秋山準がNOAHを退団して全日本プロレスで仕事をするようになったとき,潮崎豪と同様に秋山についていった選手の中に金丸義信がいます。
金丸は全日本プロレスに入団した選手です。高校時代は野球部に所属。春の甲子園に出場しています。全日本プロレスは日本武道館大会でサインボール投げをしていたのですが,金丸は高校時代の経験を生かし,2階席までサインボールを投げていました。僕はその時期の武道館大会はほとんど観戦していましたので,その当時は試合よりもその印象の方が強いです。
デビューしたのは1996年7月。入門から1年半後のことでこれはかなり時間を要した方でしょう。全日本時代は小橋建太の付き人を務めていたことから小橋率いるバーニングに入り,後に秋山率いるスターネスに移りましたが,目立った実績は残せませんでした。
NOAHの旗揚げと共にNOAHの所属選手に。2001年6月にGHCジュニアヘビー級の王者決定トーナメントに優勝。初代の王者になりました。この前にWEWタッグの王者にはなっているのですが,ビッグタイトルはこれが初。NOAHもヘビー級は無差別級という意味ですが,金丸はずっとジュニアヘビー級を主戦場に戦い続けました。2002年にIWGPジュニアタッグの王者になっていて,GHCジュニアタッグの王者にも2005年6月に就いています。このときはジュニアヘビーの王者でもありましたから,二冠になったことになります。
2012年にNOAHを退団。全日本プロレスでも世界ジュニアヘビー級王者になっています。
2016年に一旦はNOAHに復帰したのですが,所属選手にはならず,鈴木みのる率いる鈴木軍に加入。この間にまたGHCジュニアヘビー級の王者になっています。この年の暮れまでで鈴木軍はNOAHから撤退。それと共に金丸もNOAHでの仕事から離脱。それ以降は新日本プロレスで仕事をしています。
NOAHのジュニアヘビー級では最も実績を残した選手ですし,NOAHのジュニアヘビー級では最強の選手だったと僕は思っています。
『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』は社会契約論を利用して国家Imperiumの成り立ちを説明しているので,必然的な帰結として強権的な国家が出現することになると僕は考えています。ただ國分は,このことは『神学・政治論』の中でも解決されていないわけではないと指摘しています。ただその指摘を検討してく前に,次のことをいっておきます。
そもそもスピノザは,国家が強権的な力potentiaで市民Civesを支配する政治形態を,好ましいものと考えていません。むしろスピノザが『神学・政治論』を書いたのは,そのような統治形態を否定しようとするためでした。このことは『神学・政治論』の冒頭から明らかなのであって,そこでは,哲学する自由libertas philosophandiを認めても道徳心や国の平和paxは損なわれないし,むしろ哲学する自由を踏みにじることによって,国の平和や道徳心も必ず損なわれるということを示した論考から『神学・政治論』は書かれているという意味のことが書かれています。つまりスピノザは哲学する自由を守ろうとしたのであって,それは現実的に存在する人間が自由に思考する権利jusを守ろうとしているというのと同じです。この頃のオランダはそうした自由あるいは権利が危機に晒されつつあったから,あるいは現に晒されていたから,スピノザは『神学・政治論』を書いたのであって,強権的な国家の正当性を保証しようというような気はスピノザには少しもなかったのです。
すでに示したように,『神学・政治論』の第十六章の冒頭で,スピノザは自然法lex naturalisに基づく自然権jus naturaeを考察しました。それは宗教religioについて考えるのであれ,国家について考えるのであれ,その前提として自然権を考察する必要があるとスピノザが考えていたからです。その後にスピノザは社会契約論を導入して国家の成り立ちを説明し,結果的にこの章の中で,強権的な国家が出現することを結論付けています。しかし國分は,スピノザはこの結論を出した後で,次の第十七章にかけて,契約pactumという概念notioの弁証法的な展開をしているといっています。この國分がいう契約の弁証法的展開によって,スピノザ自身が社会契約論からの帰結事項を覆そうとしているのだと國分はみているのです。そしてそのポイントをふたつあげています。
金丸は全日本プロレスに入団した選手です。高校時代は野球部に所属。春の甲子園に出場しています。全日本プロレスは日本武道館大会でサインボール投げをしていたのですが,金丸は高校時代の経験を生かし,2階席までサインボールを投げていました。僕はその時期の武道館大会はほとんど観戦していましたので,その当時は試合よりもその印象の方が強いです。
デビューしたのは1996年7月。入門から1年半後のことでこれはかなり時間を要した方でしょう。全日本時代は小橋建太の付き人を務めていたことから小橋率いるバーニングに入り,後に秋山率いるスターネスに移りましたが,目立った実績は残せませんでした。
NOAHの旗揚げと共にNOAHの所属選手に。2001年6月にGHCジュニアヘビー級の王者決定トーナメントに優勝。初代の王者になりました。この前にWEWタッグの王者にはなっているのですが,ビッグタイトルはこれが初。NOAHもヘビー級は無差別級という意味ですが,金丸はずっとジュニアヘビー級を主戦場に戦い続けました。2002年にIWGPジュニアタッグの王者になっていて,GHCジュニアタッグの王者にも2005年6月に就いています。このときはジュニアヘビーの王者でもありましたから,二冠になったことになります。
2012年にNOAHを退団。全日本プロレスでも世界ジュニアヘビー級王者になっています。
2016年に一旦はNOAHに復帰したのですが,所属選手にはならず,鈴木みのる率いる鈴木軍に加入。この間にまたGHCジュニアヘビー級の王者になっています。この年の暮れまでで鈴木軍はNOAHから撤退。それと共に金丸もNOAHでの仕事から離脱。それ以降は新日本プロレスで仕事をしています。
NOAHのジュニアヘビー級では最も実績を残した選手ですし,NOAHのジュニアヘビー級では最強の選手だったと僕は思っています。
『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』は社会契約論を利用して国家Imperiumの成り立ちを説明しているので,必然的な帰結として強権的な国家が出現することになると僕は考えています。ただ國分は,このことは『神学・政治論』の中でも解決されていないわけではないと指摘しています。ただその指摘を検討してく前に,次のことをいっておきます。
そもそもスピノザは,国家が強権的な力potentiaで市民Civesを支配する政治形態を,好ましいものと考えていません。むしろスピノザが『神学・政治論』を書いたのは,そのような統治形態を否定しようとするためでした。このことは『神学・政治論』の冒頭から明らかなのであって,そこでは,哲学する自由libertas philosophandiを認めても道徳心や国の平和paxは損なわれないし,むしろ哲学する自由を踏みにじることによって,国の平和や道徳心も必ず損なわれるということを示した論考から『神学・政治論』は書かれているという意味のことが書かれています。つまりスピノザは哲学する自由を守ろうとしたのであって,それは現実的に存在する人間が自由に思考する権利jusを守ろうとしているというのと同じです。この頃のオランダはそうした自由あるいは権利が危機に晒されつつあったから,あるいは現に晒されていたから,スピノザは『神学・政治論』を書いたのであって,強権的な国家の正当性を保証しようというような気はスピノザには少しもなかったのです。
すでに示したように,『神学・政治論』の第十六章の冒頭で,スピノザは自然法lex naturalisに基づく自然権jus naturaeを考察しました。それは宗教religioについて考えるのであれ,国家について考えるのであれ,その前提として自然権を考察する必要があるとスピノザが考えていたからです。その後にスピノザは社会契約論を導入して国家の成り立ちを説明し,結果的にこの章の中で,強権的な国家が出現することを結論付けています。しかし國分は,スピノザはこの結論を出した後で,次の第十七章にかけて,契約pactumという概念notioの弁証法的な展開をしているといっています。この國分がいう契約の弁証法的展開によって,スピノザ自身が社会契約論からの帰結事項を覆そうとしているのだと國分はみているのです。そしてそのポイントをふたつあげています。
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