続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

賢治『春と修羅』5.

2022-01-11 06:27:30 | 宮沢賢治

     ああかがやきの四月の底を
    はぎしり燃えてゆききする
   おれはひとりの修羅なのだ

☆死を合わせた諦(真理)の念(考え)が、衆等(みんな/わたし達)である。
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)『序』より


賢治『春と修羅』4.

2022-01-07 06:16:06 | 宮沢賢治

  ZYPRESSEN 春のいちれつ
   くろぐろと光素を吸い
    その暗い脚並からは
     天山の稜さへひかるのに
     (かげろふの波と白い偏光)
     まことのことばはうしなはれ
    雲はちぎれてそらをとぶ

☆ハロー(光輪)の講(話)である。
 蘇(よみがえり)を求める案(考え)を書き、蔽(見えないようにしている)。
 展(大きく広がる)Sun(太陽)、霊(死者の魂)を把(手につかみ)迫る。
 片(二つに分けたものの一方)の講(話)は薀(奥義)である。


賢治『春と修羅』3.

2022-01-06 06:18:01 | 宮沢賢治

 四月の基層の光りの底を
 唾し はぎしりする
 おれはひとりの修羅なのだ
 (風景はなみだにゆすれ)
 砕ける雲の眼路をかぎり
 れいろうの天の海には
 聖玻璃の風が行き交ひ

☆死を合わせた記は、双(二つ)あり、他意を推しはかる。
 衆等(人々)を、普く啓(人の眼を開いて理解させる、教え導く)救いを運(巡らせている)。
 現れる字を展(広げ)解らせる。
 照(あまねく光が当たる=平等)は理(宇宙の根本原理)であり、普く光の講(話)である。


賢治『春と修羅』2.

2021-12-28 06:15:29 | 宮沢賢治

(正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
 いかりのにがさまた青さ

 正午はショウ・ゴと読んで、章、語。
 管楽はカン・ガクと読んで、換、学。
 琥珀はコ・ハクと読んで、個、魄。
 青さはショウと読んで照。

☆章(文章)は語(言葉)を換(入れ替えて)学(研究する)。
 個(一人ひとり)の魄(たましい)は照(あまねく光が当たる=平等)である。


賢治『春と修羅』

2021-12-27 06:05:33 | 宮沢賢治

『春と修羅』は、Holo/光臨(太陽)と衆等(わたし達)である。

 心象のはひいろはがねから
 あけびのつるはくもにからまり
 のばらのやぶや腐植の湿地
 いちめんのいちめんの諂曲模様

☆真の照(あまねく光が当たる=平等))は普く続く(永遠である)。
 質(内容)を知り、展(ひらき)究める。
 模(手探り)が要(かなめ)である。


賢治『高原』

2021-12-24 06:15:12 | 宮沢賢治

   『高原』

 海だべがど おら おもたれば
 やつぱり光る山だたぢやい
 ホウ
 髪毛 風吹けば
 獅子踊りだぢやい


☆『光が源である』

 皆(すべて)の講(話)はSun(太陽)が発(放つ/明らかにする)望(願い)を普く推しはかることであり、詞(言葉)を視(よく見ること)が要(肝心)である。


賢治『岩手山』

2021-12-23 06:40:09 | 宮沢賢治

   『岩手山』

 そらの散乱反射のなかに
 古ぼけて黒くゑぐるもの
 ひかりの微塵系列の底に
 きたなくしろく澱むもの

 散乱反射はサン・ラン・ハン・シャと読んで、Sun、覧、犯、赦。
 古ぼけて黒くはコ・コクと読んで、故、告。
 微塵系列の底はミ・ジン・ケイ・レツ・テイと読んで、魅、腎、啓、烈。
 澱むはデンと読んで、電。

☆Sun(太陽)を覧(見よ!)
 犯(法や掟を破る)の赦(罪や過ちを許す)の故を告げる。
 魅(惹きつける)腎(かなめ)は、啓(人を教え導き)烈(精神が正しく強い)諦(真理)の電(光)である。

『岩手山』
 岩はガンと読み、眼。
 手はシュと読んで、趣(考え)。
 山はSunと読んで、太陽。
☆《要の考えは太陽にある》


賢治『くらかけの雪』

2021-12-22 06:27:10 | 宮沢賢治

   『くらかけの雪』

 たよりになるのは
 くらかけつづきの雪ばかり
 野はらもはやしも
 ぽしやぽしやしたり黝んだりして
 すこしもあてにならないので
 ほんたうにそんな酵母ふうの
 朧なふぶきですけれども
 ほのかなのぞみを送るのは
 くらかけ山の雪ばかり
   (一つの古風な信仰です)

 雪はセツと読んで、説。
 雪はセツと読んで、設。
 野はヤと読んで、也。
 黝はヨウと読んで、要。
 酵母はコウ・ボと読んで、講、模。
 朧はロウと読んで、Law(律)。
 送るはソウと読んで、総。
 山はSunと読んで、Sun(太陽。
 雪はセツと読んで、説。
 一つの古風な信仰はイツ・コ・フ・シン・コウと読んで、逸、己、普、新、講。

☆説(話)を設(こしらえる)也。
 要の講(話)を模(手探りすること)が、law(律)である。
 総て太陽の説(はなし)であり、己(わたくし)は普く新しい講(話)をする。

『くらかけの雪』は、表明である。


賢治『屈折率』

2021-12-21 09:00:52 | 宮沢賢治

 七つ森のこつちのひとつが
 水の中よりも明るく
 そしてたいへん巨きいのに
 わたくしはでおぼこ凍つたみちをふみ
 このでこぼこの雪をふみ
 向ふの縮れた亜鉛の雲へ
 陰気な郵便脚夫のやうに
   (アラツデイン 洋燈とり)
 急がなければならないのか


☆死地の真(まこと)。
 推しはかる宙の冥(死後の世界)を虚しく問う。
 講(話)には考えが宿るが、吾(わたくし)は掩(隠して)運(巡らせている)。
 隠した記は幽(死後の世界)の弁(言葉)であり、客(旅人)は普く燿(光)である。
 等(平等)を究める。

『屈折率』とは冥(死後の世界)と現世の空間との空気の密度の相違《率》である。


賢治『序』了。

2021-12-20 06:19:57 | 宮沢賢治

 すべてこれらの命題は
 心象や時間それ自身の性質として
 第四次延長のなかで主張されます。

      大正十三年一月廿日

☆冥(死者の世界)の内(内側)の真(まこと)の象(すがた)を、字で換(入れ替える)。
 二つを審(正しいかどうかを明らかにすること)が、章の質(内容)である。
 代わりの詞(言葉)を字の縁(つながり)で調える趣(考え)に挑んでいる。
 対の章は自由に算(見当をつける)念(考え)で逸(隠れたもの)と合わせると、二重に化(教え導くこと)になる。

※字(漢字)というツールを駆使して世界を広げ、もう一つの時空間に転移させるという手法であり、しかも二つの時空(解釈)は行き来自由である。