スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&喜びの場合

2023-02-07 19:28:06 | 将棋
 5日に関根名人記念館で指された第49期女流名人戦五番勝負第三局。
 伊藤沙恵女流名人の先手で西山朋佳女王・女流王将のノーマル三間飛車。後に四間飛車に戻りました。先手が右の金を繰り出して押さえ込みにいく将棋。
                                        
 4四に歩が垂れていることと,角の働きに差があるので,この局面はすでに先手が指しやすそうです。後手は☖5五歩と打ったのですが,これで戦況が著しく悪化することになりました。
 ☗4五金☖5三飛☗5四金☖同金☗4五銀☖6三銀☗5四銀☖同銀☗4三金と進展しました。
                                        
 この展開は先手の攻め駒が後手の受けの金銀を相手に存分に捌けた上,角の活用も見込めるようになり,先手の大優勢。以下ほとんど一方的な内容で先手が勝っています。後手の序盤に過失があったということでしょう。
 伊藤女流名人が勝って1勝2敗。第四局は24日に指される予定です。

 ある観念idea,たとえばその観念を認識するcognoscere人間の中に起こることの観念が,その人間の精神mens humanaだけに帰せられる場合に混乱した観念idea inadaequataであるなら,その人間の精神の本性essentiaを構成する限りで,あるいは同じことですがその人間の身体humanum corpusの観念を有する限りで神Deusのうちにあるその観念は,混乱した観念です。この混乱した観念は,それを認識する人間が部分的原因causa partialisとなって発生します。そこでこの人間をAとし,Aにとっての外部の物体corpusであるXが共に部分的原因を構成している場合は,Aの身体の観念を有すると共にXの観念を有する限りで神のうちにある,Aの中に起こることの観念は十全な観念idea adaequataであることになります。現実的に存在する人間が悲しみtristitiaを感じる場合は,常にこの様式が適用されます。
 喜びlaetitiaの場合はこれと異なります。いうまでもなく第三部定理五九により,働きをなすagit限りにおいての喜びが存在し得るからです。したがって,喜びの場合は悲しみと同様の様式で神に帰せられる限りで神のうちで十全adaequatumであるという場合もあるのですが,そうではなく,喜びを感じる人間の身体の観念を有する限りでの神に帰せられるだけで,その観念が神のうちで十全であるという場合もあり得るのです。いい換えれば,Aの中に起こることに対してAが十全な原因causa adaequataであるという場合,つまりAの能動actioによって生じる場合があるということになります。つまり,中に起こることというのを僕のように解すると,Xの中に起こることが,Xの能動によって発生する場合があるというように解しておく方が,少なくとも解釈上は安全であると僕は思います。ですから,たとえXの中に起こることというのを,Xの本性ならびに形相formaに変化を齎すことと解するとしても,そうしたことは常にXの受動passioであるというわけではなく,Xの能動でも生じると僕はいっておきます。Xが喜びを感じるとき,Xはより小なる完全性perfectioからより大なる完全性へと移行しているのですが,この移行transitioはXの現実的本性actualis essentiaの移行,すなわちXの中に起こることと解することができる要素を含んでいて,かつそのことはXの能動によって発生し得るからです。
 補足が長くなってしまいました。『はじめてのスピノザ』に戻ります。
コメント
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