きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

炬燵の周りに

2018-03-16 08:06:45 | 徒然に2018-2020
漸く温かくなって春分も間近になって。


冬を乗り越えてやれやれという感じで。

極端に温かくなって季節を間違えそう。
でも炬燵はなかなか片付けられないか。

早く帰ってのんびりしたいねえ一緒に。

あんよ

2018-03-15 07:26:22 | 脊髄内血管腫との邂逅
2月16日から2週間弱の間、自主訓練の時間に歩いた。自主訓練というのは要はリハビリの合間の時間で、今までは外のリハ庭をぐるぐると漕走していた。その時間をこの期間だけ病棟内をぐるくると歩行する。期間限定の特別自主訓練である。

歩くことができたのは、この歩行車を借りることができたため。元々他の人用に借りていたらしい。膝が折れたりバランスが崩れたりして転倒しそうになってもサドルや周囲のバーでそれが回避できる。普通の歩行車なら看護師さんや介護士さんに付き添ってもらわなければならないが、この車に関して云えばその必要がないので、乗るときと降りるときだけ声を掛ければ、後は外の漕走同様、やりたいだけ回ることができる。

終了まで残り2日の時点で、合計300周(約30キロ)弱で20時間超える練習ができた。

で、業者さんからなかなか返却指示が出ないとかで、もうしばらくもうしばらく、がどんどん長くなり、結局返却は今日、ということでぼ1ヶ月間の歩行練習に。合計700周(約70キロ)超で45時間超える練習ができた。途中、調子に乗って距離も速度もぐんぐん伸びたが最近は脚も痛くてややセーブしていた。にも関わらずこれだけ歩けたのはなかなかのもんだと。

普通の歩行車は、肘をおいて車を動かすような感じで歩くが、それによって脚が楽に前に出て歩き方が綺麗になる。この車もそれができるが、転倒のリスクがないのと肘を置かないで進むような歩き方もできそうなので、できるだけ肘に頼らずに脚の踏ん張りだけで進むような練習をした。右膝が折れやすくはなるがそれを気にしないで、歩幅を取り、リスク回避のための前屈みの姿勢をとらずに体重を後ろ気味において、歩き方や脚の出し方を工夫した。
初めは1周6~7分かかっていたが、一週間ぐらいするとその半分で回れるようになった。最終的には1周は約3分で最速は2分と少し。1回の練習はだいたい1時間かそれ以上。これはリハ庭漕走と同じ感じ。
1回の最高は42周で2時間20分。数字だけはフルみたいな距離になったが、初めの15周から20周ぐらいがしんどくて、それを抜けると25周辺りで歩幅が安定するようになった。10周ぐらいで止めるとこの感覚は分からなかっただろうから、やはりまとまった距離を練習することは必要だろうと感じた。そして、35周過ぎて、左の太股や右の膝の上、太股の付け根などが痛くなり、脚が重くなってきた。リハで杖の練習をしていても、不安定さへの対応や脚の運びに気を付けることとかに気を遣っての疲れは感じたことがあるが、やはり1度の練習時間が20分ぐらいになるから、体の疲れは感じたことがあまりなかったように思う。
ただ、リハ庭漕走と同様にこの病棟周回をすることで、漸く「疲れる」という感覚が分かってきたようにも思う。自主訓練だから、歩き方とか姿勢とか、そこに気を付けることはできても1人でやる分限界がある。反面、量を主眼に置いてやることについては効果はあった。腰とか太股とか車椅子ではあまりしんどくならない部分が痛くなった。体が疲れてではなく、脚が疲れて前に出ないという感覚を経験することができた。やはり量をこなさないと駄目だと感じた。

2月の中旬からリハ疲れで、こうしてリハの空き時間を全部漕走に使うとかできにくくなって、ベッドで30分ぐらい横になることも増えている。この期間中も当然そうなった。以前は乗り移りが面倒だったのもあるが、最近それにも増して疲れとるなあと感じるのも事実。
後は、距離を積むことで右の膝折れがかなり少なくなった。膝折れを恐れずに姿勢重視で自然な歩き方を心がけたことで(こうすることで膝はかなり折れやすくなるのだが)膝が鍛えられたというより、膝の周りで踏ん張ることができるようになったようである。

リハの時間も含めて歩く時間が増えている。ただ、歩けるようになるためにみたいな感じで歩くことは実際にはなくて、ただ時間があって、条件が揃っていて、そして歩くと云う感じでとらえている。うまく云えないが、歩くという機能を獲得したり高めたりするというよりは、強いて云うなら身体全般の機能を高めるというか。
というより、本当に、ただ歩きたいとか歩けるようにとかではなく、歩く条件が揃ったから歩くというか。
これも車椅子でぐるぐる回るときと同様にランのときの感覚に近いような気もする。

接ぐということ

2018-03-14 07:37:36 | 脊髄内血管腫との邂逅
車椅子の漕走用にと職場の方にクリスマスプレゼントで頂いた手袋。

豚皮でかなり丈夫なものだったが、3双すべて穴が空いてしまい、さてどうするかと。

一つを潰して他の二つを補修する。外側に充てるのは弱いので内側にはめ込むような感じにしたが。

どうしても傷むもんは傷む。それでもまだ皮が余っているので、何とか補修しながら頑張ってみようかと。

今、手だけでなく肩とか背中とかだけでなく脚とかも凝ったり張ったり痛かったりで結構我慢の時期。何とか誤魔化しながら頑張らなければと。

昨日読んだ本のフレーズと接ぐという行為が重なる。
目の前のことを無心で一つ一つとは思うが、いろいろなことを考えてしまう。


いまさらだがやはりゆとり

2018-03-13 07:46:00 | 徒然に2018-2020
昨日、職場のGさんがやってきてしばし談笑(ありがとう)。

休日の外出時に来ていただいていたのだが、儂のラインの確認ミスで二度手間をとらせることになってしまった(すみません)。
話の中でウチの若手職員の四方山話も聞かせて貰い、久々に大笑いできた(ありがとう)。
その若手職員の四方山話も「ゆとり世代はね」と、Gさん本人も所謂ゆとり世代なのにそう言う括り方をして(いわば自虐的に?)自然に話が進んでしまうぐらい、ゆとりは否定的というかそこまでいかなくても困った感で語られることが多いのではないかと思う。勿論今回の場合は面白可笑しく色が付くためのゆとり評価なんだが。

ただ儂は、ゆとりが世間で批判されていたときからかなりのゆとり信望者で。
ウチの子供たちはゆとり教育の正にまっただ中で学校行ってた。

ゆとりといいながらゆとりの内容は成長する上で大切なことがいっぱいあって。

ただ学校というところはマニュアルとか形とかそういうのがないと動けないことが多いからゆとりみたいな具体的なマニュアルも何もないモノをやれと言われても学校は消化しきれないわけで、で本当にただ遊ばせるだけになってしまったという、そんな風にとらえている。つまり、ゆとりが悪いのではなくゆとりに対応しきれなかった学校が悪いのだと。この場合、珍しく国(文科省)の肩を持つことになってしまうが。
要は学校現場にゆとり教育を進める力などなかったということと、それをあるという前提で進めようとした文科省の認識のずれが原因でうまくいかなかったというだけで、ゆとりの理念自体は凄く大切なのだと。
ゆとり世代の発想とか考え方とか、価値観とか、結構今の社会にないものがあるというより、上から目線で云えば生かせるモノが多いのではと、彼らと話をするとよく思う。

いまさらだがやはりゆとりはたいせつであるとおもったわけで。

それから、ついでのようで申し訳ありませんが、Gさん他、この1ヶ月間にお見舞いに来てくださった方々、ありがとうございました。中には不在のときもあり、失礼いたしました。施設維持関係の部署にいるOさんなど、本当に普段挨拶程度なのに気に掛けて下って本当に申し訳ないやら有り難いやら。

残り1ヶ月、ここでスパートとはいかず、なかなか身体的にも気持ち的にもかなりへろへろなのを感じるのですが、頑張ります。

側車付きに限る

2018-03-12 07:48:14 | 脊髄内血管腫との邂逅
先日、外出許可を取って免許センターへ。福祉の申請で車に手動装置を付けるため、免許条件を変更して貰うのが目的。

本来なら今年の10月更新。勿論(というのはあまり乗らないため)ゴールド。

この日は、更新時期を迎えたヨメさんに送ってもらう。更新のヨメさんが行っている間、前日の睡眠不足のため車内で仮眠。

更新が終わった人がぞろぞろと出てきて、いよいよ臨時適性検査。予め電話で予約をする必要がある。にしてもこの免許センターのロビーが一昔前のフェリー乗り場みたいで。これは免許センターが悪いのではなく、昔のフェリー乗り場の雰囲気が何ともいえないだけなのだが。

適性検査を受けるといっても、この辺りは都道府県でなのかその人の障がいの状態でなのかよく分からないが対応がケースバイケースみたいで。儂の場合は、担当の警察官と障がいの経緯とか状態とかを確認しながら書類を作成する感じだった。
その過程で二輪車をどうするかという話になった。流石に乗れんだろうとその辺りは執着してなかったが、例えばシフトチェンジがないサイドカー仕様のビッグスクーターみたいなのなら乗れますねという話になり、二輪車も条件付けてそのまま置いておくことになった。これは予定外。

帰って調べてみたが、トライクとか側車付きオートバイとか、法律上の区分とか結構複雑でよく分からない。因みにトライクは三輪車なので普通免許で乗れる。ヘルメットも要らん。ただ車両は二輪扱い。かなり奥深い世界かも。

元々、ビッグスクーターとかサイドカーには興味があったが、そちらを選択する訳にはいかず、という経緯があり、今回はそれしか選択できず、となった訳だから何か妙な感じである。兎にも角にも単車(とは云わんか何て云うんだ)乗れるというのが面白い。そして、いわば憧れのビッグスクーターとかサイドカーに手が届くということにもなるので結構楽しい気分になったりしている。車買うとか云わなければ良かったかなどと阿呆なことを考えたり。
お金をどう貯めるかだけでなく、車椅子を積む方法を考えたりもして、結構空想しつつ現実的なところを考えたりしている。現実的にはバギーなんだがな。四輪の。あれ免許区分とかどうなんだろう後スクーターみたいに手だけで運転できるんだろうか。
バイク乗りって莫迦ですよねとは、リハの先生。蓋し名言。

つかの間の『娑婆』で

2018-03-11 12:33:33 | 脊髄内血管腫との邂逅
『娑婆』とは本来は、苦しみに満ちた耐え忍ぶべき世界だという。俗語的に意味を逆にして表すのは、江戸時代、所謂遊郭を娑婆に対する極楽の地と考えることができたものの、遊郭の女郎から見れば「娑婆(外の世界)こそ自由の世界」になるという考え方が切っ掛けらしい(ネットで調べた)。
で、その出典元サイト(日本語俗語辞書)には「意味は逆だがどちらも人が普通に暮らす世界をさす意味では変わっていない」と記されていてなるほどと思った次第。
因みに、今日は午後から外出許可を得る。目的は、自主訓練(漕走)で行き先は自宅そして『娑婆』の空気も。何が起こるか、である(事故は洒落にならんので冒険はせん)。

で、これまで復帰後の打ち合わせのために職場へ行ったり条件変更のため免許センタへ行ったりとかしてその帰りのこと。

懐かしい屋上に上がる。

ファーストフードで油と肉を食らう。

昼食代わりにアイスを食う。

お総菜コーナーで油と肉を食らう。届かなくて困っていたらおばちゃんが取ってくれた。有り難う。

病室に帰ってしばし余韻に浸る。

こういうのがあるから頑張ろうと思う。このウコンは職場でSさんにいただいたもの。まだまだあるか、あと少しか、いずれにしても頑張ります。

ふわふわ

2018-03-10 07:39:50 | 脊髄内血管腫との邂逅
昨日は体調不良。夜は全身が痛くなり尿やら汗やらがもの凄い量。
リハビリはほぼ全てストレッチ中心の緩いメニューにしてもらう。
自主訓練は当然なし、というかここまでやる気がないのも初めて。
いつもは無理矢理にでも始めなければと葛藤するがそれすらない。
ほんわかと時間が過ぎるのを眺めている。
車椅子の漕走を始めた12月以来だろう。
初めてに近いぐらいの完全休養となった。

ネットでゆるゆるとあっちこっちに行く。

こんなん見つける。ぶっ倒れた数日後か。

車輪抜きのフレームだけでこんなにする。
こんなん買わんでもかまん大会はないん。

頭がぼんやりして、それでいて変な感じ。

約40日前の写真。ここまでではないが。
白くて隠れて見えにくい感じはまだ残る。

ぷちぷち

2018-03-09 08:29:44 | 脊髄内血管腫との邂逅
気分的には、今、ちょっと上向きではなくて。勿論今までの方が大変だったししんどかったし、比べものにはならんぐらい。それでも何でか分からんが、今はそれとは別の何ともいえない感じで。
それでも、自主訓練は気持ちが切れかかりながらもやっている。何故なら他の患者さん(じいちゃんばあちゃん)に、「がんばっとるねむりせられんよ」と声を掛けて貰うことがしばしばあるので止められん。今は歩行器で病棟をぐるぐるぐるぐる回る。リハ庭の漕走はなかなかできないが、それでも訓練時に他の病棟の患者さんに声を掛けて貰うことがあるので止められん。
思えばウチの病棟、3月に入って急に退院が増えた気がする。もうかなりの古株の筈、儂。

ゴールが見えるようになったからというわけではないのだろうが。だったら余計に上向きになりそうなもんだが、何でかそうではなくて。単に飽きたかそれならいいが。
気持ち的には、目の前の一日一日を潰しにかかっている。それが精一杯だったりする。身体の状態の改善とか機能的な進展とか全く興味なく、ひたすら潰しにかかっている。

まあそれでも大丈夫。今までの方がしんどかったし、と考え方を変えてみたりする。こういうことは周期的に起こる。後何回ぷちぷちを用意すればいいのだろうかと思ったりする。

で、昨日これ打って今朝思いっきり体調不良だったりする。今日は自主訓練休みやなとマジで。きつい。

失笑の観点が違う

2018-03-08 17:55:56 | 徒然に2018-2020
私は一太郎派で仮名打ちだからかもしれんが。

別に一企業に合わせる必要は何もないわけで。

これを働き方改革だとするヤツもそれを今更と失笑するヤツもおかしいと思う。
譲ってオープンオフィスみたいな非営利企業に統一するならまだ分かるが。
それよりも気になるのは、働き方改革の考え方も、統一されているのが前提で当たり前だとする考え方も何か違うということ。
そちらの方が失笑モン。


熊野を経て広まで

2018-03-07 08:15:44 | 遠くへ~少しだけ非日常
朝、銀山町(かなやま、と読むのだが音訓のごちゃ混ぜをはじめ広島は読み方が難しい地名が多い気がする)のカプセルを出る。6時前。

猿猴(えんこうといって河童の一種らしい)川を渡ったところのファミマで朝御飯。

水分と汁もん。昨夜はよく呑んだが今朝その痕跡はあまりない。

走り始める。大洲通りを東へ。マツダを見る。来年は来れるかなと(これは別の意味これを打っている10月25日の時点でも思う)。

広島高速2号線をくぐり、マツダ本社前を過ぎる。その先のコンビニで最初の補給。まだ1時間経っていないが、いつもは起きた後は1リットルぐらい摂っているからそれに比べると水分不足。

安芸区から海田市に入り、国道31号へ。自衛隊の駐屯地を見ながら熊野別れ、そして県道34号へ。狭い道で難儀する。その割に交通量は滅茶苦茶多い。

信号待ちで100円自販機を見つけ、補給。走るペースではなく補給ペースが早い。で、案の定この先5分もしないうちにコンビニがあった。まあ昨日(五日市までのラン)だけでなくいつものこと。

登っては振り返る。結構な勾配である。登るのはきついが景色はいい。

広島熊野道路の下を潜ったら、昭和入口。勾配がきつくなる。もう一踏ん張りとずんずん行くと峠を越える。

筆の町熊野に入ってまず何をしたかというと、補給。このアイスと炭酸を買う。気温もそこそこ高かったようで。昨日44キロ走の影響か、消耗が激しく、ここでショートカットして呉に向かうルートにするかと迷い始める。丁度この萩原夏祭りの辺り。熊野の筆関係は綺麗な観光向けの建物が多かったが、特に立ち寄らず立ち止まらずで写真もない。

ここで呉に向かうと、着いてから暇を持て余しそうだという理由(というか計算)により、予定通りそのまま34号を黒瀬の方に向けて進む。山道山道。峠を越える。

そして長めの熊野黒瀬トンネル。

黒瀬町といえば、昔(といっても高校生ぐらいのときか)深夜の報道番組でドイツかポーランドかの自治体から「アウシュビッツ」に関する記念館を作るとか言って沢山のモノが寄贈されたが、町が一向に約束を果たさずに役場の隅にそのアウシュビッツ関係のモノがほったらかしになっているとかいう、結構な問題が示されたドキュメンタリーがあったことを思い出す。あのアウシュビッツはどうなったんだろうかと思いつつ。でも。景色にはアウシュビッツは全く出てこない。当たり前。日本の山間の町。

ここで、町中心部には入らずに、ショートカット。336号線。長閑な風景が続く。

自販機を見つけて炭酸購入。限定ライチにも惹かれたが冒険せず(このライチは残りの夏休みを使って行った三江線トレースの時に買ったが失敗だった)。

高速(東広島・呉自動車道)の高架の影で、残りの距離を確認する。まだ15分ぐらいしか経っていないのに再び水分を摂る。思ったより身体はきついと訴えている。

え、もうここから呉市、というぐらい少し行っただけで市境を越える。でも景色はまだまだ山間のまま。ゆっくり行けばいいかと思う。それでも、フェリーの便数には余裕があるが、丁度2時間近く待たなければならなくなる狭間の辺りだから、少し迷う。じゃあもう一道草すればいいようなもんだがそこまでの余裕はない。

黒瀬川を渡り国道375号へ出る。運良くお店を見つけるがアイスが置いていない。おばちゃんがすまなさそうに。いえいえ。

気を取り直して少し行くと、古いヤマザキが。お店やっとんのかなと、入り口を見たらちゃんと営業していた。いつものガリガリ君。後で地図を確認したら、国道に出たときに200メートルぐらい逆に行けばファミマがあったらしい。いつもの結果論。

二級峡は建設車両が川に入っていて、何やら工事中。思ったほどに見通しも利かなかった。徐々に下って呉の街を目指す。呉といっても広くて幾つか賑わっているところが分かれている。広と阿賀と呉中央。因みに阿賀は昔堀江からフェリーが出ていたところで単車に乗っていたときは一番よく利用していたので馴染みがある。今日はその内の一番近い「広」というところまでか。フェリー乗り場まではしんどそう。

街が近付いて来た辺りのコンビニで再度エナジー系。

国道375号から185号へ。古くからの繁華街感有り有り。

新広駅着。駅も周辺もこじんまりとしていて少々予想外。反対側の広駅の方がさっきのT字路のような雑然とした雰囲気がしていたのかもしれない。予定通りの便で帰ることに。と、その前に、国道向かい側のセブンで補給ではなく御褒美を。

ホームで慰労。やっぱり「広島に乾杯」で。今日はショート缶。

で、呉に向かう。まだ陽は高いが、これぐらいで充分ではないかと。

バテバテながら、この日も37キロ余り。登りは最初の熊野別れからの矢野辺りのみで、ぽんと500メートルまで出ているのはトンネルだから、そんなにガツガツ登った感じではないが。
しっかり走れたので良しとする。

所用ナシの外出で川沿いの道を

2018-03-06 06:41:52 | 脊髄内血管腫との邂逅
用事があって自宅に帰るつもりで外出届を出したにもかかわらず、所謂諸事情というやつで予定を変える。

いずれにしても自走するつもりだったので出発は予定通りだったが。

ここで逆向きに。

川を下って海まで行くことにする。川沿いの自転車道は、車が来ないのはいいが割合がたがたしたアスファルト。ただ、試乗車(先日先述)のお陰でかなり楽に行けたと思う。

高速の下をくぐった辺り、その向こうの車止めの辺りで近くの高校生の集団。待っていたら途中でどうぞと譲られる。いえいえと云うが結局有り難く通らせて貰う。この川沿いを行く人(の人となり/為人)だからなのか、相手が車椅子だからなのか、向こうから来る人は高校生に限らず散歩の老人もランナーもにこやかに会釈をしてくれる人が多い。走っているとき、ここまで挨拶されたことはなかったが。

が川沿いの道もトイレは割と無くて、結局その先のスタジアムのトイレに駆け込む。駆け込んだ後が長い。仕方がない。

それてもスタジアムを出るとすぐに川沿いに戻れるのはまだ有り難い。左は川沿いで右は外環状の歩道。そちらの方が路面は走りやすいだろうから機会を改めて。

すぐ先の橋を渡り、その先の国道でもう一度渡る。この辺りは川沿いの道が途切れているためで迷走しているわけではない。

それでも、右岸ではなくて左岸を行けば良かったかここをずっといくのは少々飽きてきたかと思っていたら、菜の花。道端に少しだけだったが充分。

しばらくするとまたトイレに行きたくなるが、トイレは見えるけれども遙か遠く。土手を降りるわけにいかんから不便といえばそれは確か。

結局その先のスーパーで借りる。そこまで降りる道の傾斜の険しいこと。戻るときは何とか上れた。階段以外の通路があっただけマシだが、この傾斜、後何年上れるかという感じだった。

で、何となく道の雰囲気でもう一度橋を渡り左岸へ行き。

河口に辿り着く。0キロメートル。ここまで3時間余り。かなり時間を取られたトイレを除く。含めると4時間近くになる。

それでも久々の海。生の海。

その後、海沿いに南下して工場群から古い漁港を経て街へ。期せずして去年倒れる少し前に来たルートの逆を辿っている。何かしら運命めいたものを感じる。

そして、これもまたそれとは別のとき、夏の暑い日にこの近くの郵便局でギブアップして近くのスーパーで麦を買い、電車に乗って帰ったことを思い出す。何かしら運命めいたものを感じる。
その駅も古い街と共にそのままの建物のようだが、思わぬところでスロープがないことが分かり、さらにしばらく行く羽目に。運命めいたものなど何もない。その先の公共会館でトイレを借りるべく急ぐ。

トイレから出ると、予報にはなかった雨。急いで近くのショッピングモールで雨宿り。そして一つ先の駅から帰途につく。

約20キロ余りで実走時間は4時間ぐらいか。トイレも時間がかかるしかなりへとへとになるし足腰背中が痛くなるしランのようにはいかんなあと思うことしきり。
ただ試乗車のパフォーマンスの高さは感じた。トイレとか補給とかコースとか路面とか、制約や条件はいろいろついて回るだろうが、ふらりと漕走なんてのも案外できるかもしれんなと思ったり。

やっぱり懲りてない。懲りる訳がない。

試乗車

2018-03-05 07:22:14 | 脊髄内血管腫との邂逅
先週から一週間の予定で福祉で申請で支給して貰うオーダーの車椅子の試乗車をお借りしている。
自費で買った室内用のもなかなかコスパ的には高かったが、今度のオーダーはやはり格というかグレードが違うと感じる。
漕いでみるとブレは少ないし直進安定性が高いにもかかわらず小回りが利く。そして漕ぎ出しが軽い。乗り味はやや硬めでなかなか良い。リハの先生と話すうちに、国産車のリッターカークラスと独逸車の違いみたいなもんかということになっている。

ホイールはお金出してこれと同じカーボンを装着する予定。

後は車軸の調整をどうするかだが、これは乗りながら考えることに。福祉の範囲内では到底収まらないから、結構な額を自己負担する予定。それでもやはりこの乗り心地は凄いし違いがはっきり分かる。お金がかかっているもんは違うなと。

赤いのは他の患者さんからも評判が良かったが、しばらくお休みである。

きこえないこと

2018-03-04 12:27:37 | 徒然に2018-2020
その1:を、補う機器として補聴器というモノがある。英訳はHearing Aid。

これは儂の。1つ100000円ぐらい。手帳がないので自費購入だから、これでもあまり高くはないのにしているが。

高くはないとはいえ、5号にいたずらされたときは卒倒した。まあ儂の不注意だから仕方がないんだが。

因みにこれも補聴器らしい。耳たぶにあるヤツ。ここまでぶっ飛んだのでなくても良いから、もう一寸格好良いのが増えれば着ける子供たちが増えて良いのにと思う。

その2:に、配慮してもらえることはある。

街に出れば筆談OKのところは増えた。若い担当者の方が、抵抗無くしてくれたりする。

プラネタリウムも特別プログラムを作ってくれたりしたことがあった。真っ暗になるからこれは相当有り難い。

デジタル放送になってからは字幕放送。ただ、正直言うと、家人と一緒のときは画面が見えにくいらしくて、あまりいい顔をされなかったことがあって、まあ、あまり使わない。

その3:で、手話を使う人たちがいる。

随分、裾野が広がったと思う。

その4:は、理解できているようでできていないと思う。

聴導犬の啓発とか。

手話通訳の派遣の問題。

そして、休憩中の何気ない雑談の問題。これが実は一番大きい。
いずれも、自分は大丈夫だからと「健聴者(本当はこんなコトバおかしい何故だか分かるか)」が思っているから。

その5:は、生きるか死ぬかということにもなる。

災害時というのは、自分のことを守るのにみんな必死だから、他者への配慮ができにくい。すると通常時では問題なかったことが非常時だからできないということは多々ある。それが残念ながら命に関わることもある。

その6:と、いうだけでニュースやネタになるのだが。

別に、そんなのあたりまえじゃないかと思うこともある、というのは少し性根が悪いのだろうか。

その7:って、こういう風に見られているんだなあと。

「みみなしほういち」は儂も言われたことがある。

その8:は、はっきりしない。

世の中の立ち位置で自分の見方が歪んでしまうことは実際にあるような気がする。

私は聞こえる人なのだろうか、聞こえない人なのだろうか、というマージナル・マンのような立場の人は特に。
聞こえないことは障がいではなく文化なのだという主張はラディカルだが、それで説明が付くことも多いのは確かだなあと思う。

その9:を、きこえる(「健聴者」ではない「聞こえる」である)子供たちに知って欲しいと思うようになってきた。
ただ、普段、音の情報を使わないで生活しているだけなのだということを。
そして、音よりも見る方が楽に生活できるというだけなのだということを。

その10:を、意識するようなったのは随分前からだが。 

それを大っぴらに語ることができるようになったのは随分後である。

大学も意識していないようで何となくそっち方面に行っていた。劣等生だったがこのテストだけはクラスで2番。結構自慢である。

番外編:は、テクノロジーで解決できるだろうがまだまだだったりする。
ずいぶん前になるので今はもっと改良されているだろうが、とある音声認識アプリの変換結果が面白かったのでご紹介。前が誤訳されたフレーズ、後が本来の言葉。

ロードスター特性・・・ろうの方の特性
ラーメンに応じて・・・場面に応じて
利用したアプリ・・・利用した悪事
ハイエース-55かないのか・・・配慮することを考えたい
忘れるみたい・・・忘れずにいたい。
金剛・・・今後
姫路会社法ゴールド・・・対処方法等を
舞台劇・・・具体例
ダイキン mより・・・長い人生をより
具体的に嵐 ファイト方法頂い様がよくわかった・・・具体的な話、対処方法等も話して頂き、実情がよく分かった。
君の振り返るをデジカメで・・・日々の振り返りをデジカメで
中生割・・・自由なもの
大変・・・大切
話俺・・・使用例
高級愛は・・・コーチズ・アイ
歌い手綺麗・・・具体的で
いきなりない名古屋話が育詰まった・・・聞き慣れない単語や話がいくつもあった。
歌い手 昨日のバイト・・・具体的アドバイス
今ロキソニンついてとてもよく分かりました・・・手話の基礎についてとてもよく分かり、今更
事前する場面防衛省残り・・・実演する場面も印象に残り
19妖精・・・重要性
ラルクする・・・努力する
岐阜県につぶして・・・実践にすぐうつせ
わかりやすいないローソン・・・分かりやすい内容で、ろう者

結構面白い。面白くては駄目なのだが。

MOMOの節句

2018-03-03 14:51:08 | 徒然に2018-2020
かなり前に(ヨメさんが)撮ったものだが。

なかなか良い案配。今年の干支だし(関係ないか)。

ごくろうさん。

今日は君たちに是非会おうといろいろ模索してみたが、身体のこととかでいろいろ制約が多くてやっぱ無理みたい。
ごめん。

思ったよりバリアはフリーである

2018-03-02 14:43:31 | 脊髄内血管腫との邂逅
先日外出時に利用した公共交通機関について。2回分まとめてのレポート。

病院前のバス停から利用できる。車椅子が乗れるノンステップバス。

ノンステップバスはよく見かけるが、実際に車椅子で利用して感心することしきり。

運転手さんが手動でスロープを設置してくれる。特に面倒がられることもなかった。

乗車後も安心。

駅はバリアフリーでスロープ設置の4駅を利用。

この車両はなかったが、専用の乗車スペースがある車両もある。元々京王で走っていた車両。なかなかお目にかかれなかったが。

何度目かでやっと専用スペースに乗車できた。この日は電動車椅子の人も乗り込んできた。

市駅は自動で乗車時のスロープがういーんと出てくる。他の駅は車掌さんが手動でその都度設置する。

市駅はエレベーターに乗って移動してまたエレベーターで改札へ。やや面倒だが人の手を患わせる必要がないから楽。
但し、事前リサーチは必須で、バスなどはいつもいつもこうしたバリアフリーのが走っている訳ではない。だから、そういうバスが走っていない路線を利用する場合や、またこの日はそういうことはなかったがそういうバスがたまたま来なかったときは乗車できない。

運転手さんに気付いてもらえず、思わず手を振って声を出して止めたこともある。
また、鉄道は乗るときに車掌さんに必ずどこまで乗るのかを尋ねられる。そして、乗る車両は指定されることが多い。
些細なことだが、完全にどこでも行けるわけではないということや、儂なんか適当に途中下車したりすることが多いので、これはこれでちょっと不自由だなあと感じたりする。それでも。
利用できる範囲でなら、呑み会のときとかでも、多分安心して乗れる。それは間違いない。

それよりも気になったのがやはり街。

路面のがたつきはないが、測道と車道の間の溝とか、どうしても車椅子では通りにくいし、店に入っても車椅子ではギリギリの通路幅しかない。段差や通れない場所も多い。

そして、路面がスロープになっても、案外ドア自体がバリアになっているのかもしれないと感じたことも多かった。

前の座席にはわんこと一緒のお客さん。それでもバリアは案外フリーだったりするのかもしれないしそうあって欲しいし。