カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

風景を見て「帰り着いたと思う」とき

2017-08-03 10:23:38 | 日常あれこれ
 先日県外まで出かけた帰りの車中で、隣町を通過中に遠くに見える我が町の里山を見て相方が「こういった風景を見ると帰り着いたと思ってホッとしてしまうね」と言う。

 

 飯田山・船野山など400m前後の里山だが登ったこともあって親しみはある。

 相方とは同郷なので見慣れた風景も、故郷の山もほぼ一致する。

 

 鞍岳という千メートルちょっとの山で頂上が馬の鞍のように二つに分かれている。

 校歌にもちゃんと歌詞の中に登場する典型的なふる里の山なのである。

 もう一つ北の方向に八方ヶ岳という山があるが、こちらは二人で一度だけ登ったことのある程度の山だが、風景的にぐるりと見渡すと鞍岳と共に必ず視界の中に収まるお馴染みの山である。

 

 ある意味故郷の風景に溶け込んでしまっている山である。

 18歳まで住んだ故郷の山は、啄木の「山に向かいて言うことなし 古里の山は有り難きかな」を想起させる。

 ただ現在の益城町に住むようになって、24年が経過すると町の南に連なる里山を含めた風景が自分の住んでいる場所なのだと無意識に感じられるようになった。

 いみじくも相方も同じ感慨がつい口から出てしまったということだろう。

 転勤6回、引越13回のこれまでの人生で、この町へ来て一回も引越もせずもう24年も住んでしまった。

 そう言えば、実家のある古里の山を見ても子供の頃の思い出が蘇るだけで、帰って来たという感慨が湧かないことに気づく。

 帰って来たという気持ちは、その土地がもつ良い面も悪い面も含めた生活の営みそのものなのだろう。

 地震が襲い最悪の状況にある現在の町に、帰り着くことでホッとするとは何とも不思議な心境だ。

 
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする