(つづき)
KBCの元アナウンサーでCROSS FMの開局にもご尽力された松井伸一さんが4月5日に亡くなりました。
これを受け、多くの“松井チルドレン”から追悼のコメントが出されましたので、その中から、5人の方のコメントを紹介させてもらいます。
沢田幸二さん、深町健二郎さん、鶴田弥生さん、ルーシーさん、そして、富田薫さんです。
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沢田幸二さん(KBCラジオ「PAO~N」より)
日刊ニュースπの時間です。
今日のニュースπは、ニュースの紹介じゃなくて、特別に2曲洋楽を聴いていただきたいと思うんですが、1977年にデビューして今も現役でバリバリにやっているアメリカのロックバンド、チープ・トリックなんですけど、実は、往年のKBCラジオのファンの方にはおなじみの方だと思うんですが、弊社KBCアナウンス部の大先輩である松井伸一さんがおととい亡くなりました。84才でした。
私が入社した当時からですね、ラジオ、テレビの情報番組、ニュースキャスター、ゴルフの中継、あらゆるジャンルをこなしてらっしゃった、私にとってはもう仰ぎ見るような特別な存在の方でした。
そんな松井さんは、自他ともに認める洋楽大好きなパーソナリティとしても知られた方だったんですが、チープ・トリックがまだ無名の頃から、彼らの音楽に耳を傾けて、いち早く彼らの曲をラジオで紹介してらっしゃいました。
日本で初めてチープ・トリックを紹介したDJといっても過言ではないと思います。
日本のファンを通じてそれを知ったチープ・トリックが、福岡公演のときに、松井さんに感謝の気持ちを込めて、松井さんをわざわざステージに上げて一緒に歌って、それが今でも全国の洋楽ファンの間で語り草になっているという伝説を作った方でもあります。
その後、フリーになられた松井さんに声をかけていただいて、松井さんが担当していたLove FMの番組に呼んでいただいて、一緒に生放送できたことは一生の私の思い出になっております。
そんな松井さんが当時大好きで、何回もKBCラジオでオンエアしたであろう曲を私、勝手に選んで、松井先輩を偲びたいと思います。
チープ・トリックで「甘い罠」、そして「サレンダー」です。
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深町健二郎さん(RKBラジオ「Got Many Tunes」より)
坂本さんの追悼をさっきしましたけど、実はまあ、福岡にとっては非常にこう重要なといいますか、音楽関係者の一人でもあった松井さんがね、4月の5日にお亡くなりになられて、まさに今日、告別式があっているんですけどね、で、私はちょっと今日この番組で行けなかったんで、昨日お通夜のほうにはね、行かせてもらいましたけど、もちろん、あのだからちょうど僕がKBCに出入りするようになったときに、松井さんとも出会えたんですけど、もう子供の頃から、音楽好きになったときから、もう松井さんの声がラジオから聞こえてきてたんで、もう当たり前だったんですよね、松井さんが福岡で音楽を紹介しているというそういう状況がね。
で、あ一緒になんかできることがあるのかなと思ったんですよ、KBC、僕も大人になって出入りするようになってから、ところが松井さんはそのあとすぐCROSS FMに異動されるんですよね。
でもCROSSに行かれてからも、あの、僕は番組で実はご一緒することができたりで、事あるごとに松井さんは僕のことを気にかけてくれたし、僕も尊敬する大先輩として、もうほんとギリギリまでやり取りは続いてたんですけどね。
まあでも非常にこう闘病されてることはもう前から知ってましたし、でもねえ、ほんとびっくりしたのは今年に入ってからだと思うんですけど、しばらく番組を休まれて久しぶりに出られたときにね、松井さんがもうまともに声がしゃべれないくらいな中で出演されてたんですよ。
だからなんかものすごくこう聞いてて切なくて、悲しかったんだけども、でもなんか松井さんの生き様をね、そこでこう見せられるような思いがあって、まあ、先ほども言いましたけど、鮎川さんとかと一緒でもう、最後までDJ人生を全うされたなあっていう感じがね、非常に強いですよ。
まあだからほんとここまで訃報が続くのかというくらい、ダメ押しというか、なんかほんと辛かったです、松井さんの訃報もね。
まあそんな松井さんも亡くなられたんですけど、松井さんとある種、盟友でもあった鮎川さんもね、今年に入って亡くなられましたけど、やっぱ葬儀会場に行ったらお二人の写真とかも飾られてありましたね。
ここで改めてね、シナロケのね、リクエストもありましたんで、この曲に応えたいと思います。シーナ&ロケッツ「ユー・メイ・ドリーム」。
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鶴田弥生さん(CROSS FM「Brandnew! Sunday」より)
CROSS FMの開局当時からご尽力され、そして84才まで現役でしたラジオ業界の宝、松井伸一さんが4月5日亡くなりました。
私にとってもJUNKO Dにとっても、CROSS FMのスタッフにとっても、ラジオに携わる全ての人にとって、とても大切な方なんですが、今日は一部予定を変更して、ささやかに松井さんの追悼をしたいと思います。
私たち、JUNKO Dと私は、ちょうど20年くらい前、ほぼ同じ時期にCROSS FMで一緒になって、そのあと、ラジオネーム○○さんからもメールが届いていましたが、松井さんとは三人で番組をしたこともありました。
「CROSS SUNDAY VIEWS」という、今も家にはBGM集なんかがありますけども、ほんとに三人でですねー、放生会に行ったり、あと昼も夜もよくお酒を飲んで遊びましたね-、日曜日の朝の番組だったので番組終わってからも、そのままですよねー、もう飲み会といいますか、もうそれから音楽の話も止まらないので、いやーほんとになんて今考えると貴重な時間を過ごしていたんだと、楽しかったなーっていう記憶ばかりがどんどんどんどん思い出されます。
JUNKO Dはそのあと、松井さんの晩年の番組も13年ほど一緒でした。
○○さんからも、「JUNKOさんも長い間本当におつかれさまでした。天国の階段の上の扉を開ければ、みんなが待ち構えているでしょうね。またみんなで音楽の話ができますよね」と、はい、そういったメッセージも届いています。ありがとうございます。
おととい金曜日にお通夜でして、ご自分の番組の生放送をオンエアで流すという、ま、さすがロックだなーということを最後の最後までされたようです。みなさんからのメッセージるしっかり松井さんに届けられました。そして昨日無事に告別式が終わったということです。心からご冥福心よりお祈りいたします。
松井さんが私と同じくらいの年、何考えてたんだろうと気になりまして、「おいまち」という今では伝説となったタウン誌の企画で、ま、今から40年前、1982年に行われたある対談の記事を読んでみました。
松井さん「自分の生き方にロックそのものが合っているというか、僕はサラリーマン的な生き方ができず、ほんとはこの年になるとそろそろ分別つけるんでしょうが、僕はできそうもない。自分で切り拓くしかない。音楽でこれから先も飯を食っていこうと決心することになるとは思ってもみなかった」と40代の松井さんがおっしゃっています。
でもまさか84才まで現役ラジオDJとして活躍されることになるとは想像されていなかったでしょうねー。
誌面には松井さんが担当されていたレコード評も大好評で、WEB上でささっと書かれたもの、ま、WEBで調べて今はささっと書かれるものもあるかもしれない、でも、それとはもう全く違うリアルなコミュニケーションから紡がれた松井さんの文章、今となってはとても貴重なものです。
ビートルズは松井さんから教わったと認識しているリスナーの方も多いんじゃないでしょうか。今日は○○さんからもリクエストいただいています。松井さんOBFC、オフィシャルビートルズファンクラブの名誉会長をされていた時期もあったんですが、リスナーの方があらゆるビートルズの情報を自分に届けてくれたからできたんだと、リスナーのみなさんへの感謝の気持ちを書かれていました。
そのとき紹介されていたのが、1982年、ポール・マッカートニー「タッグ・オブ・ウォー」、ジョン・レノンがこの世を去った2年後にリリースされたアルバムです。
スティービー・ワンダーとの名曲「エボニー・アンド・アイボリー」もクレジットされているのですが、松井さんはこうも書かれています。「僕にとって、ジョンもリンゴもジョージもポールも、ソロアーティストとしての認識はなく常にビートルズなのです。たとえポールがスティービー・ワンダーと共演しようとも。」
このアルバムにはジョン・レノンへの追悼曲も収録されています。とても美しいコーラスが心に優しく響いてきます。その曲を。ポール・マッカートニー「ヒア・トゥデイ」。
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ルーシーさん(KBCラジオ「よるばけ!」より)
今夜のよるばけプレイリストは、まあ私の個人的といいますか、えー私がDJを目指して、オーディションを受けて拾ってくれたのが松井伸一さんという方で、まあ、えーと他のLove FMでもそうですし、昨日のよるばけ!の、よるばけ!じゃなかったPAO~Nの沢田さんもね、選曲されてましたし、多くの松井チルドレンの方々がコメントを出していますが、なんかねー、あのラジオの大切さというか、そういうのも松井さんから教えてもらいましたし、ちょっとね、よるばけプレイリストとしてはいつもの尺より長いんですけど、この時間はたっぷりチープ・トリックに浸らせていただきたいなと思って、わがままを言わせていただきました。
お送りしたナンバーは、チープ・トリックです。
「I Want You to Want Me~甘い罠~」「今夜は帰さない」、もう邦題でいいですね、「甘い罠」「今夜は帰さない」、そして「カリフォルニア・マン」「ドリーム・ポリス」「サレンダー」「永遠のラヴソング」「永遠の愛の炎」、お送りしました。
たくさんの方にもね、コメントいただきました。
○○さん、・・、○○さんもね、「いいですねー、と空の上で言われているかもしれませんね」と、いやほんと、そうだったら嬉しいなと思います。
なんかね、最初に言ってた、いつも数あるラジオ局の中から、えー、自分のね、番組選んでくれてありがとうございますっていうのも松井さんの台詞だったんですよね。
あのー、なぜこんなに言ってるかというと、松井さんの最後のディレクターをされている通称JUNKO Dが、私も一緒に番組をしてたディレクターさんで、先ほどもね、報告があったんですが、無事にね、本日、ノッキンオンヘブンズドアのお手伝いをしてきましたって、すごいなんかロック魂というかね、最後の最後までやっぱ皆さん心は通じていたんだなあと、だからまあね、天国でお友達の皆さんと楽しくこれからは、えー、お話しされるんじゃないかなーと思いますが、私も松井さんのように心ある放送を今後も心掛けていきたいと思います。
いつもね、ダメ出しお願いしますとかって言いにいったときに、ルーシーはマイク乗りだけはいいんだよなあ、って言われてたんですよ。
えー、マイク乗りだけですかー?って言いながら、いやー、たくさんの教えをいただきました。
今夜のよるばけプレイリストは、松井伸一さんへ向けてのプレイリスト、ご紹介させていただきました。
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富田薫さん(KBCラジオ「Sunday Music Hour」より)
お聞きいただいているKBCラジオ「Sunday Music Hour」、時刻1時24分を回っています。
〇〇さんからこのメッセージをいただきました。
「僕たちに洋楽の楽しさ、素晴らしさを教えて下さった松井伸一アナウンサー、おつかれさまでした。あなたは最後までマイクの前で僕たちにたくさんの言葉を届けてくださいましたね」とご丁寧にありがとうございます。
えー、そうです、KBCのアナウンサーでもあった松井伸一さんが、4月5日にお亡くなりになった、84才だったというニュース、えー、お耳に届いているかと思います。
やはり〇〇さんも、「小学校高学年の頃から、松井伸一さんのラジオを聴き始めて、なんてかっこいい方なんだろうと憧れていました。ご冥福心よりお祈り申し上げます。」とこういうふうに書いていただいてますね。
えー、KBC卒業なさった後はCROSS FM、ね、Love FMでも番組をお持ちだったという、あの松井さんです。
えーそして○○さんからはリクエスト曲を含めこんなメッセージです。
「富田さんの先輩にあたられる松井伸一さんがお亡くなりになりましたね。ラジオネームは違うもので参加していたんですが、私も松井さんの担当番組“Street Noiz”のリスナーでした。チープ・トリックをはじめいろいろな洋楽アーティストの福岡公演のお話、また、福岡出身アーティストの方々との交流、他では聴くことができないお話だらけで、ほんとに、まさにレジェンドでした。おつかれさまでした。ありがとうございました。ご冥福心よりお祈りいたします。」という、こういう文章でした。
チープ・トリックと書いていただいたんで、私も思い出したんですが、えー、79年だったと思いますが、九電記念体育館でチープ・トリック、ライブをしましてね。松井さんのあとについて私もまいりました。
そうすると、ま、あのチープ・トリックはライブイン武道館のあのチープ・トリックですね、「サレンダー」のチープ・トリックで、リック・ニールセンというメンバーが、なんと松井さんをステージに呼び上げたんですよ、九電記念体育館の。
で、それなぜかというと、えー、もちろんアメリカでもリリースされていたチープ・トリックですが、どちらかというと日本のほうが当時盛り上がってて、なおかつ九州での盛り上がりがすごかったんですね。
それを知ってるチープ・トリックのメンバーが非常に感謝して、えー、「オー、ミスターマツイ」ということで、で、チープ・トリックと松井さんが九電のステージに立ってるの私目撃しましたから、この先輩どんな人なんだっていうのが当時の私の強烈な印象として今でも残っているという、えー、そういうお話です。
えー、松井さんがKBCのねー、「サウンズ・ウィズ・コーク」ってのもありましてね、その中でも彼女のファンなんだと何回もおっしゃっていたので、○○さんもこの曲をリクエストしていただきました。
リクエストは松井さんがお好きなリンダ・ロンシュタット「アディオス」をお願いします。
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ということで、5名の方の追悼コメントをご紹介しましたが、この他にも、立山律子さん、宗方脩さん、和田安生さん、坂口卓司さん、中島ヒロトさん、TOGGYさん、北野順一さん、佐藤ともやすさん、MASAKIさんはじめ、多くの方から、直接的、間接的な追悼コメントがありました。また、直接の言及はないものの、明らかに松井さんを意識したであろうと思われる選曲もいろんな番組の中で耳にしました。
松井さんは、洋楽に詳しい方、福岡の洋楽シーンに影響を与えた方として語られることが多いのですが、個人的には、「テレビ11番街」「ニュースプラザ」「ハーツトゥハーツ」「九州街道ものがたり」「ナイトタウン」「歌謡曲ホット100」「KBCオーガスタ」…など、KBCのあらゆるジャンルの番組でテレビ、ラジオの両方で活躍されたアナウンサーという印象も強いです。
そして、いろんな事情で、KBCの番組の2代目、3代目のキャスター、パーソナリティとして起用されることも多かったと思うのですが(困ったときの松井さん、みたいな感じで)、どれも“うまくはまる”というか“カッコよく決まる”という感じがして、「THE KBC」のような方だったと思います。
1992年からはCROSS FMの立ち上げと初期の運営にも携わられました。経営的には失敗だったかもしれませんが、その過程で松井さんに見出された方、松井さんの影響を受けた方々が、福岡のみならず全国の放送業界で現在数多く活躍されていることは紛れもない事実であり、その功績は非常に大きいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
(つづく)
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