JBC2歳優駿を勝った北海道のソルジャーフィルドの父はルヴァンスレーヴです。父がシンボリクリスエスで母の父がネオユニヴァース。6代母がファンシミンで4代母が1986年の京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年のエプソムカップと新潟記念とオールカマーを勝ったダイナフェアリー。叔母に2018年のクイーン賞を勝ったアイアンテーラーで従弟に2020年のJRA賞の最優秀ダートホースに選出されたチュウワウィザード。Le Vent Se Leveはフランス語で風立ちぬ。
2歳8月のデビュー戦を勝つと10月の特別戦も連勝。さらに全日本2歳優駿も勝って3連勝で大レースを制覇。
3歳初戦となった4月のオープンは2着でしたがユニコーンステークスで重賞2勝目。ジャパンダートダービーを制して大レース2勝目。
秋初戦の南部杯で古馬を撃破し大レース3勝目。チャンピオンズカップも勝って大レース4勝目。この年のJRA賞の最優秀ダートホースとNARグランプリのダートグレード競走最優秀馬に選出されました。
ここから長期の休養。復帰したのは5歳のかしわ記念でここは5着。帝王賞で10着に敗れ,かつての能力を取り戻せないまま引退となりました。
故障がなければたぶんもっと大レースを勝てた馬だと思います。古馬相手の初戦で大レースを勝ち,3歳にしてチャンピオンズカップを勝つというのは快挙。そこまでの戦績もほぼ完全ですから,ダート馬としては活躍の期間が短かったとはいえ,能力は確か。ダートが主戦場となるとは思いますが,種牡馬としても産駒の活躍が期待できると思います。
吉田の結論は以上の通りですが,このことに関して僕には補足しておきたいことがあります。
スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』では社会契約説を用いていますが,『国家論Tractatus Politicus』では用いていません。そうなった理由はいくつか考えられるところですが,そのひとつとして,『神学・政治論』では政治理論を展開しようとしていたのに対し,『国家論』では実践政治について論述しようとしたという点があるのではないかと僕は思っています。このことについては以前の考察でいったことがありますから,なぜ僕がそう思うのかということについてはここでは省略します。
これは政治論に限ったことではなく,理論的な論述を展開していくときは,実在的有entia realiaだけでなく理性の有entia rationisもまた大きな効果を発揮します。自然状態status naturalisから共同社会状態status civilisに移行する契約pactumを社会契約というのであれば,スピノザにはそもそも自然状態というのが現実的には存在しないのですから,社会契約も存在しないのです。いい換えれば『神学・政治論』では社会契約説が展開されてはいるものの,それはホッブズThomas Hobbesがいっている社会契約とは実質的にも理論的にも異なったものです。実際にスピノザはそこでは社会契約というのを,締結されたとしても不服であれば解除することができるようなもの,いってみれば僕たちが普通に契約という場合の契約と同じようなものといっています。ホッブズの社会契約はそれを解消することは不可能である,少なくとも社会契約を解除することは自然法lex naturalisに反するということになっていますから,それだけで大きな違いがあることは明白でしょう。スピノザがいう社会契約は,むしろ一定の条件が与えられてしまうと,自然法によってそれが解消されるというようになっているからです。このあたりのことは今回の考察の中でも説明しましたから,これ以上は不要でしょう。
それでも実在的有であるとはいえない社会契約を政治理論の中にもち出すことは,スピノザにとっても一定の意義があったのです。たとえば共同社会状態においての権力は,共同社会の成員の利益utilitasを考慮する必要があるということは,社会契約説を展開することによって説明可能になっているといえるでしょう。
2歳8月のデビュー戦を勝つと10月の特別戦も連勝。さらに全日本2歳優駿も勝って3連勝で大レースを制覇。
3歳初戦となった4月のオープンは2着でしたがユニコーンステークスで重賞2勝目。ジャパンダートダービーを制して大レース2勝目。
秋初戦の南部杯で古馬を撃破し大レース3勝目。チャンピオンズカップも勝って大レース4勝目。この年のJRA賞の最優秀ダートホースとNARグランプリのダートグレード競走最優秀馬に選出されました。
ここから長期の休養。復帰したのは5歳のかしわ記念でここは5着。帝王賞で10着に敗れ,かつての能力を取り戻せないまま引退となりました。
故障がなければたぶんもっと大レースを勝てた馬だと思います。古馬相手の初戦で大レースを勝ち,3歳にしてチャンピオンズカップを勝つというのは快挙。そこまでの戦績もほぼ完全ですから,ダート馬としては活躍の期間が短かったとはいえ,能力は確か。ダートが主戦場となるとは思いますが,種牡馬としても産駒の活躍が期待できると思います。
吉田の結論は以上の通りですが,このことに関して僕には補足しておきたいことがあります。
スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』では社会契約説を用いていますが,『国家論Tractatus Politicus』では用いていません。そうなった理由はいくつか考えられるところですが,そのひとつとして,『神学・政治論』では政治理論を展開しようとしていたのに対し,『国家論』では実践政治について論述しようとしたという点があるのではないかと僕は思っています。このことについては以前の考察でいったことがありますから,なぜ僕がそう思うのかということについてはここでは省略します。
これは政治論に限ったことではなく,理論的な論述を展開していくときは,実在的有entia realiaだけでなく理性の有entia rationisもまた大きな効果を発揮します。自然状態status naturalisから共同社会状態status civilisに移行する契約pactumを社会契約というのであれば,スピノザにはそもそも自然状態というのが現実的には存在しないのですから,社会契約も存在しないのです。いい換えれば『神学・政治論』では社会契約説が展開されてはいるものの,それはホッブズThomas Hobbesがいっている社会契約とは実質的にも理論的にも異なったものです。実際にスピノザはそこでは社会契約というのを,締結されたとしても不服であれば解除することができるようなもの,いってみれば僕たちが普通に契約という場合の契約と同じようなものといっています。ホッブズの社会契約はそれを解消することは不可能である,少なくとも社会契約を解除することは自然法lex naturalisに反するということになっていますから,それだけで大きな違いがあることは明白でしょう。スピノザがいう社会契約は,むしろ一定の条件が与えられてしまうと,自然法によってそれが解消されるというようになっているからです。このあたりのことは今回の考察の中でも説明しましたから,これ以上は不要でしょう。
それでも実在的有であるとはいえない社会契約を政治理論の中にもち出すことは,スピノザにとっても一定の意義があったのです。たとえば共同社会状態においての権力は,共同社会の成員の利益utilitasを考慮する必要があるということは,社会契約説を展開することによって説明可能になっているといえるでしょう。
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