二日前の14日、大ちゃんを連れて千葉市立美術館へ
「彫刻家 高村光太郎展」に行ってきました。
大ちゃんが暇そうだったので「行くかい?昼飯イタリアンご馳走するぞ」と
いう父ちゃんに「よっしゃー、行く」と云う事で3人で出かけました。

「『高村光太郎』って知ってる?」と大ちゃんに聞いたら「知らん」との事。
「有名な詩人であり彫刻家だよ」と云いましたがあまり興味が無いようで、
「ま、いいか」です。

美術館には光太郎の彫刻作品がたくさんあり、なかなか見応えがありましたが、

私のお目当ては智恵子の切り紙絵です。 智恵子抄の裏表紙に載っていた千恵子の切り絵↓

智恵子は勉強していた絵が行き詰まり、その他いろいろな心労が重なり
精神に異常をきたしてしまう。千葉県九十九里に療養するも良くならず
南品川ゼームス坂病院に入院。そこで光太郎の見舞いを待つ間、たくさんの
切り絵を残した。
高村光太郎が書いた「智恵子抄」のなかに「智恵子の切抜絵」という文章がある抜粋してみると
精神病患者に簡単な手工をすすめるのはいいときいていたので
千恵子が病院に入院して、半年もたち、興奮がやや鎮静した頃、
私は智恵子の平常好きだった千代紙を持っていった。千恵子は
大へんよろこんで其で千羽鶴を折った。(中略)
すると或時、智恵子は訪問の私に一つの紙つづみを渡して見ろと
いふ風情であった。紙包をあけると中に色がみを鋏で切った模様風の
美しい紙細工が大切さうに仕舞ってあった。其を見て私は驚いた、
其がまったく折鶴から飛躍的に進んだ立派な芸術品であったからである。
私の感嘆を見て智恵子は恥ずかしさうに笑ったり、お辞儀をしたりしていた。(後略)
智恵子が紙の切り抜きに使った鋏はマニキュアに使う小さく先の曲がった鋏だったとの事。
鋏一丁を手にして暫く紙を見つめた後、あとはすらすらと切っていった。展示会に出ていた
切り紙絵は広告の紙(GINZA SENBIKIYA)等も使ってあり光太郎がお見舞いに行く度に
お土産として持っていった紙包みらしい。実に上手く使ってある。精神に異常をきたし
病室で唯一「仕事」が切紙絵でした。展示会にはたくさんの切り紙絵がありました。
どれも細かい仕事に驚かせられます。
智恵子抄は何度か映画にもなりましたしTVでもドラマ化されたが私としては原節子が
演じた智恵子が一番でした。
「高村光太郎」と云えば彫刻もさることながら詩集「智恵子抄」が有名です。
智恵子の事を書いたたくさんの詩は私も好きな詩がたくさんあります。

光太郎が智恵子抄で詠んだ詩の中でも好きな詩は「レモン哀歌」と「あどけない話」です。
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパァズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機關はそれなり止まった
写真の前に挿した櫻の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
光太郎の悲しみが現れた詩です。私はこの詩を読むと亡くなった姉を思い出します。
さて現実に戻って美術館を出た後、大ちゃんお好みのイタリアンレストランへ
といっても「サイゼリア」大ちゃんいろいろ注文してたらふく食べて暑い中
帰ってきました。大ちゃんそのうち「高村光太郎」の事も勉強するでしょう。
その時に思い出してくれればそれで良しです。
高村光太郎展今月の18日までやっています。
「彫刻家 高村光太郎展」に行ってきました。
大ちゃんが暇そうだったので「行くかい?昼飯イタリアンご馳走するぞ」と
いう父ちゃんに「よっしゃー、行く」と云う事で3人で出かけました。

「『高村光太郎』って知ってる?」と大ちゃんに聞いたら「知らん」との事。
「有名な詩人であり彫刻家だよ」と云いましたがあまり興味が無いようで、
「ま、いいか」です。


美術館には光太郎の彫刻作品がたくさんあり、なかなか見応えがありましたが、

私のお目当ては智恵子の切り紙絵です。 智恵子抄の裏表紙に載っていた千恵子の切り絵↓

智恵子は勉強していた絵が行き詰まり、その他いろいろな心労が重なり
精神に異常をきたしてしまう。千葉県九十九里に療養するも良くならず
南品川ゼームス坂病院に入院。そこで光太郎の見舞いを待つ間、たくさんの
切り絵を残した。
高村光太郎が書いた「智恵子抄」のなかに「智恵子の切抜絵」という文章がある抜粋してみると
精神病患者に簡単な手工をすすめるのはいいときいていたので
千恵子が病院に入院して、半年もたち、興奮がやや鎮静した頃、
私は智恵子の平常好きだった千代紙を持っていった。千恵子は
大へんよろこんで其で千羽鶴を折った。(中略)
すると或時、智恵子は訪問の私に一つの紙つづみを渡して見ろと
いふ風情であった。紙包をあけると中に色がみを鋏で切った模様風の
美しい紙細工が大切さうに仕舞ってあった。其を見て私は驚いた、
其がまったく折鶴から飛躍的に進んだ立派な芸術品であったからである。
私の感嘆を見て智恵子は恥ずかしさうに笑ったり、お辞儀をしたりしていた。(後略)
智恵子が紙の切り抜きに使った鋏はマニキュアに使う小さく先の曲がった鋏だったとの事。
鋏一丁を手にして暫く紙を見つめた後、あとはすらすらと切っていった。展示会に出ていた
切り紙絵は広告の紙(GINZA SENBIKIYA)等も使ってあり光太郎がお見舞いに行く度に
お土産として持っていった紙包みらしい。実に上手く使ってある。精神に異常をきたし
病室で唯一「仕事」が切紙絵でした。展示会にはたくさんの切り紙絵がありました。
どれも細かい仕事に驚かせられます。
智恵子抄は何度か映画にもなりましたしTVでもドラマ化されたが私としては原節子が
演じた智恵子が一番でした。
「高村光太郎」と云えば彫刻もさることながら詩集「智恵子抄」が有名です。
智恵子の事を書いたたくさんの詩は私も好きな詩がたくさんあります。

光太郎が智恵子抄で詠んだ詩の中でも好きな詩は「レモン哀歌」と「あどけない話」です。
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパァズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機關はそれなり止まった
写真の前に挿した櫻の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
光太郎の悲しみが現れた詩です。私はこの詩を読むと亡くなった姉を思い出します。
さて現実に戻って美術館を出た後、大ちゃんお好みのイタリアンレストランへ
といっても「サイゼリア」大ちゃんいろいろ注文してたらふく食べて暑い中
帰ってきました。大ちゃんそのうち「高村光太郎」の事も勉強するでしょう。
その時に思い出してくれればそれで良しです。
高村光太郎展今月の18日までやっています。