⑤で示した後の部分は,ある意味ではこの楽曲の中で最も重要なフレーズといえるのではないでしょうか。
教えてよ 僕の憧れてたあの頃
バラの色はどんな色だったというのか
歌い手は昔はバラ色の未来に憧れていたのです。しかし今になってみると,そのバラ色がどんな色だったのかということがまったく思い出せないのです。
「僕たちの将来」の⑥では,僕たちの将来はめくるめく閃光の中にあり,それはよくなっていく筈だといわれていました。しかしそのとき,めくるめく閃光というのがどのような閃光であったのかということは分かってなく,漠然とよくなっていくと感じていただけなのではないでしょうか。ですが年を重ねれば,確かに何らかのはっきりとした色をみていたように思え,あのときにみていた光の色はどんな色だったのかと思い出そうとするときが来るのかもしれません。しかし実際には漠然とそのように感じていただけなのですから,思い出そうとしても思い出せる筈もないのです。
僕はこのような形で,「僕たちの将来」と「バラ色の未来」の間に,ある関係性をみています。1984年に僕たちの将来はよくなっていくと歌っていた僕が,1994年にはその頃のバラ色を思い出そうとしているというように感じるのです。
僕は僕は手紙を書く
僕にあてて手紙を書く
「バラ色の未来」はこのフレーズのリフレインで終曲します。僕が手紙を出す僕とは,もちろん過去の僕です。しかし実際には確たるバラ色を見てはいなかったのでしょうから,この手紙の返事が書かれることはないでしょう。
第二答弁というのは,メルセンヌMarin Mersenneの論駁に対するもので,「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」という,おそらくデカルトRené Descartesの最も有名なテーゼが出てくる答弁です。その中でデカルトは,因果性の原理はすべてのものに適用されなければならないので,神Deusにも適用されるという主旨のこともいっています。それがなぜ実在するのかということ,つまりその原因causaが何であるかが問われ得ないいかなるものも実在しない。なぜならそれは神にも問われ得るからだ,というのがその部分です。スピノザは第二答弁のこの部分を援用し,そのまま『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第一部公理十一に利用しました。
ですが第二答弁のこの部分というのはこれだけでなく,デカルトはそれに続けてある弁明を与えています。確かに因果性の原理は神にも適用されなければならないのだけれども,だからといってそれは神が実在するために何らかの原因を要するということではない,というのがそれです。デカルトもスピノザと同様に,原因というのを起成原因causa efficiensと解しますが,スピノザとは異なって自己原因causa suiを起成原因であるとは認めていません。したがってこの部分でデカルトがいっていることの意味は,神は自身の外部に起成原因を有さないという意味です。よってこの点だけでみれば,アルノーAntoine Amauldもデカルトもスピノザも一致した見解opinioをもっているといっていいでしょう。一方,自己原因が起成原因であり,神は自己原因であるということについては,スピノザだけがそれを肯定しているということになります。
デカルトはさらに続けて,神の本性essentiaの広大無辺性が,神が実在するために一切の原因,外部の起成原因をもたないことの原因いうなら理由であるという意味のことをいいます。すなわち,デカルトにとって神の広大無辺性というのは,神が存在する原因であったのではなく,神が存在するために原因を有さない理由であったということになります。このような意味での理由というのをまったく認めないスピノザが,第一部定理一一第二の証明では,単に原因とはいわずに理由ないし原因といっています。それはデカルト主義者が容易に理解できるようにするためであったということの根拠が,ここにあるのです。
教えてよ 僕の憧れてたあの頃
バラの色はどんな色だったというのか
歌い手は昔はバラ色の未来に憧れていたのです。しかし今になってみると,そのバラ色がどんな色だったのかということがまったく思い出せないのです。
「僕たちの将来」の⑥では,僕たちの将来はめくるめく閃光の中にあり,それはよくなっていく筈だといわれていました。しかしそのとき,めくるめく閃光というのがどのような閃光であったのかということは分かってなく,漠然とよくなっていくと感じていただけなのではないでしょうか。ですが年を重ねれば,確かに何らかのはっきりとした色をみていたように思え,あのときにみていた光の色はどんな色だったのかと思い出そうとするときが来るのかもしれません。しかし実際には漠然とそのように感じていただけなのですから,思い出そうとしても思い出せる筈もないのです。
僕はこのような形で,「僕たちの将来」と「バラ色の未来」の間に,ある関係性をみています。1984年に僕たちの将来はよくなっていくと歌っていた僕が,1994年にはその頃のバラ色を思い出そうとしているというように感じるのです。
僕は僕は手紙を書く
僕にあてて手紙を書く
「バラ色の未来」はこのフレーズのリフレインで終曲します。僕が手紙を出す僕とは,もちろん過去の僕です。しかし実際には確たるバラ色を見てはいなかったのでしょうから,この手紙の返事が書かれることはないでしょう。
第二答弁というのは,メルセンヌMarin Mersenneの論駁に対するもので,「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」という,おそらくデカルトRené Descartesの最も有名なテーゼが出てくる答弁です。その中でデカルトは,因果性の原理はすべてのものに適用されなければならないので,神Deusにも適用されるという主旨のこともいっています。それがなぜ実在するのかということ,つまりその原因causaが何であるかが問われ得ないいかなるものも実在しない。なぜならそれは神にも問われ得るからだ,というのがその部分です。スピノザは第二答弁のこの部分を援用し,そのまま『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第一部公理十一に利用しました。
ですが第二答弁のこの部分というのはこれだけでなく,デカルトはそれに続けてある弁明を与えています。確かに因果性の原理は神にも適用されなければならないのだけれども,だからといってそれは神が実在するために何らかの原因を要するということではない,というのがそれです。デカルトもスピノザと同様に,原因というのを起成原因causa efficiensと解しますが,スピノザとは異なって自己原因causa suiを起成原因であるとは認めていません。したがってこの部分でデカルトがいっていることの意味は,神は自身の外部に起成原因を有さないという意味です。よってこの点だけでみれば,アルノーAntoine Amauldもデカルトもスピノザも一致した見解opinioをもっているといっていいでしょう。一方,自己原因が起成原因であり,神は自己原因であるということについては,スピノザだけがそれを肯定しているということになります。
デカルトはさらに続けて,神の本性essentiaの広大無辺性が,神が実在するために一切の原因,外部の起成原因をもたないことの原因いうなら理由であるという意味のことをいいます。すなわち,デカルトにとって神の広大無辺性というのは,神が存在する原因であったのではなく,神が存在するために原因を有さない理由であったということになります。このような意味での理由というのをまったく認めないスピノザが,第一部定理一一第二の証明では,単に原因とはいわずに理由ないし原因といっています。それはデカルト主義者が容易に理解できるようにするためであったということの根拠が,ここにあるのです。
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