カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

「キリンの子」(鳥居歌集)は鮮烈!

2017-05-10 09:38:27 | 本と雑誌
 図書館の良いところと私が思っているのは、目の前の本を見当つけて引き抜きペラペラと捲りながら選べることだ。

 自分の金を出して本屋で購入することは絶対にないであろう種類の本も山ほど並んでいる。

 余程目的というか必要性が生じた時以外は本選びの基準は手当たり次第である。

 短歌や詩や俳句のような短詩型のものは何処か意識的に選んでいる。

 小説はもう無作為抽出というやつであるが、何故か翻訳物の本棚の前に立つことが多い。

 
 「失われた時を求めて」マルセル・プルースト(著)角田光代・芳川泰久(編訳)2015新潮社(刊)

 ある一定の期間をおいて、かなり気合いを入れないと読みおおせない部類の本らしいが、この本は506ページに訳した本で取り敢えずプルーストに手を伸ばして見て下さいということらしい。

 ダイジェスト版ではないと断ってあるが、何冊にも亘る小説を506ページで済ますにはかなりの省略が必要。

 千夜一夜物語を超えるかも知れないという「僕」の失われた時を振り返る物語が延々と続いていく。

 物語はユックリと頭を持ち上げ、読むのを止めようかと思う頃ほぼ予想の展開を見せ始め、ウンザリする頃急展開をして目が離せなくなる。

 終わりに近づくと<時>を振り返って、どんな単純な人でも僕たちは空間の中で占める場所を測るように、<時>に占める場所もおおよそ測っている、等と執筆の動機のようなものや教訓的な言葉が続いて又もや頭の柔軟体操を要求する。

 ただ直ぐさま死ぬとは思わないまでも老年期をむかえ、癌を発症し頭の隅に「死」という言葉が浮かんだことのある身としては「<時>に占める場所を測る」という言葉には頷かされる。

 次は短歌の本を3冊借りた。

 
 「短歌ください」2冊 穂村弘(著)2014kadokawa(刊)
 ダ・ヴィンチ誌で連載中の「短歌ください」に投稿された作品を#1~#30・#31~#60、#61~#90を3冊に集めたもの。

 短歌のサラリーマン川柳版のような雰囲気があるが、新しい言葉の表現法が面白い。

 「キリンの子(鳥居歌集)」鳥居(著)2016.2kadokawa(刊)

 これは、上記の短歌くださいとはまったく次元の違った歌が収められた歌集である。

 「病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある」で始まる歌集は読み進むうちに胸を掻きむしられる。

 彼女が何歳なのか、住所も名前も分からない。

 学校にも行けず、独学で漢字や言葉を学び、人の歌集にルビを振って貰って何度も読み返し短歌のリズムを掴んだという。

 短歌として表現できる能力を磨きながら、幼少期からの自分を振り返って歌っている。

 かつて眼前で展開した悲惨極まりない体験も、社会の底辺でいまも生きている自分も、冷徹な目で捉えている。

 短歌があって彼女は生きていられたし、これからも生きていくのだろう。

 「失われた時を求めて」能動的に動いた作家プルーストと、生きる糧として短歌をよみ人に見いだされて結果的に<失われたかに見えた時>に意味を与えようとしている鳥居という作家。

 最近読んだ図書館の本では、「キリンの子」には星5つをつけたい。

 図書館は突然の出会いの場所なのだ、本との。

 

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