スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天龍の雑感㉑&第一部定義七の援用

2024-07-30 19:19:51 | NOAH
 天龍の雑感⑳の後で,天龍はジャンボ・鶴田にとってプロレスラーになったことは人生において失敗だったのではないかという話をしています。これは風変わりな観点からのもので,僕にはちょっと面白く感じられました。
                    
 天龍はプロレスラーになる以前は,大相撲の力士でした。その力士を廃業してプロレスラーになったのです、このために,プロレスラーとして失敗はできないという強い思いがありました。天龍は幕内まで出世していて,大相撲でトップまでいったわけではありませんが,力士としては成功した部類に入ります。だからそれ以上の活躍をプロレスラーとしてなさなければ,笑いものとなってしまうというような気持ちをもっていたのだと推察されます。
 同じようなことは馬場にもいえます。馬場は将来を期待されて故郷を出てプロ野球選手になりました。しかし野球の世界では大成することができず,プロレスラーになりました。だからプロレスの世界でまた失敗したら,故郷には帰れないという思いを抱いていました。なのでプロレスラーとして絶対に成功しなければならないという強い思いが間違いなくあったのです。このように事情は異なりますが,馬場にも天龍にも,プロレスラーとして成功しなければならない理由というものがあったのであって,それがプロレス業界で成功する理由のひとつになったというように天龍は考えているのでしょう。
 しかし鶴田にはそのような事情はありませんでした。大学を卒業してすぐにプロレスラーになった鶴田は,プロレスラーとして絶対に成功しなければならないという強い思いをもつ理由はありませんでした。結果的には鶴田はプロレスラーとして大成功はしたのですが,プロレスで花を咲かせなければならないという強い気持ちから成功したわけではないので,泥にまみれるようなことをすることはできず,むしろ自制心の方が強く働いたのではないかと天龍は指摘しています。いい換えれば,絶対にこの世界で成功しなければならないというような強い気持ちをもっているとみられることが鶴田には恥だったのであって,そういう気持ちが鶴田の試合に表れてしまったと天龍はいいたいのです。
 これは鶴田評としては的確な面を含んでいると思います。ただ,そのことで鶴田が批判されなければならないのかといえば,必ずしもそうではないとも僕は思います。

 この部分の考察はここまでです。
 この後の第6章3節で國分は第一部定義七に言及しています。これについては國分が示している事柄を,事実として記述します。この事実は有用であると思われるからです。
 スピノザは第一部定義七で自由libertasを定義したのですが,後にこの定義Definitioをどう援用しているかを國分は調査しています。それによれば,『エチカ』においてこの定義が援用されるのは5回です。この5回のうち,第一部定理三二の証明Demonstratio,第一部定理三三備考二,第二部定理一七備考,第三部定理四九証明で第一部定義七が援用されるときの4回は,人間が自分自身を自由であると表象するimaginariのは錯覚にすぎないということをいうために消極的に援用されています。第一部定理一七系二で,Deusのみが自由原因causa liberaであるということをいうために第一部定義七が援用されるときのみ,この定義は積極的に援用されています。これらの事実から國分は,第一部定義七は自由を定義していて,これは,自由は必然と対立せず強制coactusと対立するということを示しているという観点から,『エチカ』の根本思想を示していると思われるといっているのですが,同時にこの定義は後の議論にはほとんど生かされていないといっています。
 このことについては後に別の機会を設けて僕の考え方を詳しく述べていきます。ただ,このようになるのはある意味では当然であるということだけをここでは示します。第一部定義七でスピノザが自由を定義するとき,これは僕がいう神的自由を意味するのであって,この自由は神だけに適用されます。したがってこの意味での自由を人間に適用することはできません。『エチカ』の中に神的自由が人間に適用されている部分がないというようには僕は考えませんが,それは現実的には存在しないものとして適用されるのです。したがって,人間についての自由を考察するためには神的自由によって考察することができないのであって,神的自由から類推されるような自由でかつ人間にも適用できるような自由,僕がいう人間的自由によって考察しなければなりません。なので人間の自由について論じる際には,第一部定義七を積極的に援用することは不可能なのです。
コメント
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