好メンバーが揃った第6回フジノウェーブ記念。コアレスピューマが右前脚の怪我のため競走除外で15頭。真島大輔騎手が9レースで負傷したようで,カネトシディオスは増田騎手に変更。
できればリアライズリンクスは逃げたかったろうと思うのですが,ジェネラルグラントが譲りませんでした。リアライズリンクスの外のセイントメモリーまで,3頭が雁行して先行。やや離れてミラーコロ,ピエールタイガー,アルゴリズムの3頭,さらにエベレストオーとナイキマドリードも差がなく続いて5頭の好位集団。また差が開いて中団グループの先頭にサトノデートナという隊列。最初の600mは35秒2のハイペース。
先行3頭が雁行のまま直線に向きましたが,一番外のセイントメモリーはとても手応えがよく,そのまま楽々と抜け出して4馬身差の圧勝。リアライズリンクスが粘り込もうとするところ,馬群を割るように伸びたサトノデートナがこれを交わして2着。リアライズリンクスが半馬身差で3着。
優勝したセイントメモリーは昨年10月のマイルグランプリ以来の勝利で南関東重賞は5勝目。ほかに重賞1勝。最近は行き振りが悪くなっている印象があり,能力は上位でもこの距離では苦しいのではないかと推測していたのですが,今日は楽に先行できました。こういうレースができれば重賞クラスの能力ですから,楽勝になっても不思議ではありません。大井コースの適性が高いということもあるのでしょう。僕は現状は距離はもっと伸びた方がよいのではないかと考えていたのですが,考え直す必要があるのかもしれません。叔父に1999年の北九州記念を勝ったエイシンビンセンス。
騎乗した船橋の本橋孝太騎手はマイルグランプリ以来の南関東重賞制覇でフジノウェーブ記念は初勝利。管理している大井の月岡健二調教師もフジノウェーブ記念初勝利。
スピノザ哲学における力の概念を,意志と必然の双方に当て嵌めてみましょう。
神が自由意志によって物事をなすということを肯定するには,力を可能的なものと考えなければなりません。というのは,もし神の力の中にある事柄はすべて現実化すると規定してしまえば,直ちにその意志は自由意志ではないことが帰結してしまうからです。対して,神の本性の必然性によって物事が生起するという場合には,力は可能的なものでなく,現実的なものと規定されます。力を可能的なものと理解することはできないのですから,神に自由意志を帰するのは誤りであることになります。
しかしこのことは,以下の論証過程の方が,論争的な意味においては有効かもしれません。
神の本性に自由意志を帰するということと,なし得ることのすべてを神はなさないということは同じ意味でした。そしてそれは実は,神はやればできるという主張とも異なっているのです。なぜなら,できるからといってすべてやってしまうと,そこに自由意志を帰することができなくなるからです。つまり神に自由意志を帰する意見というのは,神はなし得ることのすべてをなさないという意見であるだけでなく,なし得ることのすべてをなせないという意見でもあるのです。要するにこれは,神にはなし得ないことがあると主張しているのと同じです。しかしなすことが力なのですから,この意見は,少なくとも部分的には,神は力と正反対の意味で無力であることを主張しているのと同じになるのです。無力を最高に完全な実体の本性ないしは特質として規定することほど不条理な意見はないのではないでしょうか。したがって,神が最高に完全であるということを是認する限り,神の本性に自由意志を帰することは不条理であることになるのです。
ここから,僕が,神はなし得ることのすべてをなすということと,神になし得ないことはないということを等置した理由も分かると思います。神はなし得ることのすべてをなすは,必然に該当します。神になし得ないことがあるというのが意志に該当します。よって神になし得ないことはないは,必然に該当しなければならないからです。
できればリアライズリンクスは逃げたかったろうと思うのですが,ジェネラルグラントが譲りませんでした。リアライズリンクスの外のセイントメモリーまで,3頭が雁行して先行。やや離れてミラーコロ,ピエールタイガー,アルゴリズムの3頭,さらにエベレストオーとナイキマドリードも差がなく続いて5頭の好位集団。また差が開いて中団グループの先頭にサトノデートナという隊列。最初の600mは35秒2のハイペース。
先行3頭が雁行のまま直線に向きましたが,一番外のセイントメモリーはとても手応えがよく,そのまま楽々と抜け出して4馬身差の圧勝。リアライズリンクスが粘り込もうとするところ,馬群を割るように伸びたサトノデートナがこれを交わして2着。リアライズリンクスが半馬身差で3着。
優勝したセイントメモリーは昨年10月のマイルグランプリ以来の勝利で南関東重賞は5勝目。ほかに重賞1勝。最近は行き振りが悪くなっている印象があり,能力は上位でもこの距離では苦しいのではないかと推測していたのですが,今日は楽に先行できました。こういうレースができれば重賞クラスの能力ですから,楽勝になっても不思議ではありません。大井コースの適性が高いということもあるのでしょう。僕は現状は距離はもっと伸びた方がよいのではないかと考えていたのですが,考え直す必要があるのかもしれません。叔父に1999年の北九州記念を勝ったエイシンビンセンス。
騎乗した船橋の本橋孝太騎手はマイルグランプリ以来の南関東重賞制覇でフジノウェーブ記念は初勝利。管理している大井の月岡健二調教師もフジノウェーブ記念初勝利。
スピノザ哲学における力の概念を,意志と必然の双方に当て嵌めてみましょう。
神が自由意志によって物事をなすということを肯定するには,力を可能的なものと考えなければなりません。というのは,もし神の力の中にある事柄はすべて現実化すると規定してしまえば,直ちにその意志は自由意志ではないことが帰結してしまうからです。対して,神の本性の必然性によって物事が生起するという場合には,力は可能的なものでなく,現実的なものと規定されます。力を可能的なものと理解することはできないのですから,神に自由意志を帰するのは誤りであることになります。
しかしこのことは,以下の論証過程の方が,論争的な意味においては有効かもしれません。
神の本性に自由意志を帰するということと,なし得ることのすべてを神はなさないということは同じ意味でした。そしてそれは実は,神はやればできるという主張とも異なっているのです。なぜなら,できるからといってすべてやってしまうと,そこに自由意志を帰することができなくなるからです。つまり神に自由意志を帰する意見というのは,神はなし得ることのすべてをなさないという意見であるだけでなく,なし得ることのすべてをなせないという意見でもあるのです。要するにこれは,神にはなし得ないことがあると主張しているのと同じです。しかしなすことが力なのですから,この意見は,少なくとも部分的には,神は力と正反対の意味で無力であることを主張しているのと同じになるのです。無力を最高に完全な実体の本性ないしは特質として規定することほど不条理な意見はないのではないでしょうか。したがって,神が最高に完全であるということを是認する限り,神の本性に自由意志を帰することは不条理であることになるのです。
ここから,僕が,神はなし得ることのすべてをなすということと,神になし得ないことはないということを等置した理由も分かると思います。神はなし得ることのすべてをなすは,必然に該当します。神になし得ないことがあるというのが意志に該当します。よって神になし得ないことはないは,必然に該当しなければならないからです。
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