった。
「二か月間、誰にも会わなかったわ、外にも出なかったし。」「・・・」
「で、食材はどうしたの?」「生協を続けていたから、注文したものを玄関先に置いてくれていたの」
「『ごみは二週間は出さないでください』って」
彼女は庭にコンポストを置いているから生ごみは大丈夫だったかもしれないけど、ごみを出さずに留めておくって大変なこと・・・。
それ以上に傷ついてしまった彼女の心情を考えると、何を言っていいのか分からなかった。
「従姉のKさんが亡くなったのも最近知ったの、お香典とかはいいのかしら」という。
「わたしも事情は同じ、シニアの老人施設から入院先で亡くなったらしいけど、元居た家は新しい家が二軒たっていて、住所もわからないし・・・」「・・・」
コロナは凶器のように人を傷つけている。この損傷は想像以上に大きい。
この状況である、てっきりイベントは中止だと思っていたら実施とのこと。
テンションはだいぶ下がったけれど、今日一日は紙芝居講演で過ごす。わたしの実演時間はほんの6分ほどだけど窓の開け閉め(換気)やら消毒やらで忙しいことになりそう・・・。
いつも通りに過ごすというスタンス、だから朝のラジオ体操も中止することなく続いている。コロナの猛威、いつまで続くんだろう。
コロナ禍の疫病蔓延、何か見えない鎖で拘束されているような感じである。老若男女、だれにとっても辛い経験である。
わたしが演じる紙芝居は矢崎節夫・作の「はるのにおいがするよ」。
早く本当の春(収束)が来るといいな、と願っている。
死んだやうにダリヤがかくしてゐる少年・・・ダリヤが何を隠しているのだろう。心の中で消えない思い。
夏の陽に色鮮やかに咲くダリヤは子供心にも印象的だった。あのダリヤが何を隠しているのだろう、解けない疑問。何度も繰り返し口ずさんで見た。
すると、不意にこみ上げてくるものがあった。情熱、負けない心、燃えるような思い。
燃える・・・燃やす…焼けるほどに熱い思い。わたしは熱い思いで飯島晴子作品に挑んでいる。誰にも打ち明けられず、隠している想い。
少年は(焼・燃)ではないか、熱く焼けるほどに燃える思いである。
ダリヤは、高貴とか大輪というのでなくごく一般的などこでも見られる花である。普通のおばさんの燃える思い、熱い気持ちを隠して飯島晴子作品を読んでいる。
何をするにもがさつで粗野である。冬の期間だけ生ごみを土に埋めている、一年を通して下水管の通り具合を月一でチェックする等々、菌類の集合エリアを素手で触っている。
新年明けたころから、手が痒い、皮がむけ初め赤い皮膚が…、医者は四日から。
(なんか、ヘン)日増しにどころか時間を追って急激に皮がむけ赤い皮膚が見える範囲が広がった。
四日、皮膚科へ。十時に待合室の椅子に座って十三時まで、ひたすら座り続けやっと往診。
「水虫菌はいません、感染ですね」と医者。ホウホウの態で帰宅すると、薬局で頂いた塗り薬、まったく同じものがある。
(そうだ、何年か前、やっぱり・・・ああ)
右手指なので、もう数日間、顔を洗っていない。顔をタオルで撫でている猫状態。
♪猫になったんだよ、わたしは~って感じ。
「心配ですからもう一度、七日にでも見せに来てください」とのこと。再びあの待合室で・・・ああ。
まぁ、明るく楽しくいきましょう。
このエネルギーは何だろうと思うほど騒ぐ悪戯…次男三男は笑う、泣く、はしゃぐ、静かにしている暇がない。もちろん食欲も旺盛で、何を出しても空っぽになる速さは小気味よいほど。
その弟たちの世話をする長男、学童の送り迎えを含む日常・・・。
息子が言うには、こういうことも《ヤングケアラー》の類に入るのだという。
ええっ!可愛くて甘えん坊のキヨちゃんが、いつのまにかヤングケアラーになっていたなんて。
勉強する間もなくほかの家事や世話に追われている子供をヤングケアラーと呼ぶらしい。今年は中学生になるキヨちゃん、大変だね。
作文に「大変だけれど、嬉しいこともあります。二人から学童の様子などを聞くときは楽しいからです。」と書いたキヨちゃん。
経験こそが学び、がんばれキヨちゃん!
いよいよ人生も終盤、無事にあの世に逝けたらいいなというぐらいの感慨。
人生の過ちは《焦りと投げやりから》というカフカの言葉に従って牛歩の歩みで行く。(わずかな距離だけど)
ホント、ギリギリである。やっと買い物をすましたけど、これで今年はやっていけるのだろうか、膝は手術で痛みを除去できるのか、不安だけど、選択は止むを得ないかもしれない。今の自分に向き合って日々を過ごすことが最大の課題である。
Aさんは施設を出て自宅でデイサービスに通っているとのこと。声は相変わらず元気で甲高いので、ほっとしている。Bさんは娘さんが同居し、お昼はお弁当を作ってもらっているとのこと。
近所のCさんは息子さんがエアコンをつけることができないCさんを気遣い、真冬と真夏の期間は施設にお願いしているらしいのに、断固、家に戻ってしまうという。今朝5時には彼女の家の窓からは灯りが、極寒でも家で過ごすという決意。(解るわ、わたしもきっと、そうだから)
年を取ることの実感、新しくも物悲しい経験である。