スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

中島みゆき&針の入手

2013-04-15 18:46:18 | 歌・小説
 僕は自らの不注意で頭部を裂傷したのをきっかけに坊主にし,それ以降は髪を自分で刈ったり切ったりしています。これを自傷行為であると指摘したのは死んだでした。本当にその指摘が正しいのかどうかは分かりません。ただ,僕の精神のうちに,自分を傷つけたいという衝動が発生することがあるのは事実です。自殺の衝動などはその最たるものといえるでしょう。
 自らの失敗に限らず,たとえ自分の力ではどうにもならないことであったとはしても,何らかの原因で精神的に落ち込んでしまうということは,僕にもあります。というか,こうしたことは人間であればだれにでもあるというべきでしょう。父の最期などはそうした一例ですし,僕にとってはそれを迎える前に,横行結腸癌がほぼ全身に転移しているということを自分の口で告知したときの方が,精神的には辛い思いが強くありました。
 精神の沈みがごく軽微なものであれば,時間の経過とともに自然に消失していきます。したがってそうした場合には何らかの手立てを講じるという必要はありません。しかしそれがあまりに重度なものであった場合,これは自分で回復させなければなりません。流行のことばでいえば,精神を癒す必要が出てきます。僕の場合,それはある種のカタルシスを得ることで達成されるのです。
 僕にはその決定打となり得る方法がひとつあります。それが中島みゆきの歌を聞くことなのです。もちろんどんな歌でもいいというわけではありませんが,彼女のある種の歌は,確かに僕に精神的カタルシスを与えてくれるのです。
                         
 基本的に聞くのは夜です。部屋を真暗にして聞きます。ときに,ただ聞くだけではなく,口ずさむという場合もあります。なぜそれでカタルシスを得ることができるのかは僕にもよく分かりません。しかしそれは分からなくてもよいのです。重要なのは精神的に立ち直ることができるということなのであって,実際にそれができるということを,僕自身はよく知っているからです。

 僕が出してほしかったのは注射針の処方箋ですから,その旨をU先生に告げました。前回の失敗の取り返しのときもそうでしたが,注射針だけの処方箋を出すということは不可能とのこと。これは僕が予想していた通りです。したがって,インスリンも処方しなければなりません。インスリンは在庫が十分にありましたから不要ではありますが,次の診察のときに減らしてもらえばよいだけのことです。僕の場合はヒューマログの方を多く使いますから,そちらの方を1本だけ処方してもらいました。処方箋はパソコンからプリントアウトして出すものですが,処置室にもパソコンはありまして,U先生はそれを目の前に僕と話していましたから,何も手間取ることはありませんでした。
 これで目的は達成。診療費は210円で,これは予想外。前回はこの10倍以上の診療費だったからです。前回は初診扱いの当直の先生の診察であったのに対して,この日はU先生による処方ということでおそらく安くなったものではないかと思います。その支払いを済ませて病院の建物から出ますと,うまい具合に敷地内を経由して根岸駅方面に向うバスが来ました。実は病院のバス停は降車用と乗車用が分かれていまして,降車用が建物の入口のすぐ近くであるのに対して,乗車用は病院の敷地の出口のほど近く。そのために少し走らなければなりませんでしたが,そのバスに飛び乗ることができました。
 薬局は根岸駅の近くにあります。そこで処方箋を薬剤師に渡しますと,この日はインスリンの在庫がないとのこと。僕としてはインスリンは不要で針さえあればいいわけですから,針について尋ねてみますと,それはあるという答えでした。なのでこの日は針だけを受け取り,インスリンについては,22日の診察の帰りに受け取るという手筈にして家に戻りました。帰宅したのが10時45分頃のことでしたから,予想以上に短時間ですべての用事をこなすことができました。
                          
 翌4月6日の土曜日にと妹は美容院へ。さらに7日の日曜日は妹のピアノレッスンがあり,この日は午後5時半という予定通りの開始となっています。
 だいぶ現状の日時に近付いてきましたので,今回の糖尿病共生記はとりあえずここまでとしておき,これ以降のことは次回からにします。明日からはまた『エチカ』に関する考察です。
コメント
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