先日、車を運転中に警報音が鳴り、モニターにはシートベルトの警告灯が出ていた。
慌てて、脱着を繰り返したが警報音は止らない。
やむなく停止して駐車状態にして、改めに電源ONから初動を繰り返した。
(シートベルト警告灯)
市街地に入り暫くすると、又もや警告音と警告灯が点滅。
車の流れに乗っているので、駐めることも出来ずそのまま走向を続けた。
緩やかな警報音も、やがてヒステリックなピーピーの強烈な連続音に変わって強烈にアピール。
それでも、放置して走っていたら、車の方が疲れたのか音は止って警告灯だけになった。
帰宅してディーラーに電話したら、定休日。
仕方なく車庫の中で、原因を追及。
原因は、助手席に乗せた柳誌編集のための紙袋内の資料の重さに座席のセンサーが反応したと判断した。
そう言えば、買い物袋や資料などはシートベルトはしないから、今後は留意をしておこう。
原因は、意外とささやかなものだった。
そして一昨日は、生死確認の電話が来た。
当初相方が電話に出たが、話の筋がよく分らない。
第一電話してきた相手がよく判らず、応答不能に陥り私にチェンジ。
電話の相手は散髪帰りの先輩で、葬儀場の横を通ったら通夜の表示に私の名前があったというのである。
結果は、本人が電話に出たことで私は生きていることが判明した。
亡くなったのは同じ町内の同姓同名の別人。
借家を数軒所持する方で、数年前までは郵便物の誤配達も多かった。
最初に気づいたのは、県外に転勤で住んでいたころ、銀行が振り込み先を誤って別人に振り込んだ時だった。
同姓同名が同一町内に居て、家賃収入だったので躊躇せず借家経営の先方に振り込んだという話だった。
転勤で元の町内に戻った後も、入居者が何組かは我が家に挨拶にみえて、その都度説明しものだった。
その後、郵便も入居の訪問も無くなり、ここ数年は静かだった。
先輩の通夜の電話の翌日から、新聞の訃報欄を見たという私と相方の友人・知人その他から電話が殺到した。
共通していた電話の言葉は「年齢が違うけれど、新聞の間違いということもあるし・・・」だった。
とうとう川柳の吟社の編集長からも電話があって、会員には生きていると返事しておいて欲しいと依頼した。
昨夜遅く、もう何年も会っていない先輩から電話があって、それ以降電話機は静かになった。
その中で、携帯に電話したが出なかったので確認のため固定電話に電話したという人もいた。
恐るべし携帯電話の不携帯である。
新聞訃報欄が招いたささやかな騒ぎだったが、文章にすると結構長くなる。
五七五に短縮して表現すると細部は判らなくなる。
「究極の喜劇はやはり悲劇です」・・・しろ猫
「今日、ママンが死んだ」カミユの異邦人、冒頭の一文がふと頭に浮かんだ。