スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦コナミグループ杯&感情の認識

2023-02-06 19:08:42 | 将棋
 長野市で指された昨日の第48期棋王戦五番勝負第一局。対戦成績は渡辺明棋王が2勝,藤井聡太竜王が12勝。
 振駒で藤井竜王が先手となって角換わり相腰掛銀。9筋を受けなかった後手の渡辺棋王から仕掛けて馬を作りました。その後は先手が反撃に転じ,その攻めが続くのかそれとも切れてしまうのかという将棋に。最大のポイントとなったのは以下の局面であったようです。
                                        
 ここで後手は☖8五桂と打ち☗2四香以下,攻め合いの手順に進めました。ただこれは攻め合いの過程で先手の7八の金が7七~8六~7五と進出して後手の馬と交換になり,先手がはっきりと優勢になりました。後手は先手の攻めを切らせるのが勝つための唯一の方法であったようで,なので第1図も☖2三同金と取って徹底して受けに回るほかなかったようです。
 藤井竜王が先勝。第二局は18日に指される予定です。

 僕は第二部定理一二でいわれている中に起こることというのを,その人間の身体humanum corpusの本性essentiaならびに形相formaに変化を齎すことと解しているわけです。したがってもしもAが現実的に存在していて,Aの身体の本性および形相に変化が生じれば,そのことはAの精神mensにって認識されることになります。一方,僕は感情affectusというのを,人間の身体に起こることであると同時に,人間の精神mens humanaによっても認識されることと解しています。このとき,Aは現実的に存在している限り,何らかの感情,たとえば喜びlaetitiaを感じることがあり,それは精神によっても認識されるでしょう。ではなぜAがそれを認識するcognoscereのかといえば,それはAの身体の中に起こっていることであるからだと僕は考えるのです。確かにAはその喜びを感じたとしても,Bという別の人間になるというわけではありません。このような意味ではAの現実的本性もその形相も変化はしないというべきです。しかし,身体の中に起こることというのを僕のように解する限り,Aが何らかの感情,といってもすべての感情は基本感情affectus primariiである欲望cupiditasと喜びと悲しみtristitiaに還元されるのですから,Aが欲望を感じ,また喜びを感じ,そして悲しみを感じるということは,現実的に存在するAの身体の中に何かが起こっているからだとしなければならないと思うのです。そうでなければ,現実的に存在する人間は一切の感情を感じないというか,これ以外のシステムで感情を認識するといわなければなりませんが,前者は明らかに不条理ですし,後者は,欲望についてはそういえないことがないにしても,喜びと悲しみに関してはそうしたシステムを構築することができないと僕は考えるのです。したがって,より小なる完全性perfectioからより大なる完全性に移行すること,そしてより大なる完全性からより小なる完全性へと移行するということは,そうした移行transitioをしている人間の身体の現実的本性actualis essentiaに変化が齎されているということであると僕は解します。
 現実的に存在する人間が何らかの悲しみを感じるということは,その人間が部分的原因causa partialisとして生じる受動passioです。したがってその観念ideaは,その人間の精神にだけ帰せられる場合は混乱した観念idea inadaequataであることになります。
コメント
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