スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

クイーンエリザベスⅡ世カップ&所在地

2013-04-30 18:41:55 | 海外競馬
 28日に香港のシャティン競馬場で行われたクイーンエリザベスⅡ世カップGⅠ芝2000mに,昨秋の天皇賞を勝ったエイシンフラッシュが出走しました。
 14頭中13番枠からの発走。位置は取りにいかずに控える競馬。結果的に最後尾となり,馬群から2馬身ほど離れての追走に。3コーナー過ぎから前に取り付いていき,直線はよい手応えで進路を探る形に。最後は前が開いて猛然と追い込んできたものの,勝ち馬はすでに抜け出していて,2着馬に僅差まで迫る3着が精一杯でした。
 この馬は自在な競馬ができるタイプではなく,レースでは注文がつく馬。超スローペースでしたから,最後尾という位置取りがどうであったかは分かりませんが,外枠には不利なコース形態なので,止むを得なかったものと思います。脚は余したものの,能力を発揮できる状態にあったといえ,優勝に辿りつくには少しばかり運に恵まれなかったという印象です。

 スピノザがある事柄について,それが自明であるという言い回しをする場合に,それが客観的有に関係するということは,人間に関連付けていうならば,それは人間の身体のある運動ないしは静止に関していわれているのではなく,人間の精神による思惟作用に関していわれているということです。かつての考察において明らかにしたように,スピノザの哲学における認識論には大きな特徴があり,人間の精神による事物の認識というのは,『短論文』におけるいい方を用いるなら純粋な受動なのであって,その精神があたかも自動機械のようにある観念から別の観念,さらにまた別の観念へと進んでいくような作用です。つまり,ある事柄が自明であるとスピノザがいうとき,それが自明であるといわれるときの所在地がどこにあるのかというなら,それはそのような,観念のオートマティックな,あるいはシステマティックな展開のうちにあると考えるべきだと思います。
 なお,僕がここでこのことを人間の精神に関連させて説明したのは,現在の考察に関連して無用と思えるような複雑性を招かないという目的からです。僕はこの説明は,単に人間の精神にのみ妥当するのではなくて,第二部定理一三備考でスピノザが示しているような,一般的な意味における精神について妥当すると考えています。ただ,このことを今は強硬に主張する必要性はありませんから,ただ人間に対して自明であるといわれる場合に,それは人間の精神による事物の認識作用に関連するのであって,その認識作用のうちに,それが自明であるといわれ得るような要素があるというように理解するだけで十分です。
 ただし,ここで気をつけておかなければならないのは,いかにある事柄が自明であるということを構成する要素が,その事柄の観念を形成する場合の人間の精神の認識作用のうちにあるのだとしても,だからこうした作用によって生じるようなすべての観念に関して,それが自明であるといわれるわけではないということです。いい換えれば,人間の精神がこのような仕方である事物を認識するとき,ある種の認識だけが自明とみなされ,それ以外の認識は自明とはいわれないのです。
コメント
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