白雲去来

蜷川正大の日々是口実

誇りと哀悼の日。

2015-03-11 12:12:12 | 日記
三月十日(火)曇り。

私は、家で作る天ぷらでは「ニンジン」が好きだ。昨夜も、うどん鍋を囲んだ際に、野菜のてんぷらを作ったが、特にニンジンを多めに揚げた。朝は、そのニンジンのてんぷらを「天丼」にして食べた。これが美味しい。海老でも他の野菜でも駄目だ、なぜか天つゆで軽く煮て卵でとじるのはニンジンが一番おいしい。カツ丼ではなく、ニンジン丼が蕎麦屋にあればいいといつも思う。

今日は、戦前であれば陸軍記念日である。明治三十八年(一九〇五)三月十日に、日露戦争の奉天会戦で帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した武勲輝ける日である。ドラマ「坂の上の雲」では、日本海海戦のシーンとこの奉天戦のシーンが一番いい。政府も先の大戦の七十年の談話など出さずに、陸軍記念日の談話でも出せば良いと思う。大体敗けた戦争の談話など、威勢が悪くて仕方がない。昭和二十年の今日、米軍は東京を空襲し十万余名もの民間人を焼殺した。戦後、東京裁判において日本の戦争指導者が裁かれた罪状に「人道に対する罪」というものがあるそうだが、笑わせてくれるではないか。

日本の都市への無差別爆撃、広島・長崎への原爆投下、そしてドイツの古都ドレスデンへの爆撃。アメリカとイギリスの人類史に例を見ない無差別都市爆撃として、いつの日か彼らが裁かれる時が来るのに違いあるまい。しかし日本人は良し悪しは別として、「敗けたなら城を明け渡す」という潔さがある。あの空襲から七十年が過ぎて、アメリカに保証をせよ、という声は上がらない。未だにグズグズ言ってくるどこかの国とは大違いだ。

「戦後七十年」などと言う言葉が平気で使われるのは平和な証拠でもある。もしその間に日本が対外戦争に加担していたら、「戦後七十年」などと言う言葉は通用しなくなる。言い換えるのならば戦後の七十年は、日本が平和国家として歩んできた証拠ではないか。そろそろ隣国に「ノー」と言える日本になって貰わなければ。

夜は、名前だけ真面目な集まりを関内で開催。残念ながら欠席多し。六名でしたたか飲んで帰宅。酒を愛するも 天に愧(は)じず。か。

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サンデー毎日か・・・。

2015-03-11 11:24:33 | 日記
三月九日(月)曇り。

春に三日の晴れなし。正に「三寒四温」。昔の人は上手いことを言ったものだ。寒いのはどうも苦手である。身も心も縮込んでしまい動きが鈍る。かと言ってそこは浪人の強み。そんな日は「酔狂亭」と名前ばかりは風流な我が陋屋(ろうおく)に籠城を決め込む。このまま飢え死にしたからと言っても誰からも文句を言われる筋合いではない。

城山三郎の本に確か「毎日が日曜日」というものがあった。私とて同じである。違うのはその日曜日が城山三郎のように生産的ではないだけだ。当然ながら家にジッとしていたのでは糊口(ここう)を凌(しの)ぐ術がない。考えても始まらないのでコーヒーでも飲みながら「サンデー毎日」でも読むか。

機関誌「燃えよ祖国」を発送した。メール便で送っているのだが、そのメール便が今月いっぱいで廃止になると言う。これはわが社にとっては大打撃だ。私の雑誌の大きさであれば百円以下で送れるメール便はとても便利である。もし郵送するとなると一冊百四十円。約六十円ほど割高りなり七万円の郵送費となり三万円も割高となる。五百冊のすべてが有料購読なら三万円ぐらいの値上げは大したことはないが、贈呈が占める割合が多いので頭が痛い。贈呈分を減らす以外に解決策がない。送料を必要としない電子版も考えなければと思っている。

撮り溜めしている映画で「オーケストラ」を見た。以前レンタルしてみたものだが、良い映画だったと覚えていたので、録画をしておいた。「ソ連時代の圧政で地位を奪われたロシアの元天才指揮者が、三十年後の今、共に音楽界を追われた演奏家たちを集め、ボリショイ交響楽団に成り済ましてパリ公演を行う。そんなあり得ない展開なのに、ぐいぐい引き込まれ、クライマックスの公演では実話のごとく感じられ、深い感動に包まれるユニークな秀作」(解説より)。当時のソ連におけるユダヤ人の立場などが、上手く描かれていて前半は喜劇のように楽しませてくれるが、ラストの十二分間は正に圧巻。見るのが二度目なのに感動で震えた。是非家族にも見せようと思った次第。

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日日是恙なし。

2015-03-10 16:45:57 | 日記
三月八日(日)晴れ。

久しぶりに朝から家族全員が揃った。八時に皆を起こして正しい日本の朝食。メニューは自家製「さわらの味噌漬け」「キュウリのおしんこ」「納豆」に「豆腐とわかめの味噌汁」。昨日の子供の大学の合格の余韻もあってか皆、機嫌が良い。子供もホッとしたのだろう、「事務所の本が見たい」と言う。期末試験の勉強をしている下の子供を留守番において事務所行き。

良い天気なので、花粉が少々気になったが窓を全開にして空気を入れ替えた。私は機関誌の製本。子供は私の蔵書を眺めている。昨年の秋頃に書棚の本をそっくり入れ替えた。中国史や個人の全集などは書棚に置ききれないので段ボールでしばらく冬眠。書棚にあるのはほとんど昭和維新運動関係の本ばかりである。リストを作ろう、作ろうと思っているうちに、結局、そのままになっている。子供は、私に似て本好きなので、嬉々として段ボールを開けては、好みの本を探している。結局、幕末史に関する本を文庫本を含めて三十冊ほど持って行かれた。

夜は、先日の罪滅ぼしで、家族ですき焼き。私は、もっぱら作る係りに専念した。子供たちが満腹になってから、のんびり「黒霧島」で独酌。日々恙なしや。

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反面教師のせいで合格。

2015-03-09 14:53:12 | 日記
三月七日(土)晴れ。

今日は上の子供の合格発表がある。さすがに本人も緊張しているらしく、家でじっとしているのは、居た堪れないと、十時過ぎから美容院に行った。その後は、友達の家に行って結果を待つと言う。落ち着かないのはこちらも一緒で、もし駄目だったなら、何と声を掛けてやろうかと、考えると暗くなる。それでも、事前に受けた私学に合格をしているので、慌てることはないが、やはり本人の第一志望校へ行かせてあげたいと思うのが、親の願いだ。

昼過ぎに部屋で期末試験の勉強をしている下の子供が私の所へ来て、「お姉ちゃん『合格』したよ」と言う。「何でお前が知っているんだ」と聞けば、「受験票を忘れて行ったので、私が代わりに見てあげた」。狐につままれた感じである。子供のスマホを見ると、受験番号が確かにあった。何かあまりにもあっけない結果で、喜びが湧いてこない。すぐに上の子供に電話したら、妹から連絡があって知っていると言う。こちらとしては「良くやった。万歳」でもしようかと思っていたのに、拍子抜けした。事務所で愚妻と合流して、「良かった。良かった」と夫婦で感激した。

自慢するわけではないが、上の子供は、高校の三年間、一切塾に行かなかった。その理由は、「家に負担をかけたくないから」。国公立を受験したのも、同じ理由からである。毎日酒ばかり飲んで大言壮語している私が反面教師となったのだろう。何せ子供は親の背中を見て育つと言う。それでも反面だろうが、何だろうが、私を見て教師としたのだから、たいしたものだと愚妻に行ったら、「ふざけんな」と怒られた。

帰宅した子供に、おめでとうを言って、「誰に一番最初に連絡するの」と聞けば、「隠岐さん」。子供は、大学受験に関するアドバイスを度々してくれる隠岐康氏を尊敬している。先日も、ご子息の応援団の演武を愚妻と見に行き、とても感動したと言っていた。私学も、隠岐氏が卒業した大学を受験した。私としては、もっとレベルを落として、近くの学校にしたらと言ったのだが、挑戦して合格した。そして今日の志望校の合格である。夜、さあお祝いで一杯やるか。と言えば、「お祝いでなくたって、毎日、飲んでるじゃん」。すみません。何しろ反面教師ですから。

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昔は、おおらかだった。

2015-03-09 14:32:47 | 日記
三月六日(金)晴れ。

二十五年ほど前はおおらかな時代で、私が戦線復帰した時も、地元の地銀や電鉄会社の取締役が、「太田なわのれん」という伊勢佐木町の裏通りにある有名な「牛鍋」のお店で一席設けてくれたりしたことがあった。別段我々のような浪人風情とお付き合いしても、世間から白い目で見られるようなことはなかったが、最近は「コンプライアンス」とか言うおかしな価値観が蔓延してしまい、おおっぴらには会えなくなってしまった。笑わせてくれますね、全く。

まあそんなことは気にもしていないが、先日、退職なされた某企業の取締役の方から「久しぶりに一献」との誘いがあった。お互いに浪人の身なので、何はばかることもないのだが、そこは大人の対応でホテルなどは避けて、もう一組の方と一緒に老舗の個室で「すき焼き」をご馳走になった。世を罵り、嘆きの酒と言えば大げさだが、年寄りが三人寄れば「懐旧談」が一番の肴となる。二時間ほど飲んで、次回は「駒形どぜぅ」でも、と約して別れた。

「すき焼き」はたまに家でもやるが、自分で焼きながら食べると言うのはどうも忙しい。やはり仲井さんが居て、料理をして貰いながら味わうと言うのが酒とのタイミングも良い。駅で、家族にケンタッキーのフライドチキンをお土産に持って行ったら、「自分だけ『すき焼き』で私たちはケンタなの」と白い目で見られた。土産を買って帰る男の優しさが最近の女子供には分からんか。嗚呼!

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