今年から1レースが増え,3レースとなったJBC。もちろんメーンとなるのは第11回JBCクラシック。
2強が共に逃げがベストと思え,どちらが先手を奪うのかが最大の焦点でしたが,スマートファルコンの方が行きました。向正面では3馬身ばかりのリードとなり,2番手にトランセンド。さらに5馬身ほど離れてシビルウォーが追い,大きく離れてテラザクラウドとボンネビルレコード。最初の1000mは60秒7でこれはミドルペースですから,離れた馬にはノーチャンス。
スマートファルコンはほとんどペースを落とさずにレースを続け,このために追っていくトランセンドの方がかなり押していくことに。直線に入るとスマートファルコンが追い出され,またリードが広がりましたので勝負あったかに思えましたが,最後の200mはスマートファルコンが止まったために再びトランセンドがワンサイドで詰め寄りました。ただ,そこまでの貯金が大きく,1馬身凌いだスマートファルコンの優勝。トランセンドが2着,シビルウォーが3着と,極度の堅い決着でした。
優勝したスマートファルコンは昨年もこのレースを制していて連覇。それ以後は浦和記念,東京大賞典,ダイオライト記念,帝王賞,日本テレビ盃と負け知らずの7連勝。大レースは4勝目。この条件はおそらくトランセンドより向いていると思われ,その分の利もあったと思います。自分のレースに徹し,最後は止まったものの力は存分に発揮した格好。ジャパンカップダートに出走するようならそれが試金石にはなりそうです。父はゴールドアリュール,兄に1999年の東京大賞典を勝ったワールドクリーク,曾祖母はアリアーン。
騎乗した武豊騎手はこのレースに強く,2005年に初勝利を挙げると2007年,2008年,2009年,2010年と制して実に5連覇となる6勝目。大レースは帝王賞以来。管理している小崎憲調教師も帝王賞以来の大レース制覇でこのレース連覇となる2勝目です。
この日の母の通院では,ひとつの変化がありました。それは,退院してからずっと処方されていた降圧剤の服用が中止になったことでした。肝機能の障害が降圧剤の影響ではないかと推測されたために,薬剤自体の変化はありましたが,降圧剤はずっと処方されていました。もちろん母も飲み続けていたわけです。今回の服用の中止は,肝機能とは何の関係もなく,母の血圧の推移をみての判断でした。
家には血圧計がありまして,母は1日に2度,計測していました。もちろん単に計測するだけではなく,標準化していたのです。それによれば,退院してきた当初は上が140くらいあったのですが,この当時は高くても120くらい,日によっては100くらいのときもあったようです。母の言い分では,血圧は気温と関係しているらしく,気温が低いと血圧も高くなりがちで,逆に気温が高くなると血圧も低下するようなのです。退院してきたのは冬で,この当時はもう夏といってもいい暑さの日々が多くなっていましたから,そうした影響もあったのかもしれません。いずれにせよ,高くても120くらいであれば降圧剤を服用する必要はないということで,この日は処方されませんでした。ただ,それまでは飲んでいて出ていた数値でしたから,服用を停止すれば高くなるという可能性は大いに考えられます。ということで,この時期の脳外科の通院は2ヶ月の間隔であったわけですが,様子をみるために次は1ヶ月の間隔でまた通院するということになりました。
この時期,暑くなってきましたので,エアコンを使う機会が出てきました。僕は冬場の暖房は使いますが,夏場の冷房はまず使用しません。ただし,除湿は使います。とくに眠るときには30分ほどですが必ず使います。僕の部屋のエアコンは,アパートを借りるときに,それまで祖母や叔父が住んでいた家で使っていたものを譲り受けたもの。アパートを借りたのがもう10年以上前で,それ以前から使用されていたものでしたから相当な年代物になります。ということで,新しいものに買い替えることにしました。古いものは使えるには使えますが,電気を多く使います。節電というわけでもなかったのですが,もうガタがきていたのも事実。それでこの日,付け替えをする電気屋さんが部屋の下見に来ました。
2強が共に逃げがベストと思え,どちらが先手を奪うのかが最大の焦点でしたが,スマートファルコンの方が行きました。向正面では3馬身ばかりのリードとなり,2番手にトランセンド。さらに5馬身ほど離れてシビルウォーが追い,大きく離れてテラザクラウドとボンネビルレコード。最初の1000mは60秒7でこれはミドルペースですから,離れた馬にはノーチャンス。
スマートファルコンはほとんどペースを落とさずにレースを続け,このために追っていくトランセンドの方がかなり押していくことに。直線に入るとスマートファルコンが追い出され,またリードが広がりましたので勝負あったかに思えましたが,最後の200mはスマートファルコンが止まったために再びトランセンドがワンサイドで詰め寄りました。ただ,そこまでの貯金が大きく,1馬身凌いだスマートファルコンの優勝。トランセンドが2着,シビルウォーが3着と,極度の堅い決着でした。
優勝したスマートファルコンは昨年もこのレースを制していて連覇。それ以後は浦和記念,東京大賞典,ダイオライト記念,帝王賞,日本テレビ盃と負け知らずの7連勝。大レースは4勝目。この条件はおそらくトランセンドより向いていると思われ,その分の利もあったと思います。自分のレースに徹し,最後は止まったものの力は存分に発揮した格好。ジャパンカップダートに出走するようならそれが試金石にはなりそうです。父はゴールドアリュール,兄に1999年の東京大賞典を勝ったワールドクリーク,曾祖母はアリアーン。
騎乗した武豊騎手はこのレースに強く,2005年に初勝利を挙げると2007年,2008年,2009年,2010年と制して実に5連覇となる6勝目。大レースは帝王賞以来。管理している小崎憲調教師も帝王賞以来の大レース制覇でこのレース連覇となる2勝目です。
この日の母の通院では,ひとつの変化がありました。それは,退院してからずっと処方されていた降圧剤の服用が中止になったことでした。肝機能の障害が降圧剤の影響ではないかと推測されたために,薬剤自体の変化はありましたが,降圧剤はずっと処方されていました。もちろん母も飲み続けていたわけです。今回の服用の中止は,肝機能とは何の関係もなく,母の血圧の推移をみての判断でした。
家には血圧計がありまして,母は1日に2度,計測していました。もちろん単に計測するだけではなく,標準化していたのです。それによれば,退院してきた当初は上が140くらいあったのですが,この当時は高くても120くらい,日によっては100くらいのときもあったようです。母の言い分では,血圧は気温と関係しているらしく,気温が低いと血圧も高くなりがちで,逆に気温が高くなると血圧も低下するようなのです。退院してきたのは冬で,この当時はもう夏といってもいい暑さの日々が多くなっていましたから,そうした影響もあったのかもしれません。いずれにせよ,高くても120くらいであれば降圧剤を服用する必要はないということで,この日は処方されませんでした。ただ,それまでは飲んでいて出ていた数値でしたから,服用を停止すれば高くなるという可能性は大いに考えられます。ということで,この時期の脳外科の通院は2ヶ月の間隔であったわけですが,様子をみるために次は1ヶ月の間隔でまた通院するということになりました。
この時期,暑くなってきましたので,エアコンを使う機会が出てきました。僕は冬場の暖房は使いますが,夏場の冷房はまず使用しません。ただし,除湿は使います。とくに眠るときには30分ほどですが必ず使います。僕の部屋のエアコンは,アパートを借りるときに,それまで祖母や叔父が住んでいた家で使っていたものを譲り受けたもの。アパートを借りたのがもう10年以上前で,それ以前から使用されていたものでしたから相当な年代物になります。ということで,新しいものに買い替えることにしました。古いものは使えるには使えますが,電気を多く使います。節電というわけでもなかったのですが,もうガタがきていたのも事実。それでこの日,付け替えをする電気屋さんが部屋の下見に来ました。