
(つづき)
「41番」の吉塚営業所系統の廃止により、この「吉塚新川」(福岡市博多区)のバス停も廃止となる。
「41番」の吉塚営業所系統は、先代の「50番」の流れを汲む路線であった。
「50番」は「雑餉隈営業所~麦野~板付~堅粕~隣保館前~祇園町~蔵本~昭和通り~天神」というルートで、博多駅にかなり近いところまで行くにもかかわらず博多駅を通らないという、かなり思わせぶり(?)な路線であり、おそらく、現在の位置に移転する前の博多駅を経由していた路線の名残なのではないかと推測される。
ほかにも「見上前」(現在の西月隈三丁目)を起終点とするものがあったと思うが、私が物心ついたときは、既に全部合わせても一日数本という状態であった。
なお、「50番」には「雑餉隈営業所~南八幡町~井尻~大橋~平尾~検察庁前(現在の法務局前)~昭和通り~天神」という系統もあり、かつては雑餉隈営業所を起点として循環運行を行っていたらしい。
前者の「50番」はその後、「41番」「43番」と歩調を合わせ明治通り経由となり、番号も「41-1番」となった。
「41-1番」の遺産は、天神協和ビル前で見ることができる。
そして、「41-1番」が廃止される際(「41番」「43番」の博多駅~天神方面の廃止後も「41-1番」だけが細々と天神まで来ていた)、「板付方面から博多駅に行く利用者の取りこぼしを解消して、なおかつ、隣保館前付近の利便性を維持する」という目的だったのかは定かではないが、この「41番」の吉塚営業所系統(雑餉隈営業所~麦野~板付~博多駅~祇園町~緑橋~隣保館前~吉塚新川~妙見~吉塚営業所)が運行を開始した。
なお、かつてはこの「吉塚新川」の付近(博多青松高校~パピヨンプラザあたり)に日本専売公社(現在の日本たばこ産業)の工場があり、隣保館前~妙見間の道路はなかった。
隣保館前~妙見間の道路ができた際に、先代の「33番」が、まずここを通るようになった。
「33番」は「博多駅~祇園町~緑橋~隣保館前~吉塚新川~妙見~二又瀬~〔~南里~宇美営業所〕〔~福岡空港前~金隈〕」というルートで運行されており、当時は「南里」も「広義の終点」であった。
「33番」と「41番」が併存していた時代もあったと思う。
ちなみに、隣保館前~妙見間の道路ができる前は、先々代の「37番」が、南東側の県道馬出上南町線を通って堅粕~道頓堀をつないでいた。
他の免許維持路線とは違い、「41番」の吉塚営業所系統は平日と土曜日に2往復走っており(先日の記事で「平日2往復だけ」と書いていたが、土曜日も走っていました。申し訳ありません)、吉塚・堅粕地区、及び旧3号線沿線地区から博多区役所への連絡という意味合いもあるのではないかと個人的には思っていた。
昔の博多駅の時代まで遡ることができる由緒ある路線(←私の勝手な推測ではあるが…)が今回廃止になってしまうと思うと寂しいものがある。
隣保館前~妙見間の道路には、「回送」のバスはたくさん走っているので、「41番」で効率が悪いというのなら、何か他の路線でこの区間の輸送を引き継ぐこともできたのではないだろうか。
(つづくかも)
「41番」の吉塚営業所系統の廃止により、この「吉塚新川」(福岡市博多区)のバス停も廃止となる。
「41番」の吉塚営業所系統は、先代の「50番」の流れを汲む路線であった。
「50番」は「雑餉隈営業所~麦野~板付~堅粕~隣保館前~祇園町~蔵本~昭和通り~天神」というルートで、博多駅にかなり近いところまで行くにもかかわらず博多駅を通らないという、かなり思わせぶり(?)な路線であり、おそらく、現在の位置に移転する前の博多駅を経由していた路線の名残なのではないかと推測される。
ほかにも「見上前」(現在の西月隈三丁目)を起終点とするものがあったと思うが、私が物心ついたときは、既に全部合わせても一日数本という状態であった。
なお、「50番」には「雑餉隈営業所~南八幡町~井尻~大橋~平尾~検察庁前(現在の法務局前)~昭和通り~天神」という系統もあり、かつては雑餉隈営業所を起点として循環運行を行っていたらしい。
前者の「50番」はその後、「41番」「43番」と歩調を合わせ明治通り経由となり、番号も「41-1番」となった。
「41-1番」の遺産は、天神協和ビル前で見ることができる。
そして、「41-1番」が廃止される際(「41番」「43番」の博多駅~天神方面の廃止後も「41-1番」だけが細々と天神まで来ていた)、「板付方面から博多駅に行く利用者の取りこぼしを解消して、なおかつ、隣保館前付近の利便性を維持する」という目的だったのかは定かではないが、この「41番」の吉塚営業所系統(雑餉隈営業所~麦野~板付~博多駅~祇園町~緑橋~隣保館前~吉塚新川~妙見~吉塚営業所)が運行を開始した。
なお、かつてはこの「吉塚新川」の付近(博多青松高校~パピヨンプラザあたり)に日本専売公社(現在の日本たばこ産業)の工場があり、隣保館前~妙見間の道路はなかった。
隣保館前~妙見間の道路ができた際に、先代の「33番」が、まずここを通るようになった。
「33番」は「博多駅~祇園町~緑橋~隣保館前~吉塚新川~妙見~二又瀬~〔~南里~宇美営業所〕〔~福岡空港前~金隈〕」というルートで運行されており、当時は「南里」も「広義の終点」であった。
「33番」と「41番」が併存していた時代もあったと思う。
ちなみに、隣保館前~妙見間の道路ができる前は、先々代の「37番」が、南東側の県道馬出上南町線を通って堅粕~道頓堀をつないでいた。
他の免許維持路線とは違い、「41番」の吉塚営業所系統は平日と土曜日に2往復走っており(先日の記事で「平日2往復だけ」と書いていたが、土曜日も走っていました。申し訳ありません)、吉塚・堅粕地区、及び旧3号線沿線地区から博多区役所への連絡という意味合いもあるのではないかと個人的には思っていた。
昔の博多駅の時代まで遡ることができる由緒ある路線(←私の勝手な推測ではあるが…)が今回廃止になってしまうと思うと寂しいものがある。
隣保館前~妙見間の道路には、「回送」のバスはたくさん走っているので、「41番」で効率が悪いというのなら、何か他の路線でこの区間の輸送を引き継ぐこともできたのではないだろうか。
(つづくかも)
僕は今回廃止される路線で、免許維持路線は「楽しみ」で乗っていました。しかし、吉塚~博多駅はちゃんとした目的(「楽しみ」もちゃんとした目的かな?)で乗っていました。通学です。
この「吉塚新川」が最寄りバス停となる高校(福高か青松か。遠距離でも行ける高校です。分かりますよね)に通っていて、天神や博多駅でいろいろ作業をした後、このバスで吉塚新川、学校へ行ってました。また、吉塚駅から41番博多駅方面行きに乗って吉塚新川で下車、学校へ…というのもたくさんありました。本当に便利でした。
高校の三年間で、周辺の建物、特にタバコ工場内の店が変わりました。妙見付近にマンションが新しく建つ、駅も変わる、店は閉店や開店など…。卒業~現在では、おもちゃ屋がスーパーに、本屋が100円ショップになりましたね。
それと、バス停自体が変わりましたね。残念ながら前のバス停は撮影してませんが、学校の帰りに「変わっとる~~!!」と思ったのは、忘れられません。金隈とかがあり、偽装だと見破りました(笑)
明日その高校に行きます。時間が夕方なので、バス停しか撮影できませんが…。先月の土曜日、半道橋で、たまたまやって来た吉塚行きに乗りました。これも「虫の知らせ」だったのかな…?
長文になり、失礼いたしました。
特に「シューテングスター」と「愛をください」を楽しく拝見してます(ってか,全部面白いけど)
ところで,今日偶然41番の「吉塚営業所」行きに乗りました。
箱崎在住なので博多駅からだと,JRか9・29番に乗るつもりでしたが,
タイミングよく(?)41番が来たので終点まではじめて乗車しました。
確かに「隣保館前」~「妙見」って,やはり乗車される人って少なかったですね?
30年近く前に廃止された,昔の37番(堅粕~日の出町~道頓堀経由)を知っている人間としては,
昔の37番が源流の派生路線旧33番→41番が廃止されるのは少し寂しいものです。
63番に乗ったときに乗務員さんが免許維持路線が沢山なくなると言った情報が翌日に西鉄の公式HPに掲載されて、かなり寂しい気持ちになりました。
私は土日が休みというわけではないので、偶然や墨だった6・7日を利用してホリデーパスを使ってバスに乗りました。
特に上脇田は午後便だったので、別の機会にと思っていたので乗る機会をなくしてしましました。
そういえば、古賀の2番も結局乗らずに消えてしまいましたが…
私は2年前、千葉から郷里の福岡に戻ってきました。
吉塚在住で、子供の頃の最寄バス停は昔の37番の天満町でした。1時間に1本ほどのバスで、良く博多駅に出かけました。それが空港通の開通で廃止され、空港通のバス停が遠いなと感じていた頃に33番が新設され、こちらも良く乗っていました。お客さんは少なかったですが…
で、2年前戻ってきてその33番もなくなっていたのでびっくり…
いよいよ41番も廃止…
こちらは平日も走っているので、平日休みを利用して乗ってみたいと考えています。
余談ですが、SORAMAMEさんのブログには昔のバスの話題も沢山あり、いつも楽しく読ませています。
私もバスブログを作ろうかな?と考えたりしています。
板付線の途中にまるで折り返すためだけに作られたような停留所が路線図に忽然と現れたのは、30年くらい前か…
それが50番の行き先となり、天神付近で見ることもあるので、目に止まったものです。50番の終焉時には、「雑餉隈営業所」まで行くのは日に1本のみ、「見上前」行きが2本ではなかったか。
そこでわからないのが「見上前」の読み方と意味。
わからないままにこのバス停は名称が変わり、バス停の記憶そのものも忘却の彼方へ消えておりましたが、今また想い出してしまいました。
いったい何と読むのでしょう?
実際に利用していた方にとっては辛い仕打ちですよね。
実は私も、数年前は、この道路沿いにある某ドーナツ店の窓際のカウンター席にてよく勉強をしていました。
目の前を通る41番を何度も目にしたし、実際にも乗車しました。
悲しい限りです…。
reitaさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
思い入れのある路線の廃止はさみしいですね。
この区間の活用策はもっとあったと思うのですが…。
今後とも、よろしくお願いします。
yakuさん、こんにちは。
>吉塚在住で、子供の頃の最寄バス停は昔の37番の天満町でした。1時間に1本ほどのバスで、良く博多駅に出かけました。それが空港通の開通で廃止され、空港通のバス停が遠いなと感じていた頃に33番が新設され、こちらも良く乗っていました。お客さんは少なかったですが…
なるほど。
37番の廃止と33番の新設の間には若干のタイムラグがあったのですね!
貴重な情報ありがとうございます。
>私もバスブログを作ろうかな?と考えたりしています。
普段は特に意識していないことでも、いろいろと書いているうちに思い出して、記憶がつながったりすることもよくあります。
ブログ開設の際にはぜひぜひ教えてください。
Tokyo Chikushiさん、こんにちは。
「見上前」は「けんじょうまえ」…だと思います。
ただ、今までそう思い込んでいましたが、こうやって聞かれるとあまり自信がありません。
「見上(けんじょう)」という物流会社があり(板付にあるのかはわかりませんが)、ラジオCMで耳に残っていたので、その会社の「前」なのだろうと勝手に思い込んでおりました…。