スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天龍の雑感⑳&理論と現実

2024-07-05 19:18:31 | NOAH
 天龍の雑感⑲として,馬場の指導についての補足をしましたが,ジャンボ・鶴田は身体が大きい選手でしたから,身体が大きな選手としての指導を馬場から受けていたのは間違いないものと思います。そうした指導のひとつとして天龍があげているのが,大技を無闇に使うなというもので,鶴田はそれを実践していたのだと天龍はいっています。それは鶴田にとっては損だったのではないかというのが天龍の見方であって,少なくとも一面の真理をついているのではないでしょうか。鶴田の人気が最も高まったのは,天龍が全日本プロレスを離脱した後,三沢光晴と戦うようになってからのことですが,三沢は身体が大きい選手ではありませんでしたから,沸点が高い状態が続くプロレスで鶴田に対抗するほかありませんでした。このときは鶴田もそれに合わせるような試合をするようになり,それが鶴田の人気を上昇させたという一面があったと思います。したがって,たとえば鶴田がもっと早い段階,たとえば長州力と戦っている頃にそのような試合をしていれば,その時点で鶴田の人気も上昇した可能性もあったのではないかと思います。
 天龍は逆に,鶴田が,あるいは不沈艦の名前も出していますが,必殺技を最後まで出さないスタイルの試合はファンには飽きられてしまうのではないかと思ったので,ゴングが鳴ったらすぐにスパートし,必殺技も出し惜しみしないようなプロレスを心掛けたそうです。ハンセンも確かにゴングと共にスパートをかけるタイプではあったのですが,必殺技のウエスタンラリアットを頻発するような試合は好まず,それを出したら必ず勝負が決着するという場面でしか使いませんでした。それが,鶴田のバックドロップの出し方とよく似ているように天龍には感じられたので,ふたりのスタイルを同列に語っているわけです。ただ逆にいえばそれは,そういう必殺技をもっている選手の宿命のようなものであって,たとえばハンセンがラリアットを頻発することによってより大きなファンからの支持を得られたのかといえば,僕には疑問が残ります。

 第三部定理六で自己の有suo esseに固執するperseverareといわれるとき,有というのは存在existentiaだけを意味するわけでなく,力potentiaのことも意味します。したがって,自然法lex naturalisによって与えられた力を自然権jus naturaeというのであれば,僕たちは自己の自然権に固執するコナトゥスconatusを有するのであって,よって自然権が拡大されることはこのコナトゥス,第三部定理七によれば現実的本性actualis essentiaに合致することになります。なので,多くの人びとが協力することによって自然権が拡大されるなら,僕たちの現実的本性はそれを選択することになるでしょう。そして,第四部定理三五にあるように,理性ratioに従う限りでは僕たちの本性は一致するのですから,この限りでは僕たちは必然的にnecessario自然権の拡大のために協働するということが帰結します。いい換えればこの限りにおいては社会契約が常に履行される状態となるでしょう。ですから僕たちは理性に従っている限りでは,なるべく多くの人が,極端にいえば全人類が協働することを目指すことになります。第四部定理七三は,こうした論理の下に導出されるといえます。ここで自由libertasといわれるのは,人間の能動actioのことを意味しますが,理性に従っている限りでは僕たちは自由であり,かつすべての人間の本性が一致するのであれば,ここでいわれる共同の決定determinatioは,すべての人間の現実的本性に一致します。したがって僕たちは単に自身の理性に従っている限りでも自由ではありますが,共同の決定に従って自由であるときほどに多くの事柄をなし得るわけではありません。ですから多くの人間の共同の決定に従っている場合の方が,より自由であるということになるのです。
                                   
 『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』で示されていることも,理論的にはこれに則しています。ただこれはあくまでも理論であって,現実的な世界にそのまま適用できるわけではありません。それはいうまでもなく僕たちは常に受動passioに隷属しているからです。他面からいえば常に理性的であるというわけではないからです。『神学・政治論』が国家Imperiumの形成のために宗教religioのようなそれとは異なる概念notioを必要とすることになったのは,そうした観点から受動状態にあっても理性に従っているのと同じ結果effectusを産出する必要があったからです。

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