スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋聖戦&第二部定理九の場合

2014-07-05 19:59:25 | 将棋
 沼津倶楽部で指された第85期棋聖戦五番勝負第三局。
 森内俊之竜王の先手で羽生善治棋聖の横歩取り。8四飛・5ニ王型でしたが,ここのところ流行している△2四飛と飛車交換を挑む形には進まず,先手が新手を出したところで後手が咎めるべく角を打って,戦いに入りました。
                         
 ここから▲8六飛△同飛▲同歩は僕には当然の進行に思えます。△6五桂▲6八銀に一旦△8八歩と打ち,▲同金で形を乱しておいてから△4五桂。そこで▲7九歩と打ちました。
                         
 これは僕には思いもよらない一手。この局面では最善の受けなのかもしれませんが,喜んで指すような手とも思えず,すでに先手が苦しくしているのかもしれません。△5七桂右成▲同銀右△同桂成▲同銀に△2七銀とやや重く打ち,▲4八金に△3九飛。
                         
 こう飛車を先着して,後手がリードを奪っています。この後,後手の攻めに誤算があったようですが,冷静に受けに回ってみると大事には至っておらず,態勢を盤石に立て直してから再び攻めに転じた後手の勝ちになりました。ただ,一局を通していうと,負けはしたものの先手のしぶとさが僕には印象的な一局でした。
                         
 3連勝で羽生棋聖が防衛。62期,63期,64期,65期,66期,71期,79期,80期,81期,82期,83期,84期と獲得していますので,7期連続13期目の棋聖位です。

 第一部定理二八と関連性が深い定理に,第二部定理九があります。ここではスピノザは様態的変状様態化するといういい方をしていません。これはどのように考えればよいのでしょうか。
 現実的に存在する個物res singularisの観念の原因が神と認識されなければならないことは,この定理の証明で確保されています。そこにはほかの観念に変状した神といわれているからです。そしてこの神は,第二部定理五により思惟の属性です。
 ここから推測できるのは,様態的変状に様態化するのは属性であって,神についてそのようないい方をするのは適当ではないとスピノザが考えていたのではないかということです。だからここではほかのres singularisの観念に変状した限りでの神といういい方がされていると読解することは可能です。他面からいえば,この場合には,思惟の属性といわれるならば,ほかのres singularisの観念という様態的変状に様態化した思惟の属性といわれたであろうという結論になります。
 また,この結論は別の可能性を浮上させます。この定理は,現実的に存在するres singularisの観念に特化した定理です。つまりスピノザはどんな属性であれ,それが現実的に存在するres singularisという様態的変状に様態化するといういい方は不適切であると考えていたとも理解可能です。属性は自己の類において無限で永遠の本性を有します。ですからそれがres singularisという様態的変状に様態化するとしても,それはres singularisの存在のうち,属性の中に含まれた存在でなければならないと解する余地があるからです。
 僕はどちらかであると考えていますが,どちらであるかは分かりませんし,それを結論する必要はないと思います。なぜなら,どちらの場合であったとしても,僕が様態と様態的変状の間,ならびに様態に変状すると様態的変状に様態化するということの間にあると理解している,具体的な理性的区別の内容は,それによって覆されることはないといえるからです。

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