今年度一杯での廃止が決定しているため,これで最後となる観音寺記念の決勝。やや変則的に感じられる並びとなり,まず山口-十文字の栃木茨城,村上には大塚がつけ,稲村はこちらを追走。村上に香川-小倉の四国で海老根が単騎。
前受けの村上を深谷が抑えに行ったのが残り2周のホーム。しかし村上はスピードを上げて出させず。バックから再び深谷が叩きにいったものの村上も打鐘発進で応戦。香川の牽制もあってホームでは深谷が外に大きく浮く形に。しかし大塚がうまく海老根の前の位置を確保し,4番手に迎え入れました。後方となった山口がバックから発進すると深谷も4番手からまた出ていき,今度は村上を捲りきり,外の山口と激しい競り合い。おそらく力尽きたためでしょう,直線は深谷が内,山口が外に流れ中が大きく開き,ここを山口マークの十文字と,十文字の後ろにスイッチするような形になった小倉が突き抜け,十文字の優勝で小倉が2着。3着は外の山口で大波乱といっていいであろう結果となりました。
優勝した茨城の十文字貴信選手は現行制度になってからは初の記念競輪制覇。1986年のアトランタオリンピックの1㎞で銅メダルを獲得したのは有名。このレースは村上と深谷がかなりやり合って,本来なら山口が漁夫の利を得る筈だったレース。しかし深谷の脚力があまりにすごく,その山口もかなりの脚を使わざるを得なくなったために転がり込んできた優勝といえなくもありません。今世紀に入ってからヘルニアの影響でそれ以前の力を出せなくなっていますが,現在でもS級に残っているのは立派なことで,本人にとってもかなり思い出に残る優勝となったのではないでしょうか。
今日からしばらくの間は糖尿病共生記です。②は6月25日の出来事で終っていますので,今回の③はそれ以降のことになります。
といっても7月の前半はここに記しておくべきであるような事柄は何もありません。強いていうなら7月15日にロサンゼルスの伯母が来日しました。ちょうどこの頃,円が急騰しています。為替相場というのは僕の日常生活には直接的には何の関係もないのですが,伯母のようにしょっちゅう日本とアメリカを行き来するという場合には,わりと影響します。この頃はたぶん1ドルが78円台だった筈で,現在はさらに円高が進んでいます。こういう時代は円の貨幣価値というものが相対的に高くなってきているわけで,僕などからしたら一生懸命に円を手に入れる,要するに稼ぐということですが,それが手っ取り早くメリットを得る最高の方法なのだろうとは思いますが,なかなかうまいことはいきません。
この翌週,特別養護老人ホームに入所している祖母,母の母の具合が悪くなりました。僕は祖母と会っているわけではありませんから,詳しい状況というのは把握できていませんが,どうも食べた物を嘔吐してしまうようになったようです。特別養護老人ホームには看護師もいまして,その方の話ですと,肺に水が溜まっていて,その影響で苦しくなっているのではないだろうかとのことでした。前にも説明しましたように,祖母は大腸癌を患っていますから,その癌が肺に転移したと考えれば,肺に水が溜まるということもあり得ない話ではありません。ただもしも本当にそうであるならば,その肺の水を取り除けば一時的には楽になり,嘔吐するような状況からも解放されはするでしょうが,あくまでも一時的にすぎず,また肺に水が溜まって同じことの繰り返しになるということは目に見えています。ですから祖母の年齢的なことも考慮に入れるなら,肺に溜まった水を取り除くべきなのかそうではないのかということも問題になってくるわけです。ちょうど伯母も来日中で,祖母の3人の子どもが揃っているということもあり,そうしたことについても念入りに話し合ったようです。とはいえ,とりあえず本当にそれが嘔吐の原因であるのか,確認しておかなければなりません。
前受けの村上を深谷が抑えに行ったのが残り2周のホーム。しかし村上はスピードを上げて出させず。バックから再び深谷が叩きにいったものの村上も打鐘発進で応戦。香川の牽制もあってホームでは深谷が外に大きく浮く形に。しかし大塚がうまく海老根の前の位置を確保し,4番手に迎え入れました。後方となった山口がバックから発進すると深谷も4番手からまた出ていき,今度は村上を捲りきり,外の山口と激しい競り合い。おそらく力尽きたためでしょう,直線は深谷が内,山口が外に流れ中が大きく開き,ここを山口マークの十文字と,十文字の後ろにスイッチするような形になった小倉が突き抜け,十文字の優勝で小倉が2着。3着は外の山口で大波乱といっていいであろう結果となりました。
優勝した茨城の十文字貴信選手は現行制度になってからは初の記念競輪制覇。1986年のアトランタオリンピックの1㎞で銅メダルを獲得したのは有名。このレースは村上と深谷がかなりやり合って,本来なら山口が漁夫の利を得る筈だったレース。しかし深谷の脚力があまりにすごく,その山口もかなりの脚を使わざるを得なくなったために転がり込んできた優勝といえなくもありません。今世紀に入ってからヘルニアの影響でそれ以前の力を出せなくなっていますが,現在でもS級に残っているのは立派なことで,本人にとってもかなり思い出に残る優勝となったのではないでしょうか。
今日からしばらくの間は糖尿病共生記です。②は6月25日の出来事で終っていますので,今回の③はそれ以降のことになります。
といっても7月の前半はここに記しておくべきであるような事柄は何もありません。強いていうなら7月15日にロサンゼルスの伯母が来日しました。ちょうどこの頃,円が急騰しています。為替相場というのは僕の日常生活には直接的には何の関係もないのですが,伯母のようにしょっちゅう日本とアメリカを行き来するという場合には,わりと影響します。この頃はたぶん1ドルが78円台だった筈で,現在はさらに円高が進んでいます。こういう時代は円の貨幣価値というものが相対的に高くなってきているわけで,僕などからしたら一生懸命に円を手に入れる,要するに稼ぐということですが,それが手っ取り早くメリットを得る最高の方法なのだろうとは思いますが,なかなかうまいことはいきません。
この翌週,特別養護老人ホームに入所している祖母,母の母の具合が悪くなりました。僕は祖母と会っているわけではありませんから,詳しい状況というのは把握できていませんが,どうも食べた物を嘔吐してしまうようになったようです。特別養護老人ホームには看護師もいまして,その方の話ですと,肺に水が溜まっていて,その影響で苦しくなっているのではないだろうかとのことでした。前にも説明しましたように,祖母は大腸癌を患っていますから,その癌が肺に転移したと考えれば,肺に水が溜まるということもあり得ない話ではありません。ただもしも本当にそうであるならば,その肺の水を取り除けば一時的には楽になり,嘔吐するような状況からも解放されはするでしょうが,あくまでも一時的にすぎず,また肺に水が溜まって同じことの繰り返しになるということは目に見えています。ですから祖母の年齢的なことも考慮に入れるなら,肺に溜まった水を取り除くべきなのかそうではないのかということも問題になってくるわけです。ちょうど伯母も来日中で,祖母の3人の子どもが揃っているということもあり,そうしたことについても念入りに話し合ったようです。とはいえ,とりあえず本当にそれが嘔吐の原因であるのか,確認しておかなければなりません。