僕がこのブログで確知するcerto scimusということをどのような意味で用いているのかということを説明し,さらにそのときにとくに注意しておいてほしいふたつのこと,ひとつは確知と確実性は異なるということ,そしてもうひとつは,確知することと疑わないことの間に僕はほぼ差異を設けないということ,より正確にいえば僕にはその間に差を設けるということができないということも説明しました。なのでここからはそこまでの考察に戻り,これらのことを踏まえて,第四部序言で善bonumは僕たちが形成する人間の本性の型に近づく手段になるものを確知するといったり,悪malumはその型に一致するようになるのに妨げになることを確知するといっている場合,および第四部定義一と第四部定義二で確知するといわれているとき,その確知するというのをどのような意味で把握するべきなのかを考えてきます。

まず,第四部定義一でいわれている確知するというのは,僕がこのブログで用いている意味で解して問題ありません。このことはこの定義Definitioそのものよりも,第四部定理八と関連させれば容易に理解できます。そこでいわれているように,僕たちにとっての善とは,僕たちが意識する喜びlaetitiaにほかなりません。そこでもしも現実的にXという人間が存在し,かつ自身が喜びを意識しているとして,本当に自分は喜んでいるのだろうかというように疑うということは,ことばの上では可能であっても実際にそのような思惟作用がその人間に発生することはありません。ある人間が喜びを意識するとは喜んでいるから意識するのであり,自分が喜んでいることを知っているのと同じことだからです。
次に喜びは,能動actioでもあれば受動passioでもあり得ます。能動の場合は,疑い得ないという意味で確知していることになります。受動の場合は疑っていないという意味で確知しているのです。つまり,能動の場合は十全な観念idea adaequataであるがゆえにそれを疑い得ず,受動の場合は混乱した観念idea inadaequataを疑いません。なのでこの場合は僕がいっているような意味で確知するといわれていると解するのが,むしろ適切だといえるでしょう。
前もっていっておいたように,第五部定理四二備考で,無知者が存在することをやめるといわれていることの実例を,『はじめてのスピノザ』の中で國分は示しています。これは現代社会におけるインターネット上の炎上といわれる事象ですが,その前に,そのことがスピノザの人生と関連させて説明されていますので,そちらから紹介していきます。
『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』は1670年に発刊されました。これは匿名での出版でしたが,著者がスピノザであることはほどなく周知の事実となりました。スピノザがライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに宛てた書簡四十六は,1671年9月に送られたものですが,その中でスピノザは私の『神学・政治論』といういい方をしていますので,すでにその時点でスピノザは,『神学・政治論』の著者が自身であることをとくに隠そうとはしていなかったとみることができます。もちろんこれはライプニッツがそれを知っていたからそのようにしたとみることもできますが,自身が著者であることを隠そうという意図がスピノザにあれば,わざわざそのようなことを追記する必要がないので,著者がスピノザであるということは半ば公然の事実になっていたとみてよいだろうと思われます。
『神学・政治論』がそれでも発刊できた理由のひとつは,このときは議会派のヨハン・デ・ウィットJan de Wittがオランダ政治の実権を握っていたからです。デ・ウィット自身は民主主義者であったわけではないので,『神学・政治論』の内容に不快感を抱いたと『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』ではいわれていますが,だからといってデ・ウィットは出版の自由や思想の自由をおいそれと否定するような人物ではなかったのです。ところが1672年にデ・ウィットは群衆によって虐殺され,これ以降はオランダ政治の実権は王党派にわたることになりました。もちろん王党派の中にもたとえばフッデJohann HuddeとかコンスタンティンConstantijin Huygensのように,スピノザと親しく付き合い,またスピノザに同情的であった人もいます。しかし基本的に王党派は反動的勢力であり,そのこともあって『神学・政治論』は1674年には発売禁止の処分を受けました。そしてスピノザ主義は,他人を侮辱する語となっていきました。

まず,第四部定義一でいわれている確知するというのは,僕がこのブログで用いている意味で解して問題ありません。このことはこの定義Definitioそのものよりも,第四部定理八と関連させれば容易に理解できます。そこでいわれているように,僕たちにとっての善とは,僕たちが意識する喜びlaetitiaにほかなりません。そこでもしも現実的にXという人間が存在し,かつ自身が喜びを意識しているとして,本当に自分は喜んでいるのだろうかというように疑うということは,ことばの上では可能であっても実際にそのような思惟作用がその人間に発生することはありません。ある人間が喜びを意識するとは喜んでいるから意識するのであり,自分が喜んでいることを知っているのと同じことだからです。
次に喜びは,能動actioでもあれば受動passioでもあり得ます。能動の場合は,疑い得ないという意味で確知していることになります。受動の場合は疑っていないという意味で確知しているのです。つまり,能動の場合は十全な観念idea adaequataであるがゆえにそれを疑い得ず,受動の場合は混乱した観念idea inadaequataを疑いません。なのでこの場合は僕がいっているような意味で確知するといわれていると解するのが,むしろ適切だといえるでしょう。
前もっていっておいたように,第五部定理四二備考で,無知者が存在することをやめるといわれていることの実例を,『はじめてのスピノザ』の中で國分は示しています。これは現代社会におけるインターネット上の炎上といわれる事象ですが,その前に,そのことがスピノザの人生と関連させて説明されていますので,そちらから紹介していきます。
『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』は1670年に発刊されました。これは匿名での出版でしたが,著者がスピノザであることはほどなく周知の事実となりました。スピノザがライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに宛てた書簡四十六は,1671年9月に送られたものですが,その中でスピノザは私の『神学・政治論』といういい方をしていますので,すでにその時点でスピノザは,『神学・政治論』の著者が自身であることをとくに隠そうとはしていなかったとみることができます。もちろんこれはライプニッツがそれを知っていたからそのようにしたとみることもできますが,自身が著者であることを隠そうという意図がスピノザにあれば,わざわざそのようなことを追記する必要がないので,著者がスピノザであるということは半ば公然の事実になっていたとみてよいだろうと思われます。
『神学・政治論』がそれでも発刊できた理由のひとつは,このときは議会派のヨハン・デ・ウィットJan de Wittがオランダ政治の実権を握っていたからです。デ・ウィット自身は民主主義者であったわけではないので,『神学・政治論』の内容に不快感を抱いたと『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』ではいわれていますが,だからといってデ・ウィットは出版の自由や思想の自由をおいそれと否定するような人物ではなかったのです。ところが1672年にデ・ウィットは群衆によって虐殺され,これ以降はオランダ政治の実権は王党派にわたることになりました。もちろん王党派の中にもたとえばフッデJohann HuddeとかコンスタンティンConstantijin Huygensのように,スピノザと親しく付き合い,またスピノザに同情的であった人もいます。しかし基本的に王党派は反動的勢力であり,そのこともあって『神学・政治論』は1674年には発売禁止の処分を受けました。そしてスピノザ主義は,他人を侮辱する語となっていきました。