きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

いまさらだがやはりゆとり

2018-03-13 07:46:00 | 徒然に2018-2020
昨日、職場のGさんがやってきてしばし談笑(ありがとう)。

休日の外出時に来ていただいていたのだが、儂のラインの確認ミスで二度手間をとらせることになってしまった(すみません)。
話の中でウチの若手職員の四方山話も聞かせて貰い、久々に大笑いできた(ありがとう)。
その若手職員の四方山話も「ゆとり世代はね」と、Gさん本人も所謂ゆとり世代なのにそう言う括り方をして(いわば自虐的に?)自然に話が進んでしまうぐらい、ゆとりは否定的というかそこまでいかなくても困った感で語られることが多いのではないかと思う。勿論今回の場合は面白可笑しく色が付くためのゆとり評価なんだが。

ただ儂は、ゆとりが世間で批判されていたときからかなりのゆとり信望者で。
ウチの子供たちはゆとり教育の正にまっただ中で学校行ってた。

ゆとりといいながらゆとりの内容は成長する上で大切なことがいっぱいあって。

ただ学校というところはマニュアルとか形とかそういうのがないと動けないことが多いからゆとりみたいな具体的なマニュアルも何もないモノをやれと言われても学校は消化しきれないわけで、で本当にただ遊ばせるだけになってしまったという、そんな風にとらえている。つまり、ゆとりが悪いのではなくゆとりに対応しきれなかった学校が悪いのだと。この場合、珍しく国(文科省)の肩を持つことになってしまうが。
要は学校現場にゆとり教育を進める力などなかったということと、それをあるという前提で進めようとした文科省の認識のずれが原因でうまくいかなかったというだけで、ゆとりの理念自体は凄く大切なのだと。
ゆとり世代の発想とか考え方とか、価値観とか、結構今の社会にないものがあるというより、上から目線で云えば生かせるモノが多いのではと、彼らと話をするとよく思う。

いまさらだがやはりゆとりはたいせつであるとおもったわけで。

それから、ついでのようで申し訳ありませんが、Gさん他、この1ヶ月間にお見舞いに来てくださった方々、ありがとうございました。中には不在のときもあり、失礼いたしました。施設維持関係の部署にいるOさんなど、本当に普段挨拶程度なのに気に掛けて下って本当に申し訳ないやら有り難いやら。

残り1ヶ月、ここでスパートとはいかず、なかなか身体的にも気持ち的にもかなりへろへろなのを感じるのですが、頑張ります。