ここ2日ばかり花火を見聞した。
花火を「見聞」としたのは、見た日と聞いた日が別々だったからだ。
もちろん音の方向と見えた方向は違うので別の町での催しだったのだが・・。
何処の町の会場なのか判らないが、音がほとんどきこえない文字通りの「遠花火」である。
町並みの屋根越しに見る花火なので、大きく打ち上げられる花火しか見えない。
閃光だけが見える時は、きっと低い場所で仕掛けられた花火の光なのだろう。
花火大会の会場ではそれぞれの思いで団扇をバタバタさせたり、子供達は綿飴をなめたり、夜店で買ってもらった光のリングをクルクル回したりして天を仰いでいるだろう。
そこには家庭のドラマがあったり恋のドラマがあったりするのだ。
遠花火には、そうしたものはない。
以前なら2階から家人に声をかけて無理矢理付き合わせたりもしていたが、今はそれもない。
さりとて虚しさも感じない。
音だけの花火も、音の無い光だけの花火も悪くはない。
「人生は余白がよろし遠花火」
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花火を「見聞」としたのは、見た日と聞いた日が別々だったからだ。
もちろん音の方向と見えた方向は違うので別の町での催しだったのだが・・。
何処の町の会場なのか判らないが、音がほとんどきこえない文字通りの「遠花火」である。
町並みの屋根越しに見る花火なので、大きく打ち上げられる花火しか見えない。
閃光だけが見える時は、きっと低い場所で仕掛けられた花火の光なのだろう。
花火大会の会場ではそれぞれの思いで団扇をバタバタさせたり、子供達は綿飴をなめたり、夜店で買ってもらった光のリングをクルクル回したりして天を仰いでいるだろう。
そこには家庭のドラマがあったり恋のドラマがあったりするのだ。
遠花火には、そうしたものはない。
以前なら2階から家人に声をかけて無理矢理付き合わせたりもしていたが、今はそれもない。
さりとて虚しさも感じない。
音だけの花火も、音の無い光だけの花火も悪くはない。
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