続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『終わりなき認識』

2017-08-31 06:53:12 | 美術ノート

 『終わりなき認識』

 室内の開口から覗く連峰、空中を浮遊する球体、その上に男(図録では小さくて男の視線の先が見えないが、手をかざし上方を見上げているのではないか)が立っている。

 客観(室内からの眺望)と主観(男の視点)、どちらも、《より上》を目指している。
 切り立った険しい山は、とても人が登れる勾配ではなく、むしろ人を寄せ付けない高峰、神の域を思わせる秘境である。
 山は手前に来るに従って黒くなっている、つまり光源は遥か彼方の向こうという感じであるが、球体には手前に光が当たり、しかも後方からも仄明るく光を認識できる。

 男は浮上する球体に乗っている、球体は重力に左右されない精神界の《真理》である。しかし男は、真理の上に立っているにも関わらず、更なる高みを臨んでいる。つまり、真理の傍らにいて真理から目を逸らしているともいえる。

 山の彼方、更なる高み、存在を超え、無窮の空を探求しているかに見える。
『終わりなき認識』は、究極を目指す。すでに真理に接点を置いているかもしれないことを確信できず、真理の周りを空転させる認識の術に終わりはない。真理の存在の有無に究極の答えが無いからである。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『山男の四月』46。

2017-08-31 06:31:03 | 宮沢賢治

 支那人は、外でしんとしてしまひました。じつにしばらくの間、しいんとしてゐました。山男はこれは支那人が、両手を胸で重ねて泣いてゐるのかなともおもひました。


☆詞(言葉)を納める図りごとの我意が現れる。
 太陽の談(話)は詞(言葉)で納める図りごとであり、霊(死者の魂)を守り、教(神仏のおしえ)に従い究(きわめている)。


『城』2738。

2017-08-31 06:09:40 | カフカ覚書

(と言いますのは、バルナバスは、お城ではものを言う勇気も出せないのでした)、だれひとり助けてくれる者がないなんて、人をばかにした話じゃありませんか。そして、ある従僕が、もしかしたらもう何度か手紙を見せつけられていたのかもしれませんが、それをくしゃくしゃにまるめて、屑籠に投げこんだと聞いたときは、やれやれ助かったという気持ちでした。


☆しかし、そこでは恥ずべきことに誰も助けてくれず、明らかに先祖の救出はなかったのです。先祖の下僕たちは、ひょっとしたら、とっくの昔に証明書を強制され、くしゃくしゃに丸め、紙屑籠に投げ捨てていたかもしれません。


マグリット『禁じられた書物』

2017-08-30 06:57:23 | 美術ノート

 『禁じられた書物』

 書物というタイトルではあるが、本は見えない。階段のある室内、指の上に描かれた馬の鈴、もしくはそれをiと読ませてIrene、またはSirene(人魚)を浮かび上がらせた、フラットな床面と装飾のない壁面のみの室内である。
 以上の条件をもって『禁じられた書物』と題した意図はどこにあるのだろう。

 まずイレーヌを指して居り、それは人魚だとも意味を重複させている。人魚、足を持たず陸に上がれぬまま淋しく歌を口ずさむ孤独な姫、あるいは女王。
 そのイレーヌの指は第一関節が欠如しているのでは?確かに第一関節の窪みは第二関節のそれより薄いけれど、爪からの長さ(間隔)を推しても奇妙である。(第一関節のみなのは親指だけであるが、親指とは思えない)
 指の上方に浮く馬の鈴は、言葉・主張・噂・風評などの暗示であれば、イレーヌの主張、言説を浮上させているのではないか。

 目的のない飾り階段、フラットで何の変哲もない床面や壁面の無表情。
《無味乾燥》、声高の主張、それは訊くに値しない不具合(陳腐)がある=禁じられているも同然の書物に等しいと、それとなく揶揄しているのではないか。
 

(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『山男の四月』45。

2017-08-30 06:43:22 | 宮沢賢治

「何だと。何をぬかしやがるんだ。どろぼうめ。きさまが町をはひつたら、おれはすぐ、この支那人はあやしいやつだとどなつてやる。さあどうだ。」


☆化(形、性質を変えて別のものになる)で、化(教え導く)帖(書き記したもの)は、詞(言葉)で納める図りごとである。


『城』2737。

2017-08-30 06:19:29 | カフカ覚書

バルナバスは、従僕を見かけるたびに、手紙をとりだしては、相手に突きつけました。ときにはわたしを知らない従僕にぶつかったこともあったでしょうし、知っている従僕でも手紙をだまったまま鼻先に付きつけるあの子のやりかたに気をわるくしたということもあるでしょうが


☆バルナバスは従僕を見かけるたびに証明書を出し彼に持たせ、多くの傷痕に助言しました。わたしの知らないこともあったでしょう、怒られても敢えてだまって証明書を指し示したのです。


夏の終わり。

2017-08-29 07:27:45 | 日常

 夏も終わりに近づくと、どこか郷愁さえ感じるようになるのは不思議である。
 あんなに暑かった夏も山を越えたのだという安堵、秋に向かう期待と一抹の寂しさが入り混じる。一歩踏み出し、一歩抜け出したという感慨である。

 夏休みの間中、嫁ぎ先の娘さん宅へ出向きお孫さんのお世話をしていたというAさんも「あと少し」と、言い、「夏休みの宿題に『星の観察』というのがあって、パパとママは御殿場まで車を飛ばしたわ」と、笑った。

 ああ、うちの孫の夏休みの宿題はどうなっただろう。

 あっけなく終わろうとしている夏休み、夏の終わり。
 身体の不調も回復したのに、どこかへ出かけようとする意欲がわかない。巻きなおし、心機一転の気概は・・・。

 だれか背中を押して~。
 だれか「よーい、ドン!」のピストルを撃ちならして!
 もう少し(?)なんだから、楽しく面白く行きたいな!


マグリット『イレーヌ・アモワールの肖像』

2017-08-29 06:55:36 | 美術ノート

 『イレーヌ・アモワールの肖像』

 三枚の手鏡が平面状にあり得ない状態で立っている。
 波静かな青い海・青い空を分ける水平線の条理を、被うように立っている不条理な三枚の鏡。
 それぞれ赤い炎、映ったイレーヌ・アモワールの真摯な眼差し、馬の鈴(主張・言葉・発言)が描かれている。
 左端には建物があり、それは後ろ盾のようにも、そこから飛び出しているようにも見える関係である。

 イレーヌ・アモワールという人の肖像…情況や性格を的確に、しかし暗に仄めかした彼女の肖像である。(鏡という構成は〈自己愛/ナルシズム〉を現わしているような気がする)
 彼女は燃えるが如くの情熱をもって世界を見ている。垣間見える真実はあるが、それは危うく根拠に欠けるものではないか。粘っこい言説には少々目を背けたくなる。彼女の後ろ盾である友人の存在によって辛うじて認めざるを得ない関係である。
 社交的で美しく毅然とした顔立ち、男にも引けを取らない押しの強さ・・・(首の太さを強調し、その強引さを暗示しているのではないか)
 彼女の主張は立派に立ち上がってはいるが、それは彼女の持つ魅惑的な幻想にすぎず、彼女の存在と共に倒壊は免れない不安定なものである。

 という想像を、失礼ながら掻き立てるような画面構成の肖像である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『山男の四月』44。

2017-08-29 06:48:16 | 宮沢賢治

「声あまり高い。しづかにするよろしい。」
 山男はさつきから、支那人がむやみにしやくにさはつてゐましたので、このときはもう一ぺんにかつとしてしまひました。


☆照(あまねく光が当たる=平等)の講(話)である。
 太陽の談(話)は詞(言葉)を納める図りごとが逸(隠れている)。


『城』2736。

2017-08-29 06:24:30 | カフカ覚書

従僕たちは、からっきし役にたちませんでnした。わたしは、どうか弟に眼をかけてやってほしいと頼むと同時に、従僕たちがわたしにした約束を思いださせるような簡単な手紙をバルナバスに持たせてやりました。


☆従僕たちには全く拒絶されました。わたしはバルナバスを従僕に紹介し同時代の約束を思い出させるように先祖の氏族の証明書をバルナバスに渡しました。