このところの「花子とアン」、蓮子役の仲間由紀恵さん「掃除のやり方がなってない!」などと叱られ、大活躍?
この人、どことなくコメディっぽいところがあって、好きです。
さて、総集編を見ていて、というか、花子が女学生時代の頃から気になっていたのが束髪。
いつもきれいなだなあ、と。
けれど、本日は「きれい過ぎるじゃないか」という話ではありません(汗)。
この時代、生徒だけではなく、先生も、ほかの女性もほとんどが束髪ですよね。
先の「幕末・明治の美人帖」を眺めていたところ、こんな小さな記事を見付けました。
明治18年頃になると、「日本髪の不経済、不衛生、不便を理由に日本束髪会」なるものが設立されたそうです。
日本髪、結うのは大変だし、なかなか洗えないというわけ。
そこで束髪の便利さと形、結い方の解説をつけた版画を発行し、束髪の普及に努めたとか。
それ以降、学校などでは女学生、先生などが率先して束髪を結ったわけですね。
なるほど。単に流行っていただけではなかったようです。
日露戦争(明治37年)には、勝戦を決定づけた二百三高地に因んで前髪を張り出した「二百三高地髷」なども流行しました。
右の写真が二百三高地(「日本の髪型」(光村推古書院)より。
で、ワタクシも結ってみました。
というか、最初は「花子とアン」の時代、どのくらいの速さで結えるか試したのですが、(毎日結うわけではないので、あまり時間はかからないみたいです)エイ、銘仙のきもの着てみようと、「花子ルック」?になった次第です。
写真では見えませんが(手が邪魔!)、半襟は白ではなく余り裂。
いや、これは「花子」というより「おっかあ」の方ではないかとの抗議が来るかも。すみません。先に謝っておきます。
ヘアはいつものように簡単束髪。でも、前の膨らましをできるだけ大きくしようと、前髪にカール三つ、それをスプレーで固め、毛たぼを入れました。(いつもは入れません)
最初に入れると逆に難しいので、ある程度前髪を膨らましてしてから詰めていきます。
それでも、このくらい。いつもより少し膨らんでいる程度です。
で、これを解こうと鏡の前に立って、試しに前髪の部分を、どんどんピンで留めてみました。
すると、前髪が前へ前へと傾き、膨らんでいきます。
薄く赤で→をいれてある部分をピンで留めていきます。
すると押された髪が前に出ていきます。
二百三高地とはいいませんが、前髪の膨らみが目立つようになります。
後ろの髷とのバランスが少し悪いですが、髷を上にもってくるとバランスが取れるではないかと思います。
というわけで、本日はこれにて。
「ごきげんよう、さようなら」
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