INSIDE SORAMAME

福岡のバスのことなど・・

チラシのオモテ(27)

2008年08月19日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
大野城市の西鉄下大利駅を起点とする「21番」「22番」「23番」の昭和58年9月当時の時刻表の一部である。
当時と現在の行先と本数(平日の下大利駅発)を比較してみると…

(当時)
「21番」
 南ケ丘10丁目行き 25本
 平野ハイツ行き 62本
 大野城市役所行き 11本
「22番」
 福農前行き 18本
 西鉄二日市行き 17本
「23番」
 平野中学校前行き 34本

(現在)
「21番」
 平野ハイツ行き 11本
 月の浦営業所行き 81本
 大野城サティ行き 15本
「22番」
 西鉄二日市行き 25本
「23番」
 南山手団地行き 65本
 月の浦営業所行き 9本

となっている。
平野ハイツの北西側に大型住宅団地「月の浦」ができ、それに伴い営業所も郊外に移転したことで、「21番」は距離が延び、本数も増えている。
同様に「23番」も、「南山手」団地ができたことで距離が延び、本数も大幅に増えている。
「22番」は「福農前」行きがなくなり、全体としては本数は減っているが、「23番」の増加でそれを補っている感じである。
また、現在「22番」が通る住宅団地「天拝坂」も当時はなかった(区画整理により現在は存在しない、杉塚交差点を斜めに横切る道路を通っていた)。
この間、大野城市、太宰府市、筑紫野市が、福岡市のベッドタウンとして大きく発展したことを物語っているようだ。

ちなみに、「21番」の駅から北へ向かうルートは、終点が「大野城市役所」から「大野城サティ」に延びている。
なお、当時の「南ケ丘10丁目」とは、現在の「南ケ丘5丁目」のことである
また当時は、西鉄二日市から通学用に「武蔵台高校行き」「武蔵台高校経由下大利駅行き」も運行されていた。

路線延長や運行本数の変化などはあったものの、この3路線の基本はほとんど変わっておらず、「住宅団地と鉄道駅を結ぶ」という使命を淡々と果たし続けている。
西鉄電車と争っても仕方ないからか、福岡都心行きの都市高速路線ができるなどということもなかった。

この3路線と、衰退著しい筑紫野ニュータウン線の違い(背後人口、住宅団地の開発主体…など)をいろいろと考えてみるのも面白いかもしれない。

なお当時は、初乗り運賃が90円であり、西鉄下大利から西鉄二日市までは180円(現在は300円)となっている。
安い…。
(つづく)
コメント (2)
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