先月のことになりますが,『なぜ漱石は終わらないのか』という本を読み終えました。簡単にどんな内容の本であるのかを紹介しておきます。

発売されたのは昨年の3月。河出書房新社の文庫本です。基本的に石原千秋と小森陽一の対談集。文庫版まえがきと初版あとがきを石原千秋が,初版まえがきと文庫版あとがきを小森陽一が担当しています。
元になっているのは『漱石激読』というタイトルの,やはり河出書房から出版されたもの。その出版は2017年です。まえがきとあとがきに文庫版と初版の区別があるのは,文庫版というのは文庫版化されるにあたって書き下ろされたもので,初版というのは,2017年に出版されたもののために書かれたものということです。僕が読んだものが出版されたのは昨年の3月といいましたが,中身の多くは2017年には書籍化されていたということになります。ただし,文庫本化されるにあたって追加の対談を石原と小森はしていますので,その部分に関してはこの『なぜ漱石は終わらないのか』で読むことはできますが,『漱石激読』では読むことはできません。まだどちらも読んでいないという方は『なぜ漱石は終わらないのか』を読むほうがよいでしょうし,『漱石激読』は読む必要はないかと思います。
『漱石激読」の元となった対談は,2016年4月7日が最初で,これは『文学論』に関連するものでした。雑誌『文藝』の別冊に掲載するための企画でした。ですからこの部分はその雑誌でも読める筈です。後先は分かりませんが,対談は継続することが決定。6月24日に漱石が朝日新聞に入社する以前の作品,7月15日に『虞美人草』と『坑夫』と『夢十夜』,9月2日に『三四郎』と『それから』と『門』,同月16日に『彼岸過迄』と『行人』と『こころ』,そして同月29日に『道草』と『明暗』の対談が行われました。これでみれば分かるように,漱石が書いたものの大部分を対象とした対談です。
文庫化に当たっての対談の日時は不明です。この対談が『漱石はなぜ終わらないのか』というテーマで,それがそのまま文庫本のタイトルとなっています。
『はじめてのスピノザ』と同じように入門書である『スピノザの世界』で上野修がいっているように,『エチカ』には思考実験という側面があります。つまり,たとえば神Deusなら神で,それが世間的にいわれていることに合致するように定義した上で,共通概念notiones communesとしてだれも否定することができない公理Axiomaと組み合わされることによって,どのような結論が定理Propositioないしは系Corollariumとして導き出されるのかを実験する場であったという側面があります。したがって,『エチカ』に示されているある定理なり系なりをひとつ抽出して,その結論を出すためにスピノザは『エチカ』という公理系を産出したといえるかというと,必ずしもそうはいえないような定理なり系なりが『エチカ』には含まれていると考えておく方が僕は安全だと思います。他面からいえば,『エチカ』の定理や系の中には,当初からスピノザが導き出そうとしたものだけが含まれているというわけではなく,公理系を展開していく中で,当初の意図とは無関係に証明されていったものがいくつか含まれていると考えておくのがよいだろうと僕は思います。
だから,スピノザが世間でいわれている神というものの考え方をしっかりと定義して,それを逆手にとって神についてのいくつかの真理veritasを導き出そうという意図をもっていたかといえば,それは僕は疑問に感じます。ただ,國分が指摘しているように,スピノザはそれを逆手に取ったのだという考え方自体は,有益であると思います。なぜなら,このように考えることで,スピノザが神として定義している実体substantiaがどのようなものであるかということ,國分のいい方に倣えば,それは宗教的なものではなく自然科学的なものであるということを,より容易に理解することができるであろうからです。とくにスピノザの思想に慣れていなければ慣れていないほどこのことが成立するように僕には思えるので,入門書におけるこのような指摘は,きわめて有益なものであると僕は思うのです。一般的には神というのは宗教的なものであるとみなされていますから,それを逆手に取ったものとすれば,まさに一般的にそのようにみなされている神という概念から哲学を始められるからです。

発売されたのは昨年の3月。河出書房新社の文庫本です。基本的に石原千秋と小森陽一の対談集。文庫版まえがきと初版あとがきを石原千秋が,初版まえがきと文庫版あとがきを小森陽一が担当しています。
元になっているのは『漱石激読』というタイトルの,やはり河出書房から出版されたもの。その出版は2017年です。まえがきとあとがきに文庫版と初版の区別があるのは,文庫版というのは文庫版化されるにあたって書き下ろされたもので,初版というのは,2017年に出版されたもののために書かれたものということです。僕が読んだものが出版されたのは昨年の3月といいましたが,中身の多くは2017年には書籍化されていたということになります。ただし,文庫本化されるにあたって追加の対談を石原と小森はしていますので,その部分に関してはこの『なぜ漱石は終わらないのか』で読むことはできますが,『漱石激読』では読むことはできません。まだどちらも読んでいないという方は『なぜ漱石は終わらないのか』を読むほうがよいでしょうし,『漱石激読』は読む必要はないかと思います。
『漱石激読」の元となった対談は,2016年4月7日が最初で,これは『文学論』に関連するものでした。雑誌『文藝』の別冊に掲載するための企画でした。ですからこの部分はその雑誌でも読める筈です。後先は分かりませんが,対談は継続することが決定。6月24日に漱石が朝日新聞に入社する以前の作品,7月15日に『虞美人草』と『坑夫』と『夢十夜』,9月2日に『三四郎』と『それから』と『門』,同月16日に『彼岸過迄』と『行人』と『こころ』,そして同月29日に『道草』と『明暗』の対談が行われました。これでみれば分かるように,漱石が書いたものの大部分を対象とした対談です。
文庫化に当たっての対談の日時は不明です。この対談が『漱石はなぜ終わらないのか』というテーマで,それがそのまま文庫本のタイトルとなっています。
『はじめてのスピノザ』と同じように入門書である『スピノザの世界』で上野修がいっているように,『エチカ』には思考実験という側面があります。つまり,たとえば神Deusなら神で,それが世間的にいわれていることに合致するように定義した上で,共通概念notiones communesとしてだれも否定することができない公理Axiomaと組み合わされることによって,どのような結論が定理Propositioないしは系Corollariumとして導き出されるのかを実験する場であったという側面があります。したがって,『エチカ』に示されているある定理なり系なりをひとつ抽出して,その結論を出すためにスピノザは『エチカ』という公理系を産出したといえるかというと,必ずしもそうはいえないような定理なり系なりが『エチカ』には含まれていると考えておく方が僕は安全だと思います。他面からいえば,『エチカ』の定理や系の中には,当初からスピノザが導き出そうとしたものだけが含まれているというわけではなく,公理系を展開していく中で,当初の意図とは無関係に証明されていったものがいくつか含まれていると考えておくのがよいだろうと僕は思います。
だから,スピノザが世間でいわれている神というものの考え方をしっかりと定義して,それを逆手にとって神についてのいくつかの真理veritasを導き出そうという意図をもっていたかといえば,それは僕は疑問に感じます。ただ,國分が指摘しているように,スピノザはそれを逆手に取ったのだという考え方自体は,有益であると思います。なぜなら,このように考えることで,スピノザが神として定義している実体substantiaがどのようなものであるかということ,國分のいい方に倣えば,それは宗教的なものではなく自然科学的なものであるということを,より容易に理解することができるであろうからです。とくにスピノザの思想に慣れていなければ慣れていないほどこのことが成立するように僕には思えるので,入門書におけるこのような指摘は,きわめて有益なものであると僕は思うのです。一般的には神というのは宗教的なものであるとみなされていますから,それを逆手に取ったものとすれば,まさに一般的にそのようにみなされている神という概念から哲学を始められるからです。