カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

私的前震物語

2019-04-14 10:10:16 | 熊本地震
 今日は4月14日で、3年前に最初の震度7の地震が発生した日である。

 先日は、町の写真屋さんがカメラに捉えた震災から現在までの写真展が催されていた。

 
 (震災写真展)

 被災直後の町の様子から、段々と復旧していく様子が1年毎に記録されている。

 たまたま写真展の初日であったらしくテレビも来ていて、いろいろと取材を受けるはめになってしまった。

 あの時の地震の写真を見て、どう感じたかという主旨の質問を、問いかけ方を変えて何度も聞かれた。

 この地震に関しては、過去にテレビカメラが3度、新聞社から1度インタビューを受けたことがある。

 壊れた車庫のブロックを自分で補修しているとき、町の名前を冠した女子サッカーチームの復活戦を雨の中応援に行ったとき、一年後相方と二人桜の花の下で弁当を食べているとき等である。

 その中で一番思い出に残っているインタビューが、3年前の最初の震度7の翌朝の電話インタビューである。

 
 (台所)

 娘のお産の手伝いで、相方は前の月から家を空けていて、一人で台所横のテーブルで一杯やっていたらテレビ番組が面白くなってきたので、焼酎のグラスを持ったまま居間のソファーに移動した途端に、ドーンと強烈な揺れが来た。

 ガシャーンと大きな音がして、先ほどまで座っていたテーブルの方に食器棚の一つが倒れて食器が散乱していた。

 電気も水道も通っているし、電話も通じた。

 テレビも映っているので、地震に関する情報もかなり正確に把握出来た。

 余震への注意をテレビが盛んに喚起するので、対策をすることにした。

 

 食器棚の中味は段ボールなどに詰め、卓上や棚のものは床の上に水平展開することにした。

 

 倒れたタンスなどはそのままにして暫く様子をみることにした。

 

 本箱や机などが倒れて中味が散乱したが、片付ければ済むことなのでそのまま暫く放置することに。

 そこに他県にいる息子から電話が来て、テレビ局の電話インタビューに対応は可能かと聞いてきた。

 了承すると、早速打ち合わせが始まって、「翌朝七時のニュースの中で震源地に住む〇〇さんに直接電話でお話を伺いますという感じで進めます」という話だった。

 
 
 (隣家の屋根と庭の瓦)

 朝になって庭を見ると瓦などが落ちていたが、これは全て隣家の屋根から落ちたもので我が家の屋根は健在だった。

 後は、余震に注意しようなどと思いながら電話インタビューを待った。

 今思えばまあ、ナント恥ずかしい発言をしたことだろう。

 家の中はガチャガチャだが、テレビも映っているし、ライフラインも確保されているので何とか大丈夫です、と強気の発言をしたのである。

 確かに慌てて避難所に駆け込んだ人達もいたが、余震の中自宅に引き返す人達が殆どだった状況から、私の強気発言もあながち空威張りではなかったのだ。

 隣の人と力を合わせて、庭の瓦などはその日の内に全て撤収してしまい、やれやれと思ったものだったのだ。

 日奈久断層の益城~白旗区間を震源とする震度7の地震で、後は余震に注意しようと考えた。

 まさか、この震度7が本震ではなく前震などと聞いたこともない名前で呼ばれることになろうとは知る由もなかった。

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コメント
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