スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ユングフラウ賞&人格の剥奪の根拠

2015-02-18 19:19:35 | 地方競馬
 南関東競馬は早くも牝馬クラシックのトライアル。第7回ユングフラウ賞。今野騎手と酒井忍騎手が負傷のため,ビナファミリーは町田騎手,リボンスティックは佐藤博紀騎手に変更。
 ゼッタイリョウイキがかなり押していきましたが,外からアクティフが被せるようにハナへ。2コーナーを回るとトーセンマリオンとロゾヴァドリナの2頭が並び掛け,3頭が雁行するように先行し,ゼッタイリョウイキが4番手。カリエン,リボンスティックの2頭が差がなく続き,その後ろはやや開いてブライトギャル,サピド,スターローズの3頭という隊列。最初の600mは36秒7で超ハイペース。
 3コーナーを回るとトーセンマリオンがアクティフを潰しにいき,ここでアクティフとロゾヴァドリナは脱落。外を捲ってきたのがリボンスティックで,直線はこの2頭で競り合いに。リボンスティックがトーセンマリオンを競り落として抜け出したのですが,大外をスターローズが強襲し,2頭がほぼ並んでゴール。写真判定の結果,スターローズが届いて優勝。ハナ差の2着にリボンスティック。トーセンマリオンは4分の3馬身遅れて3着。
 優勝したスターローズは北海道でデビューして3勝。昨年暮れに南関東に転入していずれも大きな差をつけて連勝。ここは相手強化の一戦でしたが見事に突破しました。今日は展開に恵まれた一面があり,2着馬や3着馬の方が内容的には強いレースであったかもしれません。ただ,距離が伸びるのはプラスに働きそうな印象があり,本番の桜花賞でも候補の1頭ではないでしょうか。父は2000年と2001年のアンタレスステークス,2002年と2003年の平安ステークス,2003年のマーチステークスを勝ったスマートボーイ。母の従妹に2006年のキーンランドカップを勝ったチアフルスマイル
 騎乗した川崎の山崎誠士騎手は一昨年のアフタ5スター賞以来の南関東重賞制覇。ユングフラウ賞は初勝利。管理している船橋の山本学調教師もユングフラウ賞初勝利。

 神を十全に認識するため,いかなる意味においても人格の剥奪が完遂されなければならないことの論理的根拠は,第一部公理四にあると僕は理解しています。
 第一部定理一から形而上学的に理解できるのは,神が人間に本性の上で「先立つ」ことです。第一部定理一五からは,それが実在的に正しいということも分かります。したがって,神は人間の原因ではあり得ますが,人間が神の原因であるということはあり得ません。本性の上で先立つものは後発のものに対して原因ではあり得ても結果ではあり得ないということは,それ自体で明らかでしょう。したがって,人間の本性に依拠して神の本性を類推することは,本性の上で後発のものに依拠することによって,先立つものを認識するという思惟作用になります。第一部公理四は,結果の認識が原因の認識に依存しなければならないことを示していますから,これはそれに反する思惟作用です。だから,人間的なものによって神の本性を規定しようとするのは,本末転倒な行為であることになります。
 これはちょうど,自己原因と原因の関係をどう把握するべきなのかということとパラレルな関係にあります。作出原因という概念を広くとったとき,自己原因causa suiと起成原因causa efficiensは共に作出原因に該当します。このうち本性の上で先立つのは自己原因です。ですから自己原因を起成原因のようなものと把握すること,すなわちそれ自身を作出する原因であると把握するのは誤りであり,むしろ起成原因が自己原因のようなもの,つまりそれ自身以外のものを作出する原因であると理解されなければならないのでした。これと同じことが,神と人間の間にも妥当しなければならないのです。
 よって神が人間のようなものだと把握することは,いかなる意味においても誤りであるということになります。むしろ第二部定理一〇系が示しているように,人間が神のようなものだ,つまり人間とは人間という様態的変状様態化した神の属性であると認識されなければならないのです。
 この根拠が,神に善意を認めることが大きな誤りであることの根拠にもなります。

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