『三四郎』の冒頭のプロットを,三四郎は童貞であると読解するのは,僕に特有のことではありません。石原千秋は「イニシエーションの街」の中で同じような読解をしています。

ここでひとつ注意しなければならないことがあります。三四郎は第五高等学校を卒業して帝国大学入学のために上京します。ここから現在の僕たちは,三四郎を18歳とイメージしがちです。しかしこの時代の学制は現在とは違っていて,このときの三四郎は23歳です。

石原は23歳の男が童貞という設定自体,異様で滑稽であったに違いないと書いています。ただしその根拠は示されていません。僕もこの当時の若者の性事情がどのようなものであったかはいっかな分かりません。ただ,石原のように考えなければ,このプロットの挿入の意味を把握し難くなるのは事実だと思います。

高等学校入学のためですから年齢は異なりますが,三四郎と同じように田舎から上京した人物に,『こころ』の先生がいます。はっきりと述べているわけではありませんが,遺書の内容から,先生は16歳か17歳のときには性的には目覚めていたと理解できます。一方で先生を慕う私には,女というものは妻以外に知らないとも言っています。これをどう解釈するかは難しいですが,先生もまたお嬢さんと結婚するまで童貞であったと考えることは可能です。
一方,先生と同郷のKに関していうならば,Kはおそらく童貞であったでしょう。もっといえば,先生が遺書で告白している性の目覚めすら経験していなかったかもしれません。少なくとも先生はKをそういう人物として認識していたと僕は考えています。たぶんこの認識は,先生とKとの関係において,重要な意味を有していると思います。
先生を慕う私は,交際らしい交際を女と結んだことがなかったといっていて,これもおそらく童貞という設定です。つまり童貞という設定は,三四郎に固有のものとして理解することはできないのかもしれません。ただ,三四郎のプロットに,何か特別な意図があったということは,確かなことなのではないかと思います。
3月6日の水曜は指定歯科となっているみなと赤十字病院での予約が妹に入っていました。予約は午後3時で,いつものように母が同行しました。この日はクリーニングだけをしたようです。担当していた主治医が辞めるそうで,次回からは変わるという話でした。僕はこの日は川崎に出ていました。
9日は土曜出勤。この日は作業所からそう遠くない場所にある三渓園を散策。ただ,こういう散策のような行事が妹にとってどれほど楽しいことなのかは微妙です。ある意味では疲れるだけのことかもしれません。翌日は美容院に行きました。
翌週,3月12日からは2泊3日のショートステイ。これは磯子区内の施設。面接をした港南区内の施設に関しては,利用できるということになったのですが,実際の利用はまだで,来月に予定が入っています。
2泊3日でしたので,帰ってきたのが14日の木曜日。その週末は久しぶりに何の予定も入っていなかったのですが,体調を崩しまして,17日の日曜の昼ごろから寝込みました。そして翌18日の月曜日は作業所を休みました。こうしたことは最終的には母や僕が決定することではありますが,本人の意志というのを最重要視します。
母が退院してから,整体に通うようになったということは以前に書いたことがあります。これは現在も継続しているのですが,その後,足つぼマッサージとストレッチにも通うようになりました。これは概ね月に2回ずつで,事情が許す限り,月曜と火曜の午後に予約を入れています。それぞれが月に2回ですと合計で6回。一月の月曜と火曜の数を合計すれば6回以上には必ずなりますので,常に月曜と火曜の午後には予約が入っている状況とはならないのですが,予約が入っていないのは大概が月末に集中しています。そしてこの18日の月曜には,足つぼの予約が入れてありました。しかし妹が休むとなると,ひとりにしておくわけにはいきません。場合によってはキャンセルも考えてはいたようですが,僕が打診を受けまして,待機することにしました。
これらみっつのうち,ストレッチが最も時間が掛かり,帰るのが4時を回ることもあるのですが,足つぼはそれほどではなく,3時過ぎには帰ってきました。僕はその後で,桜木町に出て予定をこなしました。

ここでひとつ注意しなければならないことがあります。三四郎は第五高等学校を卒業して帝国大学入学のために上京します。ここから現在の僕たちは,三四郎を18歳とイメージしがちです。しかしこの時代の学制は現在とは違っていて,このときの三四郎は23歳です。

石原は23歳の男が童貞という設定自体,異様で滑稽であったに違いないと書いています。ただしその根拠は示されていません。僕もこの当時の若者の性事情がどのようなものであったかはいっかな分かりません。ただ,石原のように考えなければ,このプロットの挿入の意味を把握し難くなるのは事実だと思います。

高等学校入学のためですから年齢は異なりますが,三四郎と同じように田舎から上京した人物に,『こころ』の先生がいます。はっきりと述べているわけではありませんが,遺書の内容から,先生は16歳か17歳のときには性的には目覚めていたと理解できます。一方で先生を慕う私には,女というものは妻以外に知らないとも言っています。これをどう解釈するかは難しいですが,先生もまたお嬢さんと結婚するまで童貞であったと考えることは可能です。
一方,先生と同郷のKに関していうならば,Kはおそらく童貞であったでしょう。もっといえば,先生が遺書で告白している性の目覚めすら経験していなかったかもしれません。少なくとも先生はKをそういう人物として認識していたと僕は考えています。たぶんこの認識は,先生とKとの関係において,重要な意味を有していると思います。
先生を慕う私は,交際らしい交際を女と結んだことがなかったといっていて,これもおそらく童貞という設定です。つまり童貞という設定は,三四郎に固有のものとして理解することはできないのかもしれません。ただ,三四郎のプロットに,何か特別な意図があったということは,確かなことなのではないかと思います。
3月6日の水曜は指定歯科となっているみなと赤十字病院での予約が妹に入っていました。予約は午後3時で,いつものように母が同行しました。この日はクリーニングだけをしたようです。担当していた主治医が辞めるそうで,次回からは変わるという話でした。僕はこの日は川崎に出ていました。
9日は土曜出勤。この日は作業所からそう遠くない場所にある三渓園を散策。ただ,こういう散策のような行事が妹にとってどれほど楽しいことなのかは微妙です。ある意味では疲れるだけのことかもしれません。翌日は美容院に行きました。
翌週,3月12日からは2泊3日のショートステイ。これは磯子区内の施設。面接をした港南区内の施設に関しては,利用できるということになったのですが,実際の利用はまだで,来月に予定が入っています。
2泊3日でしたので,帰ってきたのが14日の木曜日。その週末は久しぶりに何の予定も入っていなかったのですが,体調を崩しまして,17日の日曜の昼ごろから寝込みました。そして翌18日の月曜日は作業所を休みました。こうしたことは最終的には母や僕が決定することではありますが,本人の意志というのを最重要視します。
母が退院してから,整体に通うようになったということは以前に書いたことがあります。これは現在も継続しているのですが,その後,足つぼマッサージとストレッチにも通うようになりました。これは概ね月に2回ずつで,事情が許す限り,月曜と火曜の午後に予約を入れています。それぞれが月に2回ですと合計で6回。一月の月曜と火曜の数を合計すれば6回以上には必ずなりますので,常に月曜と火曜の午後には予約が入っている状況とはならないのですが,予約が入っていないのは大概が月末に集中しています。そしてこの18日の月曜には,足つぼの予約が入れてありました。しかし妹が休むとなると,ひとりにしておくわけにはいきません。場合によってはキャンセルも考えてはいたようですが,僕が打診を受けまして,待機することにしました。
これらみっつのうち,ストレッチが最も時間が掛かり,帰るのが4時を回ることもあるのですが,足つぼはそれほどではなく,3時過ぎには帰ってきました。僕はその後で,桜木町に出て予定をこなしました。