
(つづき)
福岡市東区の「貝塚駅」バス停。
西鉄貝塚線と市営地下鉄箱崎線の乗り継ぎ駅であり、かつての西鉄の市内電車の終点である(さらにその前の歴史については割愛)。
「月見町」バス停も近いが、都心までのバス運賃は大きく異なる。
バス停の標柱は2本建っていて、英字表記は手前が「KAIZUKA EKI」、奥が「KAIZUKA STATION」であり、“ふたつでひとつ”といった感じだ。
市内電車の廃止(1979年)から地下鉄箱崎線開業(1986年。ただし、中洲川端から呉服町や箱崎九大前までは、それよりも前に開業)までの間は、ここから都心までの足はバスに頼るしかなく、かつてはここにも「5番」「15番」「23番」「25番」「52番」「72番」「85番」と多くの路線が乗り入れていたが、現在では「25番」が残るのみである。
バス停の路線図兼運賃表は、以前紹介したものから変わっている。
貝塚駅を出発して、渡辺通一丁目交差点を右折するまでは、道路状況に比較的忠実に表現されているのだが、「渡辺通一丁目」から先では作るのが面倒になってしまった感じである…(笑)。
(つづく)
福岡市東区の「貝塚駅」バス停。
西鉄貝塚線と市営地下鉄箱崎線の乗り継ぎ駅であり、かつての西鉄の市内電車の終点である(さらにその前の歴史については割愛)。
「月見町」バス停も近いが、都心までのバス運賃は大きく異なる。
バス停の標柱は2本建っていて、英字表記は手前が「KAIZUKA EKI」、奥が「KAIZUKA STATION」であり、“ふたつでひとつ”といった感じだ。
市内電車の廃止(1979年)から地下鉄箱崎線開業(1986年。ただし、中洲川端から呉服町や箱崎九大前までは、それよりも前に開業)までの間は、ここから都心までの足はバスに頼るしかなく、かつてはここにも「5番」「15番」「23番」「25番」「52番」「72番」「85番」と多くの路線が乗り入れていたが、現在では「25番」が残るのみである。
バス停の路線図兼運賃表は、以前紹介したものから変わっている。
貝塚駅を出発して、渡辺通一丁目交差点を右折するまでは、道路状況に比較的忠実に表現されているのだが、「渡辺通一丁目」から先では作るのが面倒になってしまった感じである…(笑)。
(つづく)
52番で薬院大通まで乗って、25番に乗り換えるという、バカなこともしていました。
今は25番だけとなり、寂しくなりましたね。そもそも、バスで貝塚駅に行くという需要が、それほどないんでしょうね。
もっと昔は空港連絡バスも貝塚駅発着便があって、そのバス(前扉だけの小型バス)が星の原線で一時期使われていました。
もっとも、「貝塚駅」バス停が新設された後も市内電車の貝塚線は走っていたわけですから、バスの需要は専ら貫線や城南線沿線から貝塚駅まで行き宮地岳線に乗るというものでした。
電車の貝塚線が廃止された後も、地下鉄は貝塚までは全通していないため、一時宮地岳線への乗り換えにはバスで向かうのみの時期があったはずです。その頃が「貝塚駅」バス停の最盛期だったかも。
このように変遷をみていくと、「貝塚駅」バス停の使命は概ねとっくに終わっていること、わずかな使命として残っているのが、市内電車の走行域で地下鉄でカバーできていない地域、つまり「25番」、ということがわかってくるような気がします。
なお、最盛期にはバスの貝塚営業所も、「貝塚駅」バス停に近接して存在しました。マークは○に「貝」。
お返事が遅くなってたいへん申し訳ありません。
皆さんの言われるように、バス停としての「貝塚駅」はその使命をほぼ終えているのかもしれませんね。
西鉄がここをひとつの「拠点」と考えるのであれば、香椎パークポート行きや、箱崎ふ頭行きのバスの起点にすることなども考えるのでしょうが、実際にはそういう動きは全くないですしね。
それに、貝塚公園も、「集客施設」とまでは言えないですしね(子どもは喜びますけど)。