ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
☆死を合わせた諦(真理)の念(考え)が、衆等(みんな/わたし達)である。
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)『序』より
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
☆死を合わせた諦(真理)の念(考え)が、衆等(みんな/わたし達)である。
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)『序』より
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素を吸い
その暗い脚並からは
天山の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
☆ハロー(光輪)の講(話)である。
蘇(よみがえり)を求める案(考え)を書き、蔽(見えないようにしている)。
展(大きく広がる)Sun(太陽)、霊(死者の魂)を把(手につかみ)迫る。
片(二つに分けたものの一方)の講(話)は薀(奥義)である。
四月の基層の光りの底を
唾し はぎしりする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
☆死を合わせた記は、双(二つ)あり、他意を推しはかる。
衆等(人々)を、普く啓(人の眼を開いて理解させる、教え導く)救いを運(巡らせている)。
現れる字を展(広げ)解らせる。
照(あまねく光が当たる=平等)は理(宇宙の根本原理)であり、普く光の講(話)である。
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
正午はショウ・ゴと読んで、章、語。
管楽はカン・ガクと読んで、換、学。
琥珀はコ・ハクと読んで、個、魄。
青さはショウと読んで照。
☆章(文章)は語(言葉)を換(入れ替えて)学(研究する)。
個(一人ひとり)の魄(たましい)は照(あまねく光が当たる=平等)である。
『春と修羅』は、Holo/光臨(太陽)と衆等(わたし達)である。
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
☆真の照(あまねく光が当たる=平等))は普く続く(永遠である)。
質(内容)を知り、展(ひらき)究める。
模(手探り)が要(かなめ)である。
『高原』
海だべがど おら おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
ホウ
髪毛 風吹けば
獅子踊りだぢやい
☆『光が源である』
皆(すべて)の講(話)はSun(太陽)が発(放つ/明らかにする)望(願い)を普く推しはかることであり、詞(言葉)を視(よく見ること)が要(肝心)である。
『岩手山』
そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微塵系列の底に
きたなくしろく澱むもの
散乱反射はサン・ラン・ハン・シャと読んで、Sun、覧、犯、赦。
古ぼけて黒くはコ・コクと読んで、故、告。
微塵系列の底はミ・ジン・ケイ・レツ・テイと読んで、魅、腎、啓、烈。
澱むはデンと読んで、電。
☆Sun(太陽)を覧(見よ!)
犯(法や掟を破る)の赦(罪や過ちを許す)の故を告げる。
魅(惹きつける)腎(かなめ)は、啓(人を教え導き)烈(精神が正しく強い)諦(真理)の電(光)である。
『岩手山』
岩はガンと読み、眼。
手はシュと読んで、趣(考え)。
山はSunと読んで、太陽。
☆《要の考えは太陽にある》
『くらかけの雪』
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしやぽしやしたり黝んだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵母ふうの
朧なふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(一つの古風な信仰です)
雪はセツと読んで、説。
雪はセツと読んで、設。
野はヤと読んで、也。
黝はヨウと読んで、要。
酵母はコウ・ボと読んで、講、模。
朧はロウと読んで、Law(律)。
送るはソウと読んで、総。
山はSunと読んで、Sun(太陽。
雪はセツと読んで、説。
一つの古風な信仰はイツ・コ・フ・シン・コウと読んで、逸、己、普、新、講。
☆説(話)を設(こしらえる)也。
要の講(話)を模(手探りすること)が、law(律)である。
総て太陽の説(はなし)であり、己(わたくし)は普く新しい講(話)をする。
『くらかけの雪』は、表明である。
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりも明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでおぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(アラツデイン 洋燈とり)
急がなければならないのか
☆死地の真(まこと)。
推しはかる宙の冥(死後の世界)を虚しく問う。
講(話)には考えが宿るが、吾(わたくし)は掩(隠して)運(巡らせている)。
隠した記は幽(死後の世界)の弁(言葉)であり、客(旅人)は普く燿(光)である。
等(平等)を究める。
『屈折率』とは冥(死後の世界)と現世の空間との空気の密度の相違《率》である。
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます。
大正十三年一月廿日
☆冥(死者の世界)の内(内側)の真(まこと)の象(すがた)を、字で換(入れ替える)。
二つを審(正しいかどうかを明らかにすること)が、章の質(内容)である。
代わりの詞(言葉)を字の縁(つながり)で調える趣(考え)に挑んでいる。
対の章は自由に算(見当をつける)念(考え)で逸(隠れたもの)と合わせると、二重に化(教え導くこと)になる。
※字(漢字)というツールを駆使して世界を広げ、もう一つの時空間に転移させるという手法であり、しかも二つの時空(解釈)は行き来自由である。